たにえみ
::index > れぎゅらあさぁくる / みすゞ塾
NHK文化センターを撤退、蓮馨寺で2007/10開講
定員10名。(定員に満たない場合、会の維持・存続のため、お休みでも半額納付の御協力をお願いします)
みすゞの人生から詩を見つめ みすゞの心にふれてみませんか? 詩は声に出してよむために 書かれた言葉です。 楽しむことから始めてみましょう!!
みすゞの世界へ…この旅の案内者は、「みすゞ役者」である私【谷 英美】。この特色を最大限発揮して、「地図を広げて 朗読練習」という、珍しい(?)講座です。みすゞの詩を 道連れに、みんなで机上旅行しております。
1999年3月。 みすゞの一人芝居に取り組む前に どうしても足跡を辿りたくて訪れた 故郷、仙崎。 そして自殺を遂げた最期の地、下関。 この旅を通して 私が皮膚感覚として捕えたものを、 講座に反映させています。
朗読を通して、みすゞの心に寄り添いながら、どこかに置き忘れてしまった大切なものと もう一度、出会いなおしていけたら・・・と思っています。
こちらも3年半ぶりの日誌です。この間、メンバーの入れ替わりがありました。みすゞ塾の前身、NHK文化センター時代からのOさんは、ご親族の介護をするため休会。NHK文化センター時代からいらしたAさんがお友達を誘って下さり、Y江さんが入塾。さいたま市で講師を務めた講座の参加者、Iさんも入塾。他に黒一点Sさん、丸木美術館理事のMさんが入塾。で現在、Aさん、Y江さん、Iさん、Sさん、Mさんの5人。
3月14日の塾は地震の直後でした。車の方は給油の不安や渋滞、電車の方もダイヤの混乱、Iさんは福島の避難所からお母さまを迎え入れるので当面お休み。ということで来られたのは、自転車のMさんのみでした。
Mさんは丸木美術館の理事さんなので、平和に高い関心をお持ちで、ご自身画家でもあります。ちょうど私は7日~10日まで沖縄で取材。沖縄戦体験者Nさんのお話をもとに、朗読する作品を自分で書くというチャレンジのため、Nさんと一緒に足跡を辿ってきました。Mさんへのお土産は、平和の礎で拾った松ぼっくり。とても喜んで下さいました。コラージュでどんな作品に生まれ変わるのか、楽しみです。
28日は、哀悼の思いを込めて、詩を6編選びました。
【燈籠ながし】(美しい町)、【失くなつたもの】【繭とお墓】【花のたましい】(空のかあさま)、【帆】【雪】(さみしい王女)
この中から、それぞれの思いで2編を朗読。終了後、色紙に寄せ書きしました。大変な被害を受けた陸前高田に、元塾生のK子さんがいます。K子さんは陸前高田で、みすゞの詩を読み合う《みすゞ亭》を始めて下さいました。去年は亭の皆さんを軸にした実行委員会で、私のお芝居を上演。お世話になった方々の悲しい知らせには、絶句するしかありませんでした。
実行委員の皆さんが寄せ書きして下さった色紙は、私の宝物です。だからせめて、悲しみに寄り添う気持ちを伝えたくて、色紙を贈ろうと思ったのですが…。もしかしたら、幼稚な自己満足でしかないのかもしれません。わからない…でも何かせずにはいられない。そんな気持ちで過ごしています。
みすゞは本当に、弟・正祐を好きだったんですね・・・。毎回ちょっとずつ、みすゞの人生を知る"みすゞ豆知識"、今回の範囲はみすゞの意にそまない結婚話が進んで行くあたりです。
「こんな結婚は、嫌です」と言えないみすゞは、気持ちの整理をするため、身を寄せていた下関の本屋から、仙崎の実家に一時戻ります。そこへ、「この結婚には反対だ!!」と正祐から切羽詰まった手紙が立て続けに・・・。
抜粋:みすゞとの幾通にも渡る往復書簡のうち、正祐の最後の手紙より。
(中略)・・・つまりあなた自身の罪もないとは云へない。しかし、それを云って何にならう、完全な人はいない、完全な社会もない。誰をも恨むまい、自分自身をさへもあまり甚だしくは叱責すまい。所詮勇気のないものは、運命に盲従するより外はない。宗教によってあきらめ得らるれば、あきらめる。また、あきらめ得られねばなやめ、なやみつつも運命の流れにおしながされて行く。いやこれは私のやうなエゴイストの場合。「流されながらも花の目は、きっと大空を見て居ませう」とあなたは云ふ、結構です、その確信があれば。その「大空」を空想の世界、芸術の境地等と解釈すれば「水」は運命であり境遇である。もう一つの欲を云へば「花の目は下を見る時でも、水を美しと見る・・・よしそれが泥水であらうとも、自分の姿をうつし、又大空の青さをうつして、その水を美化して見る」その心持がこの上に具(そな)はれば「あゝほむべきかな、御身!世にかてり」とたゝえやう。(以下略)*引用注;撥音(っ)だけ現代仮名遣いの書籍のまま引用
