森林随想「2008年新春に想う」(森林の水循環機能)


昨年末、月探査衛星かぐやの月面写真をご覧になった方が多いと思う。
その鮮明な写真に感嘆の声を発したものの一人であるが、「美しい」との印象を受けた人も多いようで、テレビ放送ではそのような声も聞かれた。
月が美しいというより、月から見える地球が美しいという話である、という人もいるようである。
私の印象は、これだけ大小無数のクレーターが存在する月には、やはり生物は住むことはできないなということである。いわゆる月のあばたには、隕石などの衝突によって生じたものが多いと想像できるが、われわれの住む地球は、表面を覆う大気の層によって護られていることを改めて思い起こさせてくれた。
地球に生物が生存できるのは、太陽エネルギーとともに、大気と水が存在するからである。ところで大気の層は薄衣の如きものであって、これが地球を護って来たと考えると、まさに宇宙の奇跡といえる。
ところが特に近世以降、人類は大気や水の汚染をし続けてきたといえる。また、現今では、二酸化炭素等の温暖化ガスの排出も理性では悪いことと承知しつつも容易に削減できないでいる。
また水についても、その総量が一定で、しかも真水はたかだか3パーセントほどといわれているにも関わらず、蒸発と降雨による循環のお陰で浄化されるのをいいことにして、汚染防止の努力を怠ることもあり、また大気の汚染拡大もあって降雨の際に水も汚染される状況が生じている。
ところで、年明けの国会論戦のテレビ中継の中で、森林機能と水の関係が議論されていた。どうやら森林の保水機能についての議論で、森林の蒸発散と水の流出の関係というようなかなり科学的な話であった。いずれ議事録も読んでみたいと思っているが、どうやら森林が水を消費しているということで、この部分が先ず気になったところである。この場合、消費と言うのは、学術用語として使われたのかも知れないが、一般の視聴者にとってどう受け止められたのだろうか、蒸発散についていえば、液体としての水が気体としての水蒸気に変わるという話であって、水の自然循環の一環であり、自然の摂理のなかでも重要な事柄と考えている人は多いのではないかと思う。
元日本学術会議森林工学研究連絡委員会委員長であり、また水文・水資源学会会長でもあった塚本良則氏の講演録
(参照、http://ecobank.pref.shizuoka.jp/mizu/milib1202.html)の中では、森林が「緑の蒸発ポンプとしての機能」していると解説し、水を消費しているとの言葉はない。つまり「森林は、葉面積指数が大きいことと、樹冠の凹凸が大なことにより、他の植物に比べ、水の蒸発散量が非常に多い。木を伐ると、蒸発散量が減った分だけ、川への流出量が増える。増加量は間伐の割合に比例する。→ これにより、川へ流出する水の総量を調節することが可能」と述べている。
しかし、この中の「木を伐ると、蒸発散量が減った分だけ、川への流出量が増える」というところだけを取り出して強調するとどういうことになるか。すなわち「樹木・森林は水の大量消費を行い下流への水供給、特に渇水期における機能(いわゆる渇水緩和機能)はない」という話に繋がってくる。事実このような持論の学者などもおられるようである。
一方、流出量が増加し、蒸発散量が減少すると付随してどのような事象が発生するのかということについては議論が不透明、不十分である。すなわち、流出量が増加すれば土砂流出も増加する。淡水が減って海水が増える。地下水への影響はどうか。蒸発散量が減少すれば、気温が上昇するのではないか。一方、湿度は低下するであろうというような事柄はそれぞれ水循環にどう影響するのであろうか。
つまり、筆者の見るところ、関連して発生することについての論議や森林の機能解明が未だ不十分ではないかと考える。
森林が形成する空間は、高々、地下数メートルから地上数十メートルをカバーするに過ぎない。しかし直接、間接の機能や影響をトータルに考えると非常に広がる。また、森林は上下の寸法はさほどではないが平面的広がりを考えるとその機能は極めて大きい。渇水対策を考える場合でも、大集水面積を対象とする場合と局地的対応を考える場合は方法論が異なることもあり得るので、「森林とは」というような議論展開は科学的に妥当かどうかということも含めた、着実な議論が望まれる。関連して、例えば、水の地中貯留を考える際、樹木の根の及ぶ範囲のみでは、短期間の貯留機能に止まるかも知れない。
