ルドルフ・シュタイナーのこと
19世紀の中頃のハンガリーで生まれました。
両親(オーストリア人)は貴族の家の使用人でしたが、
ルドルフが生まれたころ、父親は無線の勉強をして、駅長になりました。
シュタイナーの子ども時代の思い出話で一番有名なのは、
なんと言っても小学校退学事件です。
ちいさな小学校で、シュタイナーのクラスは女の先生でした。
そのクラスには、いわゆる悪ガキがひとりおりました。
ある時、その悪ガキは、先生のインク壺からインクを取りだし、
インク壺の縁にべったり塗りつけるといういたずらをしました。
休み時間が終わって教室に戻った、なにも知らない先生は、
そのインク壺についたインクで服を汚され、激怒しました。
悪ガキは、「シュタイナーがやった」と、言いはりました。
先生は悪ガキの見方をし、
シュタイナーが「僕はしていない」と言っても信じてくれませんでした。
なんせ、その悪ガキ、先生の息子だったのです。
家に帰って、その話をシュタイナーは父親にしました。
父親はたちまち、学校に抗議しましたが、先生はあくまでシュタイナーのせいにしました。
父親は怒って、学校をやめさせ、自分で教育しました。
父親は駅長でしたので、シュタイナーは毎日、父親と駅舎へ行きました。
父親が石板に書いた問題を解くのは退屈でした。
それより、石板に書いた字をこすると、粉が出て字が消えることの方が興味深かったし、
駅舎で父親の仕事を見ている方が楽しかったと言います。
父親の転勤で引っ越したおかげで、その後、別の学校に入ったそうです。
結婚は二度しています。
最初の結婚は38歳のとき。
相手は、ワイマールの下宿先の女性アンナ・オイニケさん(結婚当初46歳)。
彼女には、すでに子どもが3〜4人いました。
年上の家庭人という感じの人だったようです。
二度目は、アンナ・オイニケさん亡き後、
20代の女性マリー・フォンディチルさんというパリの女優さんです。
家庭人というより、華やかな感じの若い女性でした。
シュタイナーは、いっぱい、難しいことを言っていますが、
私の心に響いていることを少しだけ紹介します。
人は、やるべきことがあって生まれてくる。
子どもは、自分で親を選んで生まれてくる。
この地域、この時代、この親を選び、
この人生でこれを成し遂げたいという目標を持って生まれてくる。
子どもの成長に親の遺伝や環境の影響は大きいが、
それだけでは、説明のつかないもの、
つまり、子どもが持って生まれた個性がある。
親とそっくり同じになるわけではないのも、
子どもが自分自身の個性を持っているからだ。
あらゆることは、人生の一番よい時にやってくる。
自分の魂に必要なことを神が与えている。
今、自分がどういう運命を必要としているのか。
神様だけが知っている。
ひとつひとつの体験が日常を越えた神との出会いである。
人との出会いは神のしくんだ技である。
その機会を無駄にしてはいけない。
運命に無駄はない。
無駄な過去はない。
過去に対して、反省して悩まない。
反省することに意味はない。
あれが精一杯の自分であった。
当時はそういう自分であったと認めることが大切。
死後の世界はある。
死後に行ったことがないと死後はないと言えるのか。
アメリカに行ったことがない。では、アメリカはないのか。
人間は前世の運命を背負って生まれてくる。
魂が肉体を選び、天界からやってくる。
死後、生前眠っていた時間分くらい反省をする。
人間は生きているとき、眠っている間に反省をしているので堪えられるが、
死後20年間から30年間は起きていて反省しているような状態でいるので、
その期間はとても辛いらしい。
人間関係は2種類ある。
一つは家族。もう一つは他人。
前世の家族は今生の友達。前世の友達は今生の家族。
前世で仲の良かった友達が、今生、仲の悪い親類だったりする。
今の親友が案外前世の兄弟だったりする。
そんな独特の考え方がある。
私はシュタイナーの言葉を「なるほど」と思います。
自分で親を選んで生まれたんだと言われちゃあ、
「生んでくれとたのんだ覚えはない」
「お前だって、生んでくれるなと言わなかったじゃないか。」
なんて、親子喧嘩できなくなっちゃいます。
「あらゆることは人生の一番良いときにやってくる」
と、言われると、
入学試験に不合格しても、不合格が人生の一番良いときにやってきたってわけで、
なんか自分の人生に失敗はないって感じするじゃありませんか。
「運命に無駄はない。」
そう言ってもらうと、行きていく自信が湧いてきます。
シュタイナーの死生観など聞くと、???と思うけれど、
そういう考え方をすると、前向きに生きられるね。辛いときはなおさらね。と、思います。
あなたは、シュタイナーの言葉からなにを感じましたか。