明治の女

林道義の「母性復権」という本の推薦文に
「こんなに家族に愛のない時代があったろうか」というフレーズがあった。
私は、その文を目にして以来ずっと考えてきたことがある。
「こんなに家族に愛のない時代!?では、昔は家族に愛があったというのだろうか。」
そういう疑問だった。
どうしたら、その疑問を解くことができるのか、私は、いろんな本を読んで考えた。

  

明治32年高等女学校令ができて、金持ちのお嬢さんを対象にした良妻賢母教育が始まった。
「結婚前までは純潔を保つべし。」「結婚後は貞操を守るべし。」「家のために自分を殺してがんばるべし。」
なぜ、国は、女子にそのような道徳観を押しつけたのか。

天皇制イデオロギーの支えに「家族国家主義」というのがある。
子どもの頃、父(昭和ヒトケタ生まれ)は天皇の話になると、よく言ったものだ。
「日本ていうのはな、天皇陛下が国の一番上にいて、
日本がばらばらにならないようにみんなの家をひとまとめに束ねてくれているんだ。」
これが、家族国家主義というヤツなんだろうと思う。
私の母(同じく昭和ヒトケタ)は言った。
「天皇はこのごろ神様じゃあなくなったんだってねえ。でも、今でもエライこたあエライんでしょう?」
明治時代、天皇は、神様だった。天皇陛下万歳だった。天皇のために殉死ができた。
”天皇のために”臣民はそれぞれの家を守らなければならなかった。
お家の存続・子孫繁栄はそのまま国家繁栄につながった。

明治時代の家父長制について、ちょっと触れたい。
家で一番エライのは戸主だった。
戸主は、男だけがなれた。
戸主の発言権は大きく、戸主が認めない結婚は許されなかった。
結婚は「家を継ぐ」という大問題を背負っていたので、結婚する当事者だけで決めるわけにはいかなかった。
それどころか、本人の意思とはかけ離れたところで、戸主の一存で決められた。
女には、家の財産を管理する権利も、分与される権利もなかった。
発言権などあるはずもなかった。
夫婦の浮気については男女不平等な法律があった。
つまり、男が独身の女と関係を持つと罰せられたが、既婚女性となら罰せられなかった。
が、女は独身男性でも既婚男性でも配偶者以外と関係をもてば罰せられた。
女性の姦通罪は、つい何年か前まで存在したほどだ。
「女の本分」は「家の跡継ぎを生み、家族の幸せのために家を守ること」であった。

女に相続できる財産も所有できる財産もなかった。
女は、男の所有物であり、子孫を産む道具であった。
その道具が、戸主の血を分けない子どもをはらんだらどうだろう。
血のつながらない子どもに戸主が財産をくれてやるなんて冗談じゃない。
そんな血を分けないどこの馬の骨かもわからない子どもなんぞにビタ一文くれたくない。
それが、男のホンネだ。だから、女の姦通は許されなかった。
男の浮気は構わない。外に自分の血を分けた子がいる分には、男としては構わない。
許し難きは、妻が戸主の血を分けない子どもをはらむことだ。
お家の由緒正しき血を守るために、女性に「結婚前の純潔と結婚後の貞操」を求めたのだ。

  

明治の女だった母親をもつ某男性が、晩年の母親を偲んで言った。
ある日、彼はうたた寝する母親を見た。家族の前で一度も弱音を吐いたことのない母親だった。
彼女は、眉間にしわを寄せ、苦しそうな、家族の誰もが見たことのない、きつく険しい表情をして寝ていた。
彼は思った。
「母の人生は幸せだったのだろうか。
母はいつも穏やかで優しい笑顔を絶やさなかったが、母の心は本当に穏やかだったのだろうか。
家族には、その顔を見せなかっただけで、本当は苦しく辛い人生だったのではないだろうか。」


「こんなに愛のない時代があったろうか」
と昔を懐かしがり今を嘆く人に私は言いたい。
あなた方の知っている愛のあった時代ってなんだったのか。
女は女の本分をわきまえろといわれ、発言権も参政権も財産相続権も所有権もなく、
ただ家族と子孫繁栄のためにのみ生かされていた。
そんな時代の家族の愛って、いったいなんだったのか、考えてみていただけないか。

フェミニズムをやたらと嫌う種類の人は、
女が人間として当たり前の主張をすることをとっても嫌う。
「今の女は我慢が足りなくなった。明治の女はそんなんじゃなかった。」
そうでしょうとも。
女が我慢していた時代はよかったでしょうとも、男にとっては。
女を踏みつけて笑っていられたんですから。
我慢の足りない男たちは、我慢強い昔の女を懐かしがり、
その時代の「女の我慢」を「家族の愛」と勘違いし、
現代の女性を批判するのです。

今、愛のない時代だなんて思いません。
みんな愛を求めています。みんな愛そうとしています。
離婚が増えたといいますが、私は、「離婚は真面目に愛を求めた人の結果だ」と思っています。
女が我慢して男が威張ってた時代、男は愛で満たされていたような気分にひたれたでしょうが、
そんな家族の中で愛を感じて満足していた女性なんかいなかったんじゃないのでしょうか。
私はそう思うのです。

  

林道義氏は、フェミニズム嫌いな著書を多数書いています。
私は、彼の著書を全くお薦めしません。