権威と権力
”権威”という言葉はとても誤解されています。
”権威”を
”権力を振りかざし威張ること”
と解釈しているような人がいたりします。
”支配と服従”関係の親子を知っています。
母親の権力が強すぎて、それに従うことしか知らない子供は、
自分の頭でものを考えるのやめていました。
自分が今日着たい服を決めることもできません。
電車で席が空いても座っていいかどうかママがいないと決められないのです。
母親は自分が敷いた人生のレールの上を自分の子どもに歩ませようとしています。
それが子どもの幸せのためだと信じています。
その母親は自分が子どもに”権力”をふりかざして
子どもの人権を踏みにじっているのだなどとは微塵も思っていません。
大人の”権威”とは、なんでしょうか。
運動会が近づくと、年長さんたちのリレーの練習が始まります。
年中さんは応援します。
並び順は決まっています。
欠席の子どもがいると、園長先生が替わりに走ります。
園長先生が、
「あまり速く走りすぎて他のチームとかけ離れてしまってもいけないし、
わざとゆっくり走るのもいけないし、
やはり、園長としての”権威”を持って走りたいので、
子どもには負けられない。
ですから、いつもどのくらいの速さで走るか考えながら走っています。」
と、言うのを聞いたことがあります。
園長としての”権威”です。
このごろ、”権威”をもたない大人が多いような気がします。
大人は権威をもって子どもを導くべきです。
理不尽な命令ばかりする自分勝手な人は”権威ある人”とは言えません。
そんな人が「ああしろこうしろ」「あれはだめ、これもだめ」
と言っても、子どもの心には響きません。
でも、導いてもらいたいほど信じられる人から
「それはいけないよ。」と、言われたら、
「そうかな」と思えるじゃありませんか。
それが”権威”かなと思います。
「子どもの人権」とか「子どもの自主性や判断力を育てる」とか言って
多くの大人たちが、子どもを導かなくなったのだと思います。
人の道を知らない子どもがどうやって判断すればいいのでしょう。
「好きにしていいよ」と言われて、どうしていいかわからなくなるなんてことは、
大人だってよくあるはずです。
そう、あの自由研究のイヤだったこと。
尊敬できる大人に導かれて育った子どもこそ、自由な大人になれるのです。