旧東海道を歩いていると、神奈川宿から保土ヶ谷宿に向かう途中の旧芝生村(しぼうむら)で八王子道との分岐を示す追分道標を目にする。この八王子道が、横浜開港以降、絹の道とも呼ばれていた道である。
安政5年(1858)、日米修好通商条約が調印されると、翌年横浜港が開港され、日本の生糸が横浜から大量に欧米へ送られるようになった。多摩地域や長野、山梨、群馬など各地で生産された生糸は一旦八王子に集積され、そこから浜街道(絹の道)を通って横浜へ送られるようになった。
八王子を出た絹の道は、多摩丘陵の鑓水峠を越え、町田街道の田端、原町田を経た後、八王子街道を通って横浜へと向かった。芝生村の追分で東海道に出ると、少し江戸の方に行った浅間神社の近くから、開港に伴って新たに整備された横浜道を通って横浜港に至っている。
神奈川往還とも呼ばれる45kmほどの絹の道は、現在、開発により往時の姿の大部分が失われているが、一部が鑓水峠に史跡・絹の道として残されている。鑓水は、この生糸の流通で財を成した鑓水商人に支えられて大いに繁栄したところだが、明治41年の横浜鉄道の開通などにより衰退している。
我が家から近い小田急町田駅の駅前広場に絹の道碑が置かれている。ちなみに、ちょうどこのあたりで絹の道は鎌倉街道と交差している。
かねてから何となく身近に感じるこの道を、そのうち歩いてみようと思っていたが、桜もほころび始めるこのところの陽気に誘われ、思い立って出かけることにした。