朗読は、(この正祐の言葉を受け止めて作った詩だ)と "女の直感" が走った詩を三篇、取り上げました。
この裏まちの ぬかるみに、 青いお空が ありました。 とほく、とほく、 うつくしく、 澄んだお空が ありました。 この裏まちの ぬかるみは、 深いお空で ありました。
----空のかあさま
あれは いつかの 秋の日よ。 お馬車で通つた村はづれ、 草屋が一けん、竹の垣。 竹の垣根に空色の、 小さな朝顔咲いてゐた。 ──空をみてゐる瞳(め)のやうに。 あれは いつかの 秋の日よ。
----空のかあさま
青いお空の色してる、 小さい花よ、よくお聽(聴)き。 むかし、ここいらに黒い瞳(め)の、 かはいい女の子があつて、 さつき私のしてたよに、 いつもお空をみてゐたの。 一日青ぞら映るので、 お瞳(めめ)はいつか、空いろの、 小さな花になつちやつて、 いまもお空をみてゐるの。 花よ、わたしのお噺が、 もしもちがつてゐないなら、 おまへはえらい博士(はかせ)より、 ほんとの空を知つてゐよ。 いつも私が空をみて、 たくさん、たくさん、考へて、 ひとつもほんとは知らぬこと、 みんなみてゐよ、知つてゐよ。 えらいお花はだァまつて、 ぢつとお空をみつめてる。 空に染まつた青い瞳(め)で、 いまも、飽きずにみつめてる。
----空のかあさま
私は不器用なみすゞに相当肩入れしているため、利己的な正祐の、余りの情のなさに腹の立つことしばしば。そしてみすゞに対しても「こんな男を好きになるなよ!!」と腹の立つことしばしば。それでも、この三篇の詩を作ったみすゞの心根を思うと、女心の哀れさに涙がこぼれてしまうのです。
【秋のおたより】【大きな文字】【木】---美しい町
お花が散つて 實(実)が熟れて、 その實が落ちて 葉が落ちて、 それから芽が出て 花が咲く。 さうして何べん まはつたら、 この木は御用が すむか知ら。
----美しい町
この詩は、命の理(ことわり)を表わした位の高い詩です。御用が済む=命が終わる・・・という部分は寂しかったりもすけれど、だからといって深刻にやると、スケールが小さくなってしまう。命の終わりをも凛々しく謳い、命の讃歌にしましょう。
Sさん、おごそか路線と考えればGOOD。それもアリなんだが、どっちかといえば無邪気路線を目指したい。無邪気な子供は時として、重大な事柄をいとも簡単に、単純な言葉でアッケラカンと言い放ちます。それは物事の本質を突いていることもあったりします。そして、その言葉に周囲のオトナがギョッとしたり、呆れたり。「おまえ、たかだか人生5年しか生きてないのに、哲学者みたいだね」と言いたくなるような。その無邪気路線を目指したい。・・・難しくて、自分ではまだまだ出来ないけれど、人には要求。他人に厳しく時分に甘く(笑)
Uさん、しょぼい終わり方で、イメージとはぜんぜん違うんですけど、これもアリ。・・・「この詩、難しいですね」とUさん。初心者なのに、それが解れば立派なものです!!そうです、これは深い詩です。その深みに辿りつけないから、ベクトルを逆方向に向けて無邪気路線を採っているのです。そしてみすゞの詩の中では 結構有名で、この詩を好きな人も多い・・・という意味においても、とてもやりにくい詩です。でも歯が立たなくて欠けちゃったりしても、挑戦していきたい。こういう詩は、2年後ぐらいに再チャレンジしてみる・・・というのもいいかもしれません。「少しは、マシになったかな」と思えるのか・・・「まだまだ全然ダメだ」と思うのか・・・。
Aさん、私がやりたいイメージにとっても近い「御用は、すまないのよ」という気持ちでなさったそうです。なるほど!!命の巡りって、そういうものですものね。たとえその木の寿命が尽きたとしても、命は大切に受け継がれ、つながっていく・・・なんだか、清々しい気持ちでお稽古を終えることが出来ました
悲しいお知らせをしばければなりません。塾生のYさんが亡くなりました。
3月から御病気で、長期欠席だったのですが、必ず元気になって復帰してくれるものと信じていました。だからこそ「御負担でなければ」と、2か月分ぐらいずつ、学習した教材をお送りしていたんです。復帰なさった時に、遅れをとらずにすむようにと・・・。Yさんの御主人との初めての会話は、訃報の電話となってしまいました。
