子どもの遊び
一人遊びが大切と聞いたとき、私は、
「じゃあ、一人で遊ばせなくちゃ。」
と、思いました。
一人で遊んでいるかどうかばかりが気になって、ちょっとでも、親を求めてくると、
「一人で遊びなさいって言ってるでしょう!!」
と、わめいたりしてしまう融通のきかない親でした。
ある時、幼稚園の先生から、
「遊べる場の設定や環境は親が作ってあげないといけない」
と聞いたとき、
「一人遊びって、そういうことか。」
と、なんかホッとしたのを覚えています。
一人と言えば、全部一人で、というわけじゃない。
大人と一緒に暮らしているのだから、
一人で遊んでいたって、大人の手が借りたいときは貸してあげればいい。
一人で遊んでいても、不便が起こると、子どもは親のところに来ます。
用事の手を休めて、私は気軽に付き合います。
それは、積み木がバランスよく積めないときだったり、
たき火の火に見立てられるものがほしかったり、いろいろです。
要求に応えてあげると、子どもは、親を尊敬します。
自分のイメージにあったことを簡単にやりとげてくれる大人はすごいと思うようです。
要求に応えられないことだってあります。
子どものイメージが私に伝わってこないときとか、物理的にそんなこと無理なときとか・・・
子どもは怒って泣きます。
そんなとき、しかたがないので子どもには泣いていただきます。
気がすむまで泣いて、気がすんだら、抱っこしてあげます。
そうすると、「やっぱり、これでいい。」とか言って、その先に進むことができます。
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うちの4歳児の場合、友達と遊ぶのも大好きですが、一人遊びも得意です。
見てると、とっても面白いです。
こびと人形が二つか三つ、それに木の積み木がいくつかあれば、
独り言を言いながら、即刻、自分の世界に入り込みます。
まさに、彼女はその時、世界の創造主になっています。
創造主は、世界の中心にいます。
自分の思いのままに世界を作ることができます。
人形を動かし、口を動かし、彼女の思いのままに物語は進みます。
興じると、歌い出します。
作り歌です。
いい声で歌います。
まさに天使の歌声です。
が、それを壊すヤツがいます。
「ちょうちょがー、いまーすー、だって、ハハハ・・・」
姉にバカにされた時の妹の怒りは、神のお怒りにも似ています。
親子で一緒に遊ぶこともあります。
娘は、今、幼稚園ごっこが好きで、私に先生になってくれと言います。
先生の役は簡単です。
朝、幼稚園に子どもが来たら、握手をして「おはようございます」と
言ってあげればいいだけですから。
その後は、娘がひとりで適当に遊んでくれて、要所要所で先生が必要になると、
一緒に御飯を食べたり、遠足に行く電車に一緒に乗ったりさせられます。
セリフも子どもがああ言えこう言えと命令するので、その通り言ってあげます。
で、抱っこして「さようなら」と、言えば幼稚園ごっこはおしまいです。
赤ずきんちゃんごっこは得意です。
私はすぐおばあちゃんの役を立候補して、ソファーに寝てばっかりいます。
遠足ごっこで、寝台車に乗ったことにして、
お母さんはソファーでグーグー本気で昼寝をしてることもあります。
親の後ろ姿を見て育つと言いますが、
私は、後ろ向きでなく、前向きに堂々と寝ています。
一人遊びが大事だからって、
なにがなんでも一人で遊びなさいと言ってるわけではありません。
ついでに言えば、遊びの内容は、小さいうちから、ゲーム三昧っていうのより、
やっぱり、古くっからの「ごっこ遊び」に勝るものはないと思います。
ごっこ遊びは現実生活の模倣と再生そして創造です。
こんな楽しい人生の学び方はほかにないのではないでしょうか。