ヴァルドルフ人形(涙と笑いの裏話)
ヴァルドルフ人形には、目鼻がない。耳もない。
目鼻をつけるときは、色鉛筆でうすーく小さく描く。あまり表情はつけない。
その日の子どもの気持ち次第でどういう顔にも見えるような余地を残してあげる。
おめめぱっちり、いつ見てもニッコリ顔、なんていうのは、いけない。
上の子が、年中のころから、私は手作り人形の会に入って抱き人形を作り始めた。
羊毛のゴミ取りに始まって、羊毛をころころ玉にして、人形の頭を作り、・・・
しかし、当時1歳の下の子を連れて参加するのは、至難の業だった。
2時間教わる間、子どもが泣いて抱っこしてて30分、
おやつの時間で30分、外に行きたいとぐずられて30分、
ああ、私きょう何しに来たの?
そんな日々を繰り返しながらも、月1回のその会を楽しみに通っていた。
2年かかってようやく人形は仕上がった。
あとは、かわいらしく、上品に、うっすらとお顔を入れたら出来上がり・・・
私は、完成間近の人形を、もう、子どもたちに見せたくてたまらなかった。
今まで、大事にしまっていた未完成の人形を袋から出し、部屋に飾った。
子どもたちは、ときどき抱いて遊んでくれた。
もうしばらくしたら、この子にあったイメージの顔を入れよう。
そう思っていた。
夕方、私は外から帰った。
子どもたちは、父親と近所に買い物に出かけていた。
なんだー、こりゃー!!
大事なヴァルドルフ人形に顔が描いてある。
しかも、サインペンで鮮やかに!!
ニッコリ笑った天真爛漫なアホ顔。
鼻もある。
し、しかも、ピンク色のサングラスをかけている。
耳もある。
おお、神様!!
私は、その人形を両手かかえ、その場にへたり込んだ。
涙が出てきた。子どもみたいにワーワー泣いた。
泣きやんでみると、無性に腹が立ってきた。
あの、バカヤロー。描いたのは、長女に決まっていた。
怒り心頭した私は、気がつくと、夫の携帯に電話をかけていた。
「人形の顔見た?」
「見たよ。」
「もう、帰ってきたら、泣くまで怒ってやる!!」
私は、いかに頭に来ているかをさんざん述べ、電話を切った。
それから、十分くらいたったころか、今度は、夫から電話がかかってきた。
「あのさ、あなたが彼女を怒るっていうのは、別に構わないけど、
確か、子どもを生む前、よく、私は叱らない教育をするとか言ってたよなと思ってさ。
平井信義はすばらしいとか。
別に怒りたいなら、怒ってもいいけど、」
と、言うんだよ。
「あ、そうだっけ。そんなこと言ってたこともあったっけ・・・」
と、電話を切った。
それから、夫の言葉を思い出し、子どもを生む前の自分の理想を思い出した。
描かれたくなければ、安易に袋から出さなければよかったのかもしれない。
「顔はお母さんが描くからね」と言っておけば良かったのかもしれない。
そ、それにしても、なんなんだー、この顔は!!
30分後、子どもたちが帰ってきた。
私は、子どもに人形を見せた。
上の子は、ニコニコしながら、
「お母さん、顔を描いてあげたよ。」
と、言う。よくよく聞いてみると、妹が、上の子に
「顔を描いて」
と、ねだったのだそうだ。
だから、親切に顔を描いた、というわけだ。
私は、それでも、言った。
「でも、お母さん、この人形、2年もかかって作ったんだよ。
顔も、お母さんが描きたかったな。」
娘は、「うん」と、言ったきりだった。
それきりだった。
が、30分後、突然、娘は、泣き出し、
「今度は顔描かない。」
と、言った。
その顔がイヤで、私は、人形をしまってしまった。
どうにも好きになれないまま、次の週の会に、やむなくその人形を持って行った。
「わー、かずみさんにそっくり。」
ある人が、見た瞬間に言った。
園長先生に見せた。
「仏師は、最後に仏像に目を入れるといいますが、
そのとき、仏師は魂を入れるそうです。
○○ちゃんも、この人形に目を入れて、○○ちゃんの魂を入れたんでしょうね。」
な、な、なんと、彼女が、この人形に魂を!!
そう言われて家に帰って一人でじっくりその顔を見つめた。
熟視できなかった人形の顔をじっと見つめてみると、なるほど、かわいい。
その晩、子どもを抱っこしたとき、私は、娘にそっと言った。
「お母さん、この人形の顔、好きになってきたよ。」
我が家のサングラス・ニッコリ顔のヴァルドルフ人形は、
今も、相変わらず、元気にニッコリしている。
ちょっと、元気を失いそうなときも、
この顔を見ると、なんか元気が湧いてくる。