同期の塾生2人と、葬儀に参列。心を感じる、良い時間でした。みすゞ塾で録音してさしあげていた朗読練習のテープを、御主人が流して下さり、Yさんのお声に接することができました。
思い出コーナーには、みすゞに関するものばかり・・・昨年暮れのおさらい会で、私が撮ってさしあげた写真も飾られていまいした。ご友人には、「Yさんと一緒に、先生のお芝居、観させていただいてるんですよ!」と声をかけられ、涙々の思い出話に花が咲きました。御主人には、「みすゞと先生の存在が、どれだけ闘病の支えになったか・・・」と言っていただき、 私は、馬鹿みたいに泣くことしかできませんでした。
Yさんの、みすゞに対する思い、みすゞ塾に対する思い、そして私や、私を囲む会への思いを知るほどに、痛みが押し寄せてきます。Yさんは、「谷英美を囲む会」の会員番号1番なんです。自分が好きだという一心で続けていることが、人の人生に、こんなにも深く入り込むことがあるのだと知りました。それにつけても、優しかった笑顔ばかりが思い出され、この焼けるような痛みが懐かしい思い出に変わるには、まだまだ時間がかかりそうです。
ありがとう、Yさん。今更ながら、あなたからいただいたものの大きさを感じています。楽しみにして下さっていた、3月の川越公演、楽屋にお写真を飾らせていただきます。みんなが「Yさんばっかり写真うつりが良くって、ズルイ!」と言っていた、あの写真です。 うつりがいいんじゃなくて、カメラが正直なんですよね(笑)?!寂しいけどガンバるから、見守っていて下さいね。
谷 英美
見学の方がお二人!!おひと方は、みすゞ塾の前身、NHK文化センター時代に3ヵ月ほど受講なさっていらしたHさん。朝日瓦版という朝日新聞折り込みタウン詩の、塾生募集記事を見てお電話下さったようです。見学希望の連絡を受けたのは去年(笑)音沙汰なく数箇月が過ぎて、(気が変わったのだろう)と思った頃にいらっしゃいました。ただ懐かしくて顔を出して下さったようで、朗読練習には参加なさらずにお帰りになりました。Hさん、お元気そうでなにより。会えて、嬉しかったです。
もうおひと方は、昨年10/6 川越九条の会にいらしてた方。「(沖縄戦の話)【ウンジュよ】の感動が忘れられなくて・・・」と来て下さいました。帰りがけ、入塾即決のお返事を頂きました!!とてもとても嬉しいです
・・・ということで、今回は見学者レポートのみ。詩は、【お掘りのそば】---美しい町、【空屋敷の石】【二つの草】---空のかあさま の3篇でした。
今回学習したのは【駆けつこ】---美しい町、【ざくろ】【金魚】---空のかあさま
月はいきするたびごとに あのやはらかな、なつかしい 月のひかりを吐くのです。 花はいきするたびごとに あのきよらかな、かぐはしい 花のにほひをはくのです。 金魚はいきするたびごとに あのお噺の継子(ままこ)のやうに きれいな寶玉(たま)をはくのです。
----空のかあさま
さっそくAさんより「3連目がわからない」というご意見。私も同感です(笑)そして、解らないのにどうしようもなく心惹かれるんです。私にとってこの詩は、わからない≠つまらない。もちろん、わからない=つまらない、詩もありますがw。
霧の中に何かが見える、見えそうな気がする。なんだか解らないけれど、不思議な思いをかきたてられる。なんなんだろう?知りたい、近づきたい・・・でも霧がサァーッと流れた時には朗読も終わってしまっている・・・。淡い恋の様ですね(笑)
みんなの意見を実況中継。
Iさん;みすゞは、辛いとか寂しいとかいうことを直接的には言わない。継子という言葉を使うことで、何か訴えたいことがあったのではないか。継子は苛められて苦しさを吐き出しているのかもしれない。が、そんな身もふたもない言い方ではなく "きれいな寶玉(たま)"と言ったという考え方もできるのでは・・・
Aさん;もしかしたら、継母に「きれいな玉をお吐き」って苛められる継子のお話があって、それを金魚にたとえているのかな・・・
谷;継子という言葉を無意識に置いてしまったところに、みすゞの心があるのかも・・・。心許せる母娘関係ではなかったという点で、ある意味 みすゞも継子のようなもの。Iさんの解釈にのっとって考えると、金魚は苦しさを吐き出し、月も花も身を削って、やわらかい光や、良い匂いを吐いているという意味にもとれる。幻想的な狂気。
Aさん;わかった!!継子はたいてい良い子だから、この"きれいな寶玉"っていうのは、きれいな心のことなんだ!!
