人間の本質

初めてシュタイナーの著書を読んだとき、いきなり「エーテル体」という言葉が出てきた。
私は高校の物理か化学で習った「エーテル」という言葉を思い出した。
なにか宇宙のどこにでもあるとかいうそんなしろものだったような、そんな気がした。
(でも、物理や化学とは関係ないそうです)

ある日、私は、この有名な言葉の意味がわかったような気がした。
そして、浅はかにも、その感動を夫と共有したいと思った。
夜、仕事から帰ってきた夫を捕まえると、早口でまくし立てた。

人間の本質は、肉体・エーテル体・アストラル体・自我である。

肉体とは物体のこと。
エーテル体とは生命体のこと。
アストラル体とは、感情体のこと。
そして、自我。

石は物体だけれど、生命体ではないの。石に命はないでしょ。
植物は、成長したり枯れたりするでしょ。だから、生命を持っているの。
そういうのを生命体、つまりエーテル体っていうの。
動物は、アストラル体を持っているけど、植物はアストラル体を持っていないわ。
植物が喜んだり、悲しんだりしないでしょ。
ま、サボテンに心があるっていう人もいるけど。でも、そんなの普通、見えないわ。
でも、犬とか猫は誰が見ても喜んでるとか怒ってるとかわかるわよね。
それは、彼らがアストラル体を持っているからよ。
で、人間だけが持っているもの。それが自我。

「自我ってなに?」
夫の冷たい声。
「自我は自我よ。自我の目覚めとか言うでしょ」
「だから、自我ってなによ」
「う〜〜〜ん」
とうなっていると、その次の質問に襲われた。
「それでなんなの?」
「え???」
「だから、エーテル体とかアストラル体とかが人間の本質なんでしょ。それでなんなの?」
「それでなんなのって、そうかなって思うとなんかそうだなって感じがするじゃないの!!!」
私はかなり不愉快になり、もう二度とこういうヤツには、話すまいと心に誓った。
が、またしばらくすると、その誓いをすぐに忘れて熱弁してしまう私なのだ。

私の友人も同じような思いをしている。
やっぱり、エーテル体の話とかを愛しのダンナさまにしたらしい。
友人夫婦が子どもたちをつれて、うちに遊びに来た。
友人と私が、木綿とシルクのオイリュトミー服の違いを話をしていると、
そちらのご主人が言い出した。
「あ、あれですね。こう、体から出るんでしょ、あれ、あの、杉田玄白」
「な、なんですか?」
「エレキテル」
「ええ!!エレキテルじゃないですよ。エーテル体ですよ」
すると、私の夫が
「エレキテルは平賀源内でしょ。杉田玄白は解体新書」
なんて言ってるうちに、そちらの奥様(私の友人)が怒り出して
「もう、そうやって、人をからかうの、やめてください!!」

「ねえ、子どもが寝てるときって、
私たちがどんなに面白いこと言っても笑わないのはどうしてだと思う?
アストラル体が体から抜けているからなのよ!!
寝てるときって、人間の体からアストラル体が離脱してるんだって。
ね、すごいと思わない?」
「離脱ときたね。じゃあ、体からエーテル体が離脱すると・・・」
「死ぬのよ」

夜になって、子どもたちが寝静まった。
上の子は、一度寝てしまえば、もう、たいてい朝まで目を覚まさない。
が、下の子は、一回くらい起きることがある。
私がそばで寝ているときは、あまり起きない。
子どもが寝ている部屋から一番離れた部屋で
夫とおしゃべりをしているときも、ほとんど起きない。
それなのに、SEXしはじめると、必ず起きる。
「おかあさーーん」
という泣き声がして布団の上で立ち上がっていたりする。
それも、SEXの始まりの頃じゃなくて、必ず一番いいところあたりで泣き出すんだ。
ある晩もそうだった。
「なんなんだ、あいつはーーー!!いやがらせしてるんじゃないのか!?」
と夫が怒った。
アストラル体だよ。アストラル体がとんできたんだよ。」
「で、さっと体に戻って目を覚ましてたってか」
「そうだよ、絶対。アストラル体がこっちの部屋まで飛んできたんだよ」
「なわけねえだろ」

シュタイナー教育を実践しようとしている普通の家って、どうしているんだろう。
みんな夫婦でシュタイナーの本を読みふけって、難しい会話をしてるんだろうか。

もっと詳しく知りたい方は
「神智学の門前にて」R.シュタイナー著(イザラ書房)
などをご参照ください。

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