「草原明珠」ハイラルを訪ねて 砺波 桂子 千由紀
九月中旬、母と私は初めてハイラルを訪ねました。祖父母が暮らし、伯父達が少年時代 を過ごし、母が生まれた地、ハイラル。中国へはそれまで何度か旅行したことがありましたが、母にとっては初めての中国、それも見知らぬ内蒙古の一都市への個人旅行でしたので、不安がなかったと言えば嘘になります。
けれども、ホロンバイル地域緑化推進協力会会長である福田道治氏のご理解と伯父である伯山量眞氏の尽力、現地の呼緑協会員の方々の暖かいお心遣いのおかげで、思いのほか素晴らしい旅となりました。
観光シーズンを過ぎた秋のハイラルはもうずいぶんと寒く、木々は紅葉を始めていました。
広々とした道路の両脇には街路樹が植えられ、街は北京に比べて整然としていましたが、商業ビルや交通量は比較的多く着実に発展しているようでした。
「中日友誼林基地」は、そのような繁華街からほど遠くない場所にありました。
それまで、伯父が同窓生等とNPO法人で活動をしているらしいことは聞いていましたが、恥ずかしながら、その内容については殆ど知りませんでした。
ですから、実際に樟子松が植林された現場を拝見し、厳しい環境に対処するために独特な植林方法を採用していることや、区(注、ホロンバイル市ハイラル区のこと、旧ハイラル市)が呼緑協ととも
に展開Lている緑化事業が大きな成果を上げていること、そして次世代の環境教育にも非常
に熱心であることを知り、非常に大きな感銘を受けました。そこに至るまでの道程は、決
して平坦なものではなく、大変な根気と忍耐を要したに違いありません。
広大な敷地に植えられた樟子松はまだ若くはありましたが、大地にしっかりと根を張って、黄金色に輝く草原に緑の木々が揺れる灯をまっているかのようでした。
今回の旅行で、偶然にも私たちが乗るハイラル行きの飛行機が、日本で研修を終えたばかりの劉静忠副区長、肖平区林業局長、劉柏林旅遊局副局長諸氏といっしょになったのは非常に幸運でした。
とりわけ肖平局長には大変お世話になり、帰国直後でお疲れであったでしょうに終始私たちを気遣って下さり、どんなに感謝しても尽くせないほどです。
劉静忠副区長とは幸いにも食事をする機会に恵まれ、「第二の故郷」への訪問として母を快く歓迎していただき、優しい人柄で私の拙い中国語にも耳を傾けて下さったことが、特に印象に残りました。副区長が言われたように、二国間の政治的関係はときに微妙で複雑ですが、そのような時代だからこそ、草の根から友好関係を築いていく必要があります。
そのためには、私たち若い世代も日々「奔走」している年長者に負けてはいられません。
離職後も各分野で活躍する呼緑協の方々に対して深い尊敬の念を寄せると共に、母も私も、地球環境問題と異文化理解に対する思いを新たにさせられました。
滞在中、お忙しい中通訳を引き受けて下さった劉柏林旅遊局副局長、蘇都老師そしてたぐいまれな運転技術と楽しいユーモアで私たちを和ませて下きった胡
林業局員におれいをもうしあげなければなりません。
皆様の優しさを思うにつけ、ハイラルへはまた何度でも行きたい気持ちになります。
母の生まれた故郷に関わる多くの方々との素晴らしいご縁に感謝しつつ、日夜努力を続けられている呼緑協の皆様のますますのご活躍とご健闘を心からお祈り致します。
注記(小澤普照)、ここに、ご紹介したした文章は、かつてのハイラル小学校の級友であり、またNPO法人呼緑協のメンバーである伯山量眞さんの妹さん親子のハイラル訪問記です。