谷;なるほど!!ということは、この"きれいな寶玉"は、"魂"ともよめるよね!!
・・・などと、ひとしきりワイワイがやがや。;継子って、たいてい可哀相で優しくて良い子(ちょっとステレオタイプで恥かしいケド)。苛められても恨まない。自身の境遇を呪わない。"きれいな寶玉"というのは、その汚れのない心。;・・・ということで一見落着。わからない詩も、みんなでかかればコワクない(笑)一人で詩集を読んでいるのとは違う楽しさが、ここにあります
【朝顔の茎】【はだし】---空のかあさま、【お菓子買ひ】---美しい町
土がくろくて、濡れてゐて、 はだしの足がきれいだな。 名まへも知らぬねえさんが、 鼻緒はすげてくれたけど。
----【空のかあさま】
Iさんは、タイトルと1連目の"はだし"という言葉を、「は・だ・し」と、一音ずつ区切ってよまれました。なぜそうしたのか尋ねたところ 「なんか艶っぽい感じがするんですよね・・・竹くらべみたいで」というお答えが返って来ました。オォーッ!!同感です。私の場合"竹くらべ"ではなく"天城越え"ですが。
皆さんは、田中裕子主演の映画、"天城越え" ご覧になったことありますでしょうか?私は、大好きな映画です。連想するのは、"足抜けした遊女が、家出少年の切れた鼻緒をすげてあげる"というシーンです。
少年が初めて間近に見る、きれいな着物を着て、白粉の匂いのする女の人。普段 目にしていたのは、スッピンで、泥にまみれて野良仕事をしているお母さんや、近所のおばさんばかり。鼻緒をすげて貰っている間中、少年の胸は早鐘をつくように高鳴っています。
少年と遊女の、束の間の道連れ。途中、沢を渡る丸木橋の上で、少年は姉さんに名を尋ねます。「あたしの名は、花。咲いた咲いたの、ハ・ナ。」---- 沢の水がキラキラと光って、忘れられないシーンです。
・・・つい夢中になって、脱線してしまいましたが(苦笑)、Iさんの"艶っぽいものを感じる"という意見に大賛成!!2回目は区切らずに、フツーにおよみになったのですが、フワフワしていて、宙ぶらりんな感じがGOOD。素敵でした。
今回の"みすゞ豆知識"は 親友・豊ちゃんの死について。朗読も、豊ちゃんへのレクイエムと思われる3篇を取り上げました。彼女は、赤ちゃんを身籠もったまま逝ってしまったのでした。
【くれがた】【山と空】--- さびしい王女、【失くなったもの】---空のかあさま。
谷英美の考察による みすゞ豆知識::
西条八十は、自身が選者を務める『童話』という誌上に於いて、みすゞの魅力を、しばしば英国の詩人、クリスティナ・ロセッティ(Christina Georgina Rossetti, 1830/12/5 - 1894/12/29)に例えています。みすゞはそれがよほど嬉しかったのだろう。MY詩集『琅玕集』(ろうかんしゅう)の冒頭に、ロセッティの詩を引いている。その一節と【くれがた】に共通項があるように思える。
暗いお山に紅い窓、 窓のなかにはなにがある。 空つぽになつたゆりかごと、 涙をためた母さまと。 明るい空に金の月、 月の上にはなにがある。 あれはこがねのゆりかごよ、 その赤ちやんがねんねしてる。
--- さびしい王女
赤んぼの入つてゐない赤んぼの揺籃(ゆりかご)、 秋の葉の枯れ落ちる赤んぼの墓、 美しいたましひは天國にまねかれ、 からだはここで待つてゐる。
--- 訳/編:竹友藻風 /大正13年11
A baby's cradle with no baby in it, A baby's grave where autumn leaves drop sere; The sweet soul gathered home to Paradise, The body waiting here.
