善人たちの夜

  

10年以上前の話だが、何度か再放送されたドラマがある。
「善人たちの夜」
1回ものの90分ドラマだが、とっても面白かった。
出演は、田中裕子、風間杜夫、森本レオ。みんな今よりずっと若かった。
森本レオは、「ショムニ」風ではなくて、プレイボーイ風ないい男の役だった。
風間杜夫が、田舎から出てきた好青年を演じた。
田中裕子は森本レオの婚約者役だった。
二人が新居を探しに行く場面もあるから、結婚は具体化しているわけだ。
が、二人はまだSEXをしていない。
そんなとき、風間杜夫の田舎のじっちゃんが死にそうになる。
で、じっちゃんが「死ぬ前に孫の嫁さんの顔を見ておきたい」っていうもんで、
「一目じっちゃんに”ニセの嫁さん”でもいいから会わせてやろう」ってことになる。
で、田中裕子は、処女証明書を医者へ行って書いてもらう。
嫁さんのふりがすんだら、また、処女証明書を書いてもらって、
未来の夫に貞操を示すと約束するくだりがある。

役者が役者だけに、とっても面白いドラマだったが、
私がどうしてこんなによく覚えているのかというと、
やはり処女証明書のせいかもしれない。
こんなもの実在するのかねと当時私は思ったが、
どうも本当にそんなもの書いてもらう人がいたらしい。
婚前交渉なんて言葉が実在し、処女価値の高かった時代のお話だ。

  

その時代、私の友達で、”恋人とSEXしてもいいかどうか迷っている”女性がいた。
彼女はワケ知り顔な学友に尋ねた。
「ねえ、処女膜って男の人にわかるのかしら。」
ワケ知り学友はこう答えた。
「処女を喪失すれば処女膜は破けるけれど、
しばらく誰とも関係しなければ、また処女膜はできるのよ。」
オイオイオイ、本当かよ・・・・
彼女は結局、付き合っていた彼とはSEXをし、
別れたあと、しばらく誰とも付き合わずに処女膜の再生を図った。
5〜6年後、彼女はお見合いし、”処女膜のあるつつましい女性”として結婚した。
処女膜さえ存在すればそれで未来の夫へ操を立てることになるという発想。
処女が”女の価値”であると誰もが信じていた時代だった。
女たちはみなまだ見ぬ夫のために一生懸命処女を守った。
処女膜は自分のものではなかった。
未来の夫のものだった。

  

処女膜という名の誤解をご存じですか。
膜という言葉で、人々は、それを「鼓膜」かなにかのように思ってしまう。
鼓膜が破けたら、めっちゃ痛いように、
処女膜が破けたら、めっちゃ痛いだろうという誤解である。
でも、これは、どうも人によるらしい。
つまり、膣の入り口は、お尻の穴と一緒で、小さな入り口なのである。
別に、鼓膜のような膜が存在するわけではない。
膜を破って、ペニス挿入!ってわけじゃない。
小さな入り口をだんだんとしめらせ、やわらかくしながら、
広げていってあげて、挿入するってだけなのだから、
”医者が処女を証明するなんてホントはできないんじゃないの”と私は思う。
何度もSEX経験のある人だって、濡れてもないのに、いきなり挿入されたら、
膣の入り口がさけて出血することだってある。
血が出るのはなにも処女だけじゃない。
逆に初体験でもなんともないことだってある。

  

今、結婚まで処女でいるべきだという価値観は見事に崩れた。
結婚まで処女を守りたいなんて主張したら笑い者になるかもしれない。
少子化といいつつ、10代の出産はひたすら上昇中だ。
では、彼らの性行動は幸せに満ちているのだろうか。

都立高校での最近の話です。
中絶したばかりの女子生徒が、先生のところへ相談に来ました。
「いつからSEXできるんですか?」
「次の月経がくるまでは控えた方がいいでしょう。」
先生が答えると、彼女は「SEXができないと彼が離れていってしまう」と泣き出しました。

SEXできないとすぐに離れてしまうような彼氏を安々と受け入れ、
彼が離れて行かないように自分の体を酷使してしまう女の子。
彼の方は彼女のそんな思いを知ろうともせず、SEXするのが当たり前のような顔をしている。
二人のコミュニケーションが不十分なまま、
SEXだけが先行してしまい、お互いの思いを充分伝え合おうとしない。
「彼女が自分の部屋に来たというのはSEXしてもいいってこと」
という男の意識は今も昔も変わっていない。
男が誘い、女が応じる。
女の子たちは、「嫌われたくない、別れたくない、愛されているなら、・・・」と、迷いつつ、
「コンドームして」とさえ言い出せないまま、SEXに応じている。

SEXについて深く語り合うことなしに、二人の間でSEXが始まってしまっているから、
二人の性的な関係に溝ができたとき、二人はそれを問題として語り合えない。
だから性に真面目に向き合いたい方が一人で悩まなくてはならなくなってしまう。
そして、SEXしたいと思う自分を恥じたり、嫌悪したりしてしまう。
男の方は、「SEXしたい」「たまっちゃった」などと平気で言うが、
女性たちの叫びはちょっと違う。
「私は快感を求めているわけじゃない。
愛されていることを実感したいだけ。
私はSEXが好きなわけじゃない。
ただ、抱きしめてほしいだけ。
私は彼に必要とされたいだけ。」
SEXはあくまでも愛の行動。SEXは大切なコミュニケーション。
女性の場合、それを強調せずにはいられない。
淫乱女と言われたくないから。



初体験の年齢が下がったり、処女にこだわらなくなったかもしれないけれど、
性を前向きに語り合える人が増えたわけではない。
根本的な性意識は処女価値が高かった時代とあまり違わない気がする。