子づれDE海外滞在記 6 スイス


日本人高校

今回最後の訪問国スイスに入り、オリンピック委員会があることで知られるローザンヌに主に滞在した。まず、日本人の友人である在田家にお邪魔した。在田さんは、学習塾で有名な「公文」の高校の先生で、そのスイス校に勤務している。レザンという町は登山鉄道で山を登り詰めたところにあり、180人の日本人高校生が、全寮制で学んでいる。地球上で日本を離れた場所にこのような日本人村があるとは、信じられなかった。
文部省認定の在外教育施設であるスイス公文学園は、日本の大学受験に備えたコースと、日本以外の国の大学に進むために英語で授業が行われるコースとを持っている。町の体育館を借り切って運動会が行われたので見学に行った。服装も自由だし、応援合戦も自由形式で、使用されている歌は日本のものではあったが、とても日本の高校では見られない光景であった。学生の参加意識は充分で、皆真剣に戦っていたのが印象的だった。
在田さんは、妻の希さんを同伴しており、当時8カ月だった世梨奈ちゃんはスイス生まれだ。スイスでの出産はとても快適だったと希さんは言う。「母親がどうしたいか」が重視され、様々な選択肢を与えられるそうだ。例えば、麻酔は3段階の強さがあり、分娩台か座る形式のバースイングチェアー(birthing)かお風呂で産むかも選べる。大きなビーチボールのようなバルーンに乗って、陣痛の痛みを和らげることもできるそうだ。聞いていると、「女性が耐えるお産」というイメージがない。
在田さんのアパートは、自然豊かな、素晴しい環境の中にある。居間は約30畳の広さで、一面の窓の外は、ハイジの牧場そのものが広がる。11月初旬だったが、初雪が積もり、燎平はそり遊びを体験した。チーズフォンデュをリクエストして何度もごちそうになった。在田さん一家は、世梨奈ちゃんの教育のためにもここにいるのが良いと考え、まだしばらくはスイスに住み続けたいと言う。

スイス人

希さんが言うには、スイス人は閉鎖的なので、これまで4年近くここに住んでいて、フランス人や他のヨーロッパ諸国の人たちと比べて、スイス人の友人ができにくいと感じるそうだ。
町でびっくりしたのは、バスに乗っていたとき、男性が大きなパイを食べながら乗り込んできたのを見た運転手は、ただちに男性のもとへ行き、パイを奪い取ってバスから降り、ゴミかごに投げ捨てたことだ。そして、運転手は何も言わずにバスを発車させ、男性は何も言わない。この国は、日本以上に規律に厳しい国なのだろうかと思わせられた。
別の日に、燎平と電車に乗っていたところ、隣の座席に、イタリア系スイス人らしき母親2人と、乗っていた子ども3人が楽しそうに遊んでいた。燎平が子どもたちに興味を持ち、寄って行こうとすると、母親達は露骨に怒って、子ども達に一緒に遊ばないように指示していた。ここでもアジア人蔑視が存在することを知った。
日本人に好意的な村があった。ジューネーブに向かう途中のモルジュという所に、オードリー・ヘップバーン記念館がひっそりと建っている。ここは彼女が晩年を過ごした土地で、彼女のお墓を訪ねにくる日本人があまりにも多いため、村がこの記念館を作ったのだそうだ。日本語の資料も沢山置いてある。館長のプライスさんが言うには、「ヘップバーンの顔はほんの少し東洋的だから、日本人に人気がある」のだそうだ。