みすゞが詩を引用したロセッティの本は、大正13年11月の発行。八十はその頃、突如『童話』の選を休んでフランス留学していました。八十の居ない『童話』で、みすゞは選ばれることもなかったのか、自身の作品集である『琅玕集』を始めたのが大正14年の年明けである。そして、豊ちゃんの死は、大正14年7月。これらを懸案すると、【くれがた】は、ロセッティの影響を受けている可能性大である。
そんな講義を合せて、ロセッティの【風】という詩を紹介しました。そしたらなんと・・・「この歌、知ってる!」と異口同音に口ずさみ始めました。ある年齢以上の方は、学校で習ったとのことです。「楽譜持ってるから、今度コピーしてくる」という方もあり、ワイワイがやがや、塾生パワー炸裂の一日でした
【蝉のおべべ】---美しい町、【犬とめじろ】---さびしい王女、【土と草】---空のかあさま。
母さん知らぬ 草の子を、 なん千萬の 草の子を、 土はひとりで 育てます。 草があをあを 茂つたら、 土はかくれて しまふのに。
----【空のかあさま】
Aさん:凛々しくて、イイ!!"育てます" に『強く生きていくわよ』という意思を感じます。
Iさん:Aさんとは、また違った良さです。やわらかいよみに、気負わない優しさを感じます。「これが、私のフツーよ」みたいな・・・
Sさん:この方、朗読の経験は無い方なのですが、そういうこととは無縁の説得力があります。きっとこの詩は、女性の生理的な部分で、それぞれが理屈抜きに持っている感性と響き合うのでしょう。だから誰もが、自分の生きて来た歴史で引き受けられるのかも知れません。
Oさん:詩の主人公=自分自身で表出なさることが多いです。この詩はそうせずに、よみ終わった後、こ首をかしげてちょっぴり不満そう。不本意なよみだったのかもしれません。(こういう表現にしよう・・・)というプランとは違ってしまったのかもしれません。
詩の主人公=自分自身で表出する音を、"しゃべる音"とするならば、その対極にあるのが、"よみの音"。"よみの音"は、詩の世界と自分自身とを切り離した状態で表出します。どちらが良い悪いでもなく、合う合わないでもない。でも、この詩は、"よみの音"でやっても、ゆるぎない魅力のある詩なんだという発見をしました。怪我の功名、ありがとうOさん
今回学習したのは3篇
【田舎】--- 美しい町、【入船出船】--- 空のかあさま、【仔牛】--- 空のかあさま
新しい仲間が増えました!!私の応援団『谷英美を囲む会』会員のSさんです。7月、大宮ギャラリーのみすゞ物語に来てくださり、同じく見にいらした塾生のOさんにお誘いを受けたそうです。
Sさんの自己紹介によると、みすゞのお膝元、山口県長門市役所に電話をかけると、みすゞの詩を聞けるそうです。現在もそうなのかは不明)Sさんは【私と小鳥と鈴】を聞きたくて、何度も電話なさったとか。電話代もバカにならなかったのではないでしょうか。それほど、みすゞ大好きなSさん。入って頂けて嬉しいです。楽しく、仲良く、やっていきましょう
"みすゞ豆知識"。今回も雑誌にデビューした頃のみすゞです。朗読も大正13年の【童話】6月号から採り上げました。【花びらの波】【電報くばり】--- 美しい町。掲載作品ではありませんが、季節にちなんで【海のお宮】--- 美しい町
海のお宮は琅玕(ろうかん)づくり、 月夜のやうな青いお宮、 青いお宮で乙姫さんは、 けふも一日、海みてゐます。 いつか、いつかと、海みてゐます。 いつまで見ても、 浦島さんは、 陸(おか)へかへつた 浦島さんは─ 海のおくにの靜かな晝を、 うごくは紅(あか)い海くさばかり、 うすむらさきのその影ばかり。 百年たつても、乙姫さんは いつか、いつかと、海みてゐます。
----【美しい町】
皆さん、浦島太郎のお話って、不思議だと思いませんか?『決して開けてはいけない』と言われると、人は必ず開けます(笑)。"鶴の恩返し"でも、与ひょうは開けてはいけない扉を開いてしまいました。『いけない』と言われると、なおのことやりたくなるのが人の心。
乙姫さまは、浦島太郎が必ず開けると知りながら、玉手箱を渡したのでしょうか。そうだとしたら、恐ろしい情念。「私を捨てて行くなら、いけばいい。そのかわり、二度と戻って来られないようにしてやるからね。私の事を忘れられなくて、恋焦がれたまま、焦がれ死にするがいい。」裏返しの愛・・・じゃなくて恋?いやぁ、やっぱり女の情念。・・・わからないなぁ、私には情念ないなぁ(笑)子供の頃は、こんなこと思いもしませんでしたが、昔話って奥が深いです。
