子づれDE海外滞在記 5 チェコ


プラハのアパート

ロンドンを出て、チューリッヒ経由でチェコに入った。迎えに来てくれたイジーとガビー夫妻とは、彼らが日本の文部省の奨学金で大学院に留学しに来ていたときに仲良くなった。日本でお金を貯めた二人は、物価が日本の約2分の1であるチェコの首都プラハに1年前に戻って、20代前半にしてアパートを買った。イギリスのジェーンの築200年の家もそうだったが、細かい装飾が施された古い建物(ここは築100年)の外観に手を入れる場合は国の許可が必要になる。しかし、内側は床の張り替えからキッチンの配置まで、自らの手で丁寧に全てを造り替えるのが普通で、着いた時にはちょうどリフォームし終わったところだった。
ベルリンの壁が崩壊した1989年に、プラハでも革命が起こった。その時、ガビーは革命広場にいたという。デモで人がすし詰めで危険だったので、隣接する建物の2階部分から脱出させてもらったという話を生々しく聞かせてくれた。しかし現在でも社会主義の雰囲気は色濃く残っており、町で買い物しても店員にサービス精神も笑顔も無く、「Thank You」の一言もない。革命以前に国外旅行はできなかったので、郊外に小さなセカンドハウスを持つことが贅沢だったそうだ。イジーのご両親の別荘に同行させていただき、ガスも水道もない週末の生活を一緒に楽しませてもらった。
彼らの家には、日本人の居候がいた。祐子さんはプラハの大学でチェコの歴史を勉強するために、現在チェコ語を特訓中である。また、喫茶店でも偶然チェコ在住の日本人と知り合った。隣に座った60代位の女性は、「私たち夫婦は、定年退職後にチェコに移住した唯一の日本人」だと言っていた。湖の畔に豪邸を購入したそうだ。安全で文化的で物価が安く、意外と日本人の移住には適した国なのかもしれない。
しかし祐子さんが言うには、この国ではアジア人蔑視が今も存在する。クレジットカードで支払おうとしたら、サインした漢字を見て「このハネの部分が違っているので売らない」と言われたこともあるそうだ。昔ロシア人マフィアが多かったのに代わって、今では中国人マフィアが多いらしいのだ。日本人も中国人も彼らにとって同じアジア人なのである。

チェコの文化

イジーとガビーの話では、彼らの子どもの頃から両親とも仕事を持つことは当たり前で、小学校はお昼で終わり、親は二人とも必ず3時に家に帰って、それから家族でピクニックに行ったものだそうだ。しかし資本主義の波が押し寄せる今、親が3時に帰るのは難しくなってきているという。二人はあの頃が懐かしいと言っていた。イジーはプラハのアメリカ資本の企業で働くが、毎日必ず夜7時には家に帰る。そして、週2回はガビーとコンサートへ(1000円以下でチケットが買え、種類も回数も大変多い)、1回はサッカー、1回はバレーボールへ出かける。燎平をガビーにみてもらって私もコンサートに出かけた。3歳位からの子どもがおめかしして両親と客席に座り、紳士・淑女らしく音楽に聴きいっていたのには感心した。
また、チェコの子ども達はマリオネット観劇にも親しんでいる。料金は2000円程で安いが、幼稚園等がまとめて買うので、なかなか個人でチケットが手に入らない。燎平と2回通って、数時間ねばってやっと最後列に入れてもらったが、なんと最前列は大使館関係らしき日本人数家族が占めていて驚かされた。
チェコにも日本のアニメが入ってきているが、暴力やセクシーシーン等カットしなくてはならない部分が大変多いという。チェコでは、相手が悪者でも暴力で叩きのめすことは許されず、ウルトラマンのようなヒーローものは放映できないとのことだ。昔話で「鬼退治」に慣れ親しんでいる日本人にとってはショックである。


続く