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純潔教育のはじまり
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日本の純潔教育は、明治維新の文明開化とともにはじまった。
それ以前、日本は鎖国をしていた。
鎖国というのはどういう状態なのか想像してみよう。
まず、輸入品がない。輸入品とは、ものばかりではない。
思想、価値観、その他様々な情報、それらがない。
目の色の違う人もいない。
髪の毛の色の違う人もいない。
違う言語を話す人もいない。
いるのは、せいぜい、となりムラの太郎兵衛だ。
最近よそのムラから来たあそこんちは怪しげだから、しばらくは村八分にしておけだの、
よそもののくせに生意気だから袋叩きにしてやれだのと、そういう世界だ。
今、「日本人は単一民族である」とマジで言う人とか、
東南アジア系の人が日本に来ることを渋い顔で眺める人というのは、
根っから、鎖国時代の日本の血を引いている。
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ペリーが浦賀にやってきて開国したとき、
日本人が見た西欧人は偉そうにしていたに違いない。
夏目漱石の「三四郎」の中でこういう場面がある。
熊本から東京に出てくる三四郎は、
汽車の中で生まれて初めて白人を見る。
で、三四郎は言う。
「白人てのは、ああ色が白くて、鼻が高くて、背が高くっちゃ、どうも威張るわけだ。」
西欧人は、日本の民族性を「未開人」と判断し、
”Oh!Japanese!Amazing!”と叫んだかどうかは知らないが、
平たく言えば、日本人をバカにしたに相違ない。
明治政府の方は、先進国の仲間に入りたいものだから、
日本はそんなに未開国じゃないというふりをしなければならなかった。
鹿鳴館時代は、その最たるものだ。
しまだを結って着物を着ていた女性に
ある日突然ドレスを着てダンスを踊れったって無理だっつうの。
森有礼は、日本語を廃止して英語で話そうとマジで主張した。
日本人の肌に合わない思想や価値観が大量に輸入されたのがあの時代だった。
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西欧人は「愛」という美しい理想をもっていた。
隣合わせの敵国がいつ何時自分の国に責めてくるかわからない。
そんな大陸に住む人たちは、ことさら愛について強調せずには
心穏やかな暮らしができなかったんだろう。
ほら、愛を説くキリストがなぜあんなに苦しそうな顔をしているのだ。
が、日本人は西欧人的な愛という感覚をもっていなかった。
たぶん、日本にあったのは「義理」と「人情」。
男女の仲には「好いた」「惚れた」の色恋沙汰。
なんせ日本は鎖国中。
責めてくる敵もいないし、天下太平。
仏様も観音様もみんなにっこり笑っている。
愛のことなど考えなくても庶民の心は愛に満ちていたのかもしれない。
いずれにしろ、日本には「愛」という言葉はなかった。
仏教用語の「愛」はあるにはあったが、
「あってはならないもの。ない方がいい煩悩のようなもの」という解釈だった。
(橋爪大三郎「性愛論」による)
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昔の日本人の性愛がおおらかだったことは、
赤松啓介の「夜這いの民族学」に詳しいが、
そんな日本の様子を西欧人は「野蛮人」と見た。
祭りの後の乱交パーティー
性器を祭る神社
若者宿・娘宿・夜這いなど
全国各地にあったハズの庶民の性愛事情
国家は、そんなもの、日本にはもともとございませんでしたとばかりに
伝統の祭りを廃止させ、
伝統の神社をつぶし隠蔽し、
庶民の庶民による庶民のための性教育実践道場をつぶしていった。
そして、新しい道徳観を植え付けはじめた。
「女子はもっと貞淑であるべし。」
「貞操を守るべし。」
「男子は性欲を抑えるべし。」
「頻繁な手淫は身体に害をもたらすのでやめるべし。」
純潔教育のはじまりである。
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