塾生は"浦島太郎"をどのように見ているのでしょうか。
色々な見方があるのですね。私は全く"教訓"を感じておらず、恋のお話だと思っていたのです(笑)。この詩は、みすゞが正祐のことを想って作ったのかな・・・と、とらえています。
朗読に於いて沈んだ恨み節にすると、乙姫さまがちっちゃい女になってしまいます。浦島がもう2度と帰って来ないことは百も承知で、待つために待っている・・・乙姫さまを、そんな愛し方をする女にしたい。私って屈折してるかしら(笑)
この詩に女の情念を感じてはいない塾生のよみは、皆さん、図らずも明るくさわやかで良かったです
朗読練習の前の"みすゞ豆知識"。現在、雑誌にデビューした頃を勉強中です。朗読テキストも前回に続き、大正13年5月号【童話】に掲載された詩を取り上げました。【神輿】【石ころ】【つつじ】【硝子】----美しい町。
小山のうへに ひとりゐて 赤いつつじの 蜜を吸ふ。 どこまで青い 春のそら、 私はちひさな 蟻か知ら。 あまいつつじの 蜜を吸ふ 私はくろい 蟻か知ら。
----美しい町
この詩を書いた気持ちって、どこにあるんだろう?蟻って黒いし可愛くない・・・と感じるのは、個人的過ぎる主観でしょうか。良いイメージ(?)としては "働き者" という見方もあります。うーん、ついついみすゞの複雑な心理を探そうとしてしまいます。
が 声に出してよむと、あーら不思議!!うららかな春の日、丘の上で空をみあげ「あたしって、ちっちぇー」と言う、おおらかな世界が、身の内から湧き上がって来ます。
塾生からは、「か知ら
: ここが漢字だと、見慣れていないのでどうも引っ掛かる。」「みすゞは、鳥でも雲でも、何でも友達に出来る人なので一人ぽっちでもさみしくないと思う。」・・・こんな意見が出ました。
そうですね。みすゞの詩は、のびのびと一人の時間を楽しんでいることが伝わってくると思います。みすゞは、理屈ではなく、五感を使って詩を書く人だったのでしょう。だからこそ、その詩を、私たちが身体を使って、声を出してよむと、言葉の意味を越えた世界とつながることができるのかもしれません
今回も、"みすゞ豆知識"と連動させた作品です。大正13年4月号の【童話】に掲載された詩を取り上げました。
【樂隊】(【すねた時】;遺稿のタイトル)、【浮き島】、【喧嘩のあと】---美しい町。
私は島が欲しいのよ。 波のまにまにゆれ動く、 それはちひさな浮き島よ。 島はいつでも花ざかり、 小さなお家(うち)も花の屋根。 みどりの海に影さして、 ゆらゆらゆれて流れるの。 そして、景色も見飽きたら、 海へざんぶりとび込んで、 私の島をくぐつては、 かくれんぼしてあすばれる。 そんな小島が欲しいのよ。
----美しい町
Iさんは入塾なさって半年。リラックスしてきたのか、自然体の魅力が出て来ています。可愛らしい面がチラホラリ
みすゞの詩は、"~よ" みたいな女の子な世界のものが多いです。以前は、それが照れ臭かった・・・ワタシ、超体育会系なので(笑)。でも、慣れとは恐ろしいもので、最近それが楽しくなって来ています。この年になると、人前でブリッ子する機会もございません。そんな不審な態度をとって、身近な人間を驚かせるのも忍びないですし。
みすゞの詩を朗読するときは、多少ブリっ子しても、誰も止めません。皆さん、"金子みすゞの世界"として受け取って下さる。それをいいことにワタシは、みすゞの詩を隠れみのにして、自分のブリッ子願望を満たしているのかもしれません。ブリッ子が板に付いたからかどうか・・・これまで殿方が谷を評して曰く「コワイ」というお声が圧倒的大多数。媚びずにズケッとモノを言うからでしょう。最近、極々ごーく一部から「カワイイ」という声が!!コワイとカワイイ・・・音は似ていますが、全然違います。"カワイイ と カッコイイ"を テーマに生きている私にとって、嬉しい限り。みすゞ効果でしょうか
思いっきり脱線しましたが、Oさん、立ってよんでいる時に、身体がリズムを取るように揺れています。リラックスしてよむことを楽しんでいる証拠。表現の場に於いて、とても良い状態です。そこから生まれる、素直な表現の説得力は、企みから生まれる表現を易々と越えます。楽しみましょう!!
