日光街道

2010年秋、私にとって初めての街道歩きであった鎌倉街道を完歩し、次は江戸五街道の一つ日光街道にのぞむことにした。季節は、ちょうど紅葉が見ごろの時期だったため、日光から日本橋に向かって歩き始めたのだが、その後、あらためて日本橋を起点に歩くことにしたので、この紀行ではちょっと変則的だが、全体を日本橋から日光に向けた流れで記述している。

日光街道は日光道中ともいわれ、江戸日本橋から鉢石宿の神橋に至る36里3町2間(約148km)の道で、東照宮参拝客のほか大名の参勤交代にも使われ、江戸時代を通して賑わいを見せた。


家康が五街道整備に着手したときは、奥州道が江戸日本橋から宇都宮を経由して白河に至る道としてあり、日光街道は宇都宮から鉢石間とされていた。しかし、日光東照宮の完成に伴い、日本橋と鉢石間が日光街道となり、宇都宮までは奥州道と兼ねることとなった。

ちなみに、歴代将軍の日光社参には日光御成街道が使われ、本郷追分、岩淵、鳩ケ谷を経由して岩槻で宿泊、翌日幸手から日光道中に合流し鉢石に向かっている。
また、奥の細道の旅に出た芭蕉は、深川から船で千住まで行き、そこから日光街道で鉢石に向かうが、途中の小山から壬生道、例幣使街道を通り、今市からは再び日光街道で鉢石に向かっている。