戦前の国有林1年間の伐採量は1千万立方メートル程度であったが、昭和12年以降の概ね戦時中といえる10年間の伐採量は1億6千万立方メートルに及ぶほか、ピーク時の昭和18年、19年には1年で2千4百万立方メートルを超える伐採が行われた。
このように大量の森林伐採が行われたことから、戦争直後、すなわち国有林発足当初は、台風などに伴う洪水や土砂流出災害が続発し、伐採跡地の造林が急務となり積極的な造林が展開された。
また食糧難に見舞われたため食料生産用として約40万ヘクタールの国有林が農地に放出転換された。
昭和30年以降になると経済活動が活発となり、木材需要が急激に増加したことから、木材の生産要請が高まり、年間2千3百万
立方メートルを超える伐採が行われた。
この結果、戦後の国有林の利用可能蓄積量8億立方メートルといわれたものに対し、昭和22年から47年までの25年間に4億5千万立方メートルに達する膨大な木材が国有林から伐採供給された。
一方、昭和39年までに木材貿易の自由化が進められ、丸太については殆どが関税無税で輸入可能となった。
当初は外貨不足もあり外材輸入も少なかったが、後半の25年の間は、為替の変動相場制への移行し、円高基調となったことなどにより、外材輸入が急激に増加するとともに木材価格が低迷し、さらに加えて戦時中及び前半25年間の大量伐採による資源力低下もあり、国有林経営は昭和50年以降、それまでの概ね黒字の状況から赤字状態に陥ることになった。
また昭和40年代以降は、森林に対する国民の要望も国土保全、環境保全面に力点をおいた経営管理を望む声が高まってきた。
国有林の経営も伐採量の減少(後半25年で約3億立方メートル)の中で要員の縮減(昭和39年の8万9千人から平成9年の1万5千人に減少)を行ったものの経営状態は年々悪化して現在に至った。
なお昭和51年度より財投資金の借り入れにより造林事業などを実行してきたことにより現在3兆円を超える債務が累積することになった。