朗読練習の前にいつも学習する"みすゞ豆知識"。それと連動させた作品を三篇、【大漁】【おはなし】【色紙】---美しい町。【童話】という雑誌の大正13年3月号に掲載された詩です。それと掲載作品ではありませんが、【あと押し】--- さみしい王女。薔薇のとってもきれいな季節ですから、独断で入れちゃいました。どーしても、やりたかった
車のあと押し、 せつせつせ。 どつこい、重いぞ 上り坂、 汗が、ぽつつり、 地にしみる。 車のあと押し、 せつせつせ。 ほらほら速いぞ 下り坂、 みちの小石が 縞になる。 車のあと押し、 せつせつせ。 下ばつかりを みてゆくと、 眞紅(まっか)な薔薇が みつかつた。
----さみしい王女
オォーッとOさん、いきなり、「歩きながらやってもいいですか?」 もちろんOK*3 よぉーッ!! そして結果は "せつせつせ" の音が躍動しています。2回目は、歩かなくてもさっきの音を出せるかどうかに、挑戦。・・・んー1回目の方が良かったけど大健闘です。歩いていた時の良さ、それは、止まるとほとんどなくなってしまいます。2割残れば、御の字。Oさん、4割残っていました。大変、結構。
ユニークすぎて真似出来ないけど真っ直ぐに伝わって来る、Oさんにしか出来ない表現、それは、愚直に探すしかありません。生きた表現というものは、身体を使って探すと、間違いを犯しません。頭で考えて、テクニック優先の処理をすると、"何を表出しようとしたのかは理解できる"という表現になってしまいがちです。
技は、心を伝えるためのモノであって、ひけらかすモノでは在りません。しかし、技が立つようになればなる程、そこに堕ちてしまいがちです。とは言いつつも、技がなければ伝えたい詩の心を伝えられない。技と心のジレンマ・・・表現者の永遠の課題です。
私のヴォイストレーナーはちょっと変な先生です。「絶対に上手になるな。上手になると芸がフケる」と、常々おっしゃっいます。「それでも続けていれば嫌でも上手になってしまう。そうしたら、下手だったころの自分を演技で出せるようにしろ」などとおっしゃる。私がいつまでも初々しい(下手ともいう?(爆)のは、先生の教えを忠実に守っているからなのです(笑)
Iさん。おっとりした職人みたいで、イイ味出してました。薔薇のきれいさが "眞紅"(まっか)の「ま」の音から始まっている・・・Good です。
ついに恐れていた二度目のマンツーマンが・・・。現在二人休会中でレギュラーメンバーは二人、マンツーマンになる確立はかなり高いのです。オーマイガッ!!今回初めてマンツーマンに当たったのは、昨秋入塾なさったIさん(初代マンツーマンは休会中のYさん)。なんとIさん、帰省してらした福島のご実家から、みすゞ塾に直行なさったそうな。その気持ちに応えて、濃いレッスンをしたくなりますが、二人っきりであまり熱を入れられてもコワイでしょうから(笑)ボチボチいきます。
みすゞが『童話』に投稿、新年号に掲載された作品を朗読練習しました。【砂の王國】【紋附き】【美しい町】【噴水の亀】【おとむらいの日】---- 美しい町
ふと思ひ出す、あの町の、 川のほとりの赤い屋根。 さうして、青い大川の 水のうへには白い帆が、 靜かに、靜かに、動いてた。 さうして、川岸(かし)の草のうへ、 若い繪描き(ゑかき)の小父さんが、 ぼんやり水をみつめてた。 さうして、私は何してた。 おもひ出せぬとおもつたら、 それは誰かに借りてゐた、 御本の挿繪(さしゑ)でありました。
---- 美しい町
この詩は、フツーによむと、フツーの良い詩になってしまいます(笑)「ココハ ドコ?ワタシハ ダレ?」という記憶喪失な感じというか・・・この世のモノじゃない感じにしたい。小人になって絵本の中に入りこんでしまい、ポカンとしているイメージというか。
さうして、私は何してた。
: Iさん、ここを語尾上げの疑問系にしないのは、私も賛成。誰かへの質問ではなく、自分の中で完結している問いだと思うから。それから私のリクエスト、この詩が持っているちょっと不思議な雰囲気を活かせる時空に変えたい・・・Iさん大健闘。ということで次の詩へ移ろうとしたら、Iさんの鋭い質問!!「それは誰かに借りてゐた、
この誰かって、誰なんでしょう」。私見はありますが、先入観を与えては・・・とガマンしていたら、Iさん自ら「正祐なんじゃないでしょうか」とのお言葉。そう切り出されたら黙ってません(笑)私も同じ意見です。
この詩は、第1詩集のタイトルと同じ題名です。みすゞにとって他の詩とは違う位置付けにあると思います。そのことと合せて考えても・・・というのは強引過ぎますね(笑)ともかく、他者を説得できる明確な根拠も無しに、女性週刊誌的な発言は出来ません。Iさんから切り出してくださって、ほーんとに良かった(笑)スッキリ!!