しかし、森林が地下水貯留にも貢献していると考えると、たとえ短期間の水分の森林土壌滞留でも地下浸透への効果があるといえるものであり、さらに、渇水期対策として、より森林の機能を高めるためには、単に間伐や植林などの手法に止まらず、増水期において地中や地下への浸透促進技術の開発・推進に努力することで降雨の資源化に役立つといえる。また蒸発散にしても、日本の場合は海からの蒸発によって大半の降雨量が賄われていると、あっさり言われる科学者もおられるようであるが、かつて岐阜県付知川上流の森林の中で雨量観測を試みたところ、近距離に所在する町役場での観測より、遙かに多い降雨量を観測した記憶があるが、このことは何を意味しているのであろうか。また、わが国のような降雨量に恵まれている国でも十年に一度くらいは、あるいはもっと頻繁に渇水年があるといわれているのであるから、海面からの蒸発水分を計算に入れるにしても、流域森林の水循環機能を軽視すべきではないと考える。議論も良いが、森林測候所が欲しい。
アマゾンの森林で一カ月にわたって森林の調査をしたことがあり、丁度乾季ではあったが、毎日午後にはスコールがあり、かの大森林がまさに「緑の海」として水の循環に大きな役割を果たしていることが実感できた。もちろん雨季には森林内部も水に浸かるいうことであるが一年を通じて対岸がかすかに見えるか見えないかというほどの大河の流れが弱まることはない。
また一方、昨年、一昨年のいずれも四月に二年連続して、中国新彊ウィグル自治区つまりタクラマカン砂漠において森林造成にチャレンジするため訪問した。
(参照、http://www2.u-netsurf.ne.jp/~s-juku/china_silkroad_shokurinkikou_0704.html) 
その時、トルファンで耳にしたのは、昨年四月までの一年間、つまり筆者が再訪するまでの間、全く無降雨であったとのことで、年平均降雨量僅かに16ミリとのことである。
見渡す限りの砂漠と岩石の地域である。水はどこから来るのか。標高5500メートルほどの広大な天山山脈を覆う氷雪が頼りである。昔から地下水路が築かれてきた。もちろん伏流水、地下水の利用も行われている。
なお中国では、ご承知のように黄河流域の渇水はひどく、長江からの導水工事も進められているが、一方降雨量も少なく、水不足の中で黄色の大地を緑の大地に変えるため植林活動が国を挙げて進められているのは何故か。かつて存在した緑を回復することで、水循環を安定させ、降雨量の増加を期待する気持ちがあるからと思われる。
メキシコシティを訪問したこともあるが、標高2000メートルを超える高地にあり、森林の生育条件は良いとは言えない。水は地下水等に依存しているとのことであった。
森林を伐採することで流出量が増えるかどうかという議論が、短期的、局地的な観点から行われているのかどうか。いずれにしても一部専門家だけの議論ではなく、より広範囲な議論が望ましいと考える。
人類は世界の森林を半分に減らしたという。特に産業革命以後において顕著である。人口は10倍近く増加したものと思う。従って水需要も急増した。汚染も進んでいる。
森林と水との関係を消費というような言葉で結びつけるのではなく、すべての生命にとってかけがえのない資源としてとしての水の循環に大きな貢献をしている森林に対する適切な評価とこれまで失われた森林を何処まで回復させることができるか。洞爺湖サミットも近づいている。世界の主要国としての日本は世界の森林回復や森林機能の向上に積極的な提案や活動をして欲しい。
国内的にも、未来の森林を照らす「森の灯台」となるような地域や人材が増えることを2008年の新春にあたり強く願うものである。
(平成20年1月31日、小澤普照記)


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