幼児期の文字
シュタイナー教育では、幼児に文字を教えません。
シュタイナー的に育てようと真面目に思っている人なら、
きっと、 それで、悩むことってよくあるはずです。
だって、文字を教えてなくたって、子どもが文字の存在を発見したとき、
「これなんて読むの?」
「これ、”りんご”の”り”!!」
なんて言い出すじゃありませんか。
普通の親なら、「まあ、お利口。誰に似たのかしら。うふふ・・・」で話は終わります。
それから、だんだん全部覚えてしまったり、それっきり興味は失せたり、いろいろでしょう。
ですが、シュタイナー教育にこだわる真面目な母は、ここで迷って立ち止まるのです。
違いますか。
なぜ、文字を教えない方がいいかというと、
幼児には「知情意」の「知」じゃなく「意」を充分育てたいからだろうと私は思います。
(「知情意」は次の巻で書きます。)
私は長女には小さいときから文字を教えてしまいました。
子ども自身の魂が欲しているかどうかに関係なく、
親が子どもに「知」を押しつけたのです。
乳幼児は天から降って来るものを拒まないから、どんどん吸収します。
吸収しているから望んでいると思うのは、大人の勘違いです。
私は次女に文字など教えませんでした。
ですが、4歳に入った頃から、ひらがなに興味を持ち始め、
5歳になる前に独自にマスターしてしまいました。
彼女の文字獲得の方法はすごいです。
学校ごっこと絵本作りと手紙です。
この3つの遊びの中で彼女は親の知らない間に
ひらがなが読み書きできるようになってしまったのです。
親に止めることはできませんでした。
彼女の魂が望んでいたとしか言いようがありません。
ですから、もうしかたない、これは「知」のなせる技ではなく、
彼女の「意」がなした結果だと思うことにしています。
ちょっと、無責任で無理のある解釈でしょうか。
それとも、彼女が文字を覚えないように私はそれを阻止すべきだったのでしょうか。
彼女が自ら文字を獲得した方法のひとつ「絵本作り」を紹介します。
B5の落書き帳1枚を4つに切って重ね合わせ、背中をホチキスで止めると、本ができます。
そこに絵を描きます。
普通の絵に彼女は、字を書いたりしませんが、
「絵本には字が書いてある」というイメージを彼女は持っています。
だから、絵本には字を書かなければ納得できません。
彼女は、1ページ絵を描くごとに、私のところに持ってきて「○○と書いて」と、せがみました。
私は言われたとおり、文字を書き込んであげました。
何冊も、何冊も、びっくりするほど同じ絵本を何冊も作り続けました。
題名は「おといれ はじまり」
内容は、トイレでオシッコをして、「ああ、いい気持ち」と言って、
外へ遊びに行ってネコちゃんに会って、家に帰って、
最後のページは「おといれ おしまい」
そうそう、最初のページは、”トイレのドア”なんです。で、「おといれ はじまり」
最後のページも、”トイレのドア”で、「おといれ おしまい」
これを何冊も作っているうちに、気がついたら、自分で字を書いていた、というわけです。
彼女の頭は知的に目覚めてしまってマズイことになっているのでしょうか。
私には、わかりません。
みんなのお宅の幼児さんは文字とどんなお付き合いをしていますか。