「意」
ある時、家族でオープン・ルームを見に行きました。
部屋に入ってみると、不動産屋の人が不在でした。
が、私たちは中に入り込んで部屋の様子を見ていました。
キッチンに行きました。
突然、水道の水の音がするので見ると、
義母が観葉植物に水をやっているのです。
みんなが驚くと「枯れかけているから」というのです。
枯れかけた花を見ると、思わず、水をやってしまう。
たとえ、オープン・ルームの花でも。
「意」だ。義母は、頭で考えて花に水をやっているのではない。
枯れそうな花を見た瞬間に、もう、体が動いている。「意」が育っている。
はっきり言って私は感動したのでありました。
知情意のうち、「意」は幼児期に育つと言われています。
「意」は体を動かすことで育ちます。
赤ん坊は、ものがあれば口に入れます。触ってみます。
幼児も、そうです。
高いところがあれば、難しいことを考える前に、取り敢えず登ってみます。
飛び跳ねてみます。飛び降りてみます。走り回ってみます。
箱があれば、ふたを開けてみます。
ものを入れてみます。ふたを閉めてみます。
なんでもやってみます。
一見思慮深くない、こうした動き、行為、行動を通して、意思が育っていきます。
お母さんのまねをして、洗濯物をたたんだり、食器を洗ったり、
掃除をしたりすることも大いに意思を育てます。
意思の力は「生命力」です。
幼児期に培ったこの力は、大きくなってから、行動を起こす力の源になります。
実行力のある人、それは意がよく育っている人と言えます。
「意」は、ペーパーテストに強くなるような暗記をたくさんしても育ちません。
このごろ、「意」が充分育っていない人が増えています。
手間のかからない生活で「意」が育ちにくくなっています。
今、話題の事件を起こす17歳なんかもそうです。
幼児期、いろいろな体験を体でしていないのです。
だから、思春期になって心と頭のバランスを崩したときに
体の中にいろいろな体験がないから、
自分がどういう行動をとったらいいのか、わからないのです。
それで、あんな突拍子もないことしかできないのです。
彼らも、毎日、家の廊下の水拭きでもしていたら、
あんなことしなくてすんだのではないかと思います。
70歳を越えて大変元気なおじいさんがいます。
いまだ現役で活躍している大学教授です。
彼が毎日、家の中で自転車漕ぎをしているという話を伺いました。
彼いわく、「運動すると頭がよく働くんだよ。」と。
私はたまげました。
「おお、意思の働きを衰えさせないための方法をご存じか!!」
意を刺激して知を働かせる!
このおじいちゃんはシュタイナーのことなど知りませんから、
そんな理屈でやっているわけではありませんが、
私は、「たいしたじいさんだ!!」と、感動したのでありました。
私は病人の看病が苦手です。
「これだけやっておけばいいだろう。」
「あとは、なにをすればいいんだ?」
病人が熱でうなされていると、イライラしてきます。
心(情)はイライラしながら、頭(知)でそれを押さえて、
取り敢えず、今やるべきことを考えて行動します。
「意」から出てきた行動ではないのです。
「知」でしか看病できないのです。
心をこめて、自然な看病ができる人をみると、
看病する「意」が育っているのだろうなと思います。
そんな看病ができない自分が悲しく、
それができる人には頭の下がる思いがします。
我が家の子どもたちには、
毎晩、自分の部屋とリビングを箒で掃き掃除してもらっています。
子どもたちはお気に入りの箒で喜んで掃除してくれます。
頭ばっかりの理屈屋さんより
体の動く行動派に育てたいなと思います。