オイリュトミーの魅力

私はオイリュトミーの本質や理論を知りません。
実際にオイリュトミーをやって私が思ったことを述べます。

極論ですが、オイリュトミーをやっていたら、
日本の17歳はもう暴走しないんじゃないかと思います。
学級崩壊もなんのその。
40代のお父さんたちもオイリュトミーをやっていたら悲しき自殺などしないでしょう。
オイリュトミーは、体にも魂にも頭にもいい。
奉仕活動を学生の義務にするくらいなら、オイリュトミーを義務化してほしいくらいです。

オイリュトミーを一口に説明するのは難しいです。
だって、まず第一にあのオイリュトミー服は全くあやしい。
あんな服の人が公民館のロビーをうろうろしてたら、
知らない人は眉をひそめて一歩引くかもしれません。
私が初めてオイリュトミー服を作ったとき、夫は
「それ着た人が20人も集まって妙な踊り踊っていたら、誰が見たってあやしげな宗教団体だ。」
と、言いました。他にも同じ様なことを言われた友達はたくさんいます。
ある人は、ちょっと古いけど、「ママ、ベン・ケーシーみたいだね。」と言われたそうです。
木綿、あるいは、シルクの好みの淡い色合いのストンとした寸胴の長袖ドレス。
ウエストに紐を巻く。すべて直線縫いで仕上げているので、全体的になんか四角い。
でも、着ちゃえば、なじむ。
私のオイリュトミー服は、薄い紫色。
小学生の娘とお揃いで、結構気に入っている。



私は「五芒星形」とか「七芒星形」が好きです。
「五芒星形」とは、★型のこと。
一筆書きでこの★型を描くことができるでしょう。
円周上に立った5人の人がそれぞれの頂点になり、床を一筆書きして歩くのです。
イメージがわくでしょうか。
床に白線などはありません。
人にぶつからないように、正しく自分の道を通らなければなりません。
一人でも間違えば、美しいフォルムを描くことはできません。
全員の息があって、きちっと描ければ、それはやって楽しく、見て美しいものです。
上から見れば、まるで万華鏡を見るようでしょう。
5人の人が円の中心に近づいたかと思うと、
すうっと離れながら、円周上のさっきと違う場所に5人は戻っていくのです。
7人でやれば、7芒星形。
5人一組で10人でいっぺんにすることもできます。
直線を曲線に変えてのバリエーションなどもあります。

オイリュトミーの難しさは、
人のまねをしていれば済まされるというものじゃないというところです。
全て、自分の責任にかかってきます。
フォルムを覚え、人にぶつからないようにみんなの速さをみながら、
次の場所に移動しなければなりません。
移動するときは、きょろきょろあたりを見回したりしてはいけません。
正面をしっかり見つめ、毅然と美しく前へ後ろへ斜めへ移動するのです。
自己チューな人は人に迷惑かけます。不安そうにやっては美しくありません。


初めてオイリュトミーをした日の午後、私はものすごい眠気に襲われました。
10分か20分だと思います。グーッと眠りこけて目が覚めたとき、
体の中の邪悪なもの、或いは毒素が抜け出たような気分になりました。
オイリュトミーは邪心があるとできません。
結構頭も使います。もちろん、体も使います。
心は清らかとでもいいましょうか。そんな気分になります。


落ち着きのない子どもたち相手にオイリュトミーの先生はご苦労なさっていますが、
先生の魔法にも似た力で子どもたちは、美しく踊ることができます。
子どもがするオイリュトミーを見たとき、私は涙が出ました。
あまりにもかわいくて、よその子さえもがかわいくて、
みんなが天使に見えました。
15人の子どもが輪になって座っています。
最初の一人が、ピアノの曲に合わせて、両手をピンとあげ、スキップしながら輪のまわりを回ります。
元の場所に戻ってくると、次の子が先生の声かけなしに立ち上がり、
両手をピンとあげてスキップしながら輪のまわりを回ります。
15人の子どもたちがやりきるまで、子どもたちはずっと座って待っています。
自分の番では緊張します。
自分の番でないときもだらけることなく、待ちます。


最近、自己チューな人が増えています。大人も子どももそうです。
協調性に欠ける人も多いです。教師たちは、
「もっと協調性を持て」だの「落ち着きがないぞ」だのと言って激励します。
が、そんな言葉で効果があがった試しはありません。
私は、つくづく思います。
生徒に激とばしてる暇があったら、オイリュトミーのひとつでもやらせてみればいいのに・・・・
オイリュトミーでは、決して言葉で「協調性を身につけろ」「自己チューやめろ」なんて言いません。
でも、知らない間に協調性や我慢強さが育っていくような気がします。



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