今回は、【あるとき】【草の名】【お花だつたら】---- 空のかあさま
現在メンバーは4名、内一人は病気療養のため休会、もうお一人、お母様の介護がかなり厳しいようで休みがち。だがしかし、二人とも辞めない、"がっつり感"が、この塾の特徴です。嬉しいじゃあーりませんか!!こうなると、採算合わないからと、私が辞めるわけにはいきません
・・・ということで出席は二人、時間はたっぷり(笑)いつも朗読練習の前に学習する"みすゞ豆知識"と連動させて、オプションテキストを追加しました。投稿詩人として華々しいデビューを飾った作品も練習しました。【お魚】【打出の小槌】【芝居小屋】【おとむらひ】【八百屋のお鳩】---- 美しい町。 昨秋 入塾なさったIさんにとって初めての詩ですが、古株のOさんは復習です。
【芝居小屋】
筵(むしろ)でこさへた 芝居小屋、 芝居はきのふ 終へました。 のぼりの立つてた あたりでは、 仔牛(べえこ)が草を たべてゐる。 筵でこさへた 芝居小屋、 夕日は海に しづみます。 筵の小屋の 屋根のうへ、 かもめが赤く 染まつてる。
--- 全集/美しい町
むしろで拵へた 芝居小屋、 芝居はきのふ 終へました。 のぼりのたつてた あたりでは、 仔牛(こうし)が草を たべてゐる。 むしろで拵へた 芝居小屋、 夕日は海へ 沈みます。 むしろの小屋の 屋根の上、 かもめが赤く そまつてる。
--- 婦人倶楽部 大12/9
5篇とも雑誌掲載と遺稿の表記が異なる作品なのですが、この【芝居小屋】に関して、Iさんからユニークな感想が出て来ました。
ほぉー!!おもしろいです。この感想は初めて接しました。ちなみに私の感覚だと、『海へ』:自分とは関係ない、一般論としての"海"という感じ。『海に』:大好きな、仙崎の海に・・・という感じ。
本当に、人によって意見が違います。こんなふうに新鮮な説にふれる時間が醍醐味です
とても残念なご報告をしなければなりません。M女史がおやめになりました。ポストに入っていた、きれいな桜模様の封筒の筆文字を見た瞬間に、私は全てを了解しました。M女史は、4/11『谷英美を囲む会』発足式で、【雪】というみすゞの詩を、手作り紙芝居風によんで下さいました。水彩画の滲み絵のような、心の籠もった朗読でした。
誰も知らない野の果てで 青い小鳥が死にました。 さむい、さむい、くれ方に。 そのなきがらを埋めよとて お空は雪を撒きました。 ふかく、ふかく、音もなく。 人は知らねど、人里の、 家もおともにたちました。 しろい、しろい、被衣(かつぎ)着て。 やがてあけゆくあくる朝、 お空はみごとに晴れました。 あをく、あをく、うつくしく。 小(ち)さいきれいなたましひの、 神さまのお國へゆくみちを、 ひろく、ひろく、あけようと。
---- さみしい王女
Mさんが『癒し』をテーマに生きていらっしゃる事は、なんとなく感じていました。自ら育てた、無農薬の野菜で作ったお料理でもてなし、自然に抱かれて安らげる場所を作りたいという夢に向かって、具体的な一歩を踏み出す決意をなさったそうです。今という機会を逃したら、年齢的にも次はないのだと、切々と訴えるお手紙でした。
今にして思えば、Mさんは、この別れの予感の中で、心残りの無いよう丁寧な時間を過ごして下さっていたのだと思い当たる事ばかり・・・。お花見を兼ねた初めての野外学習では、カメラを持参。翌週の稽古で、その時の写真を塾生仲間にプレゼント。また、お花見第2弾として手作りお菓子を振る舞って下さったり。そしてしめくくりは、発足式の紙芝居風朗読。
ありがとう、Mさん。心づくしの別れの演出、本当に嬉しかったです。今、この日誌を書いていても涙ぐんでしまうけれど、あなたの門出に、心からエールを送ります。発足式の翌週から始まるとおっしゃっていた、調理師学校には、もう慣れましたか? あなたの夢が実現した暁には、塾生と研修旅行に生きますからね!!美味しいものをいただいて、自然の懐でみすゞの詩をよめたら、どんなに気持ちがいいでしょう その日を楽しみに、私も頑張ります。あなたのみすゞ観、そして解釈が、とても好きです。ほんとにほんとに、ありがとうございました。
この日のお稽古は、春らしい詩を三篇。出会いと別れの春です。【春のお機】---- さみしい王女、【花屋の爺さん】【お魚の春】---- 美しい町。
塾でも、みすゞに関して知り得た新事実を塾生に伝えるべく、稽古を短縮して"ミニ講演"を挟みました。面白い事に、それぞれのサークルで同じ内容のミニ講演をしているのですが、反応が全然違うのです。みすゞに対する関心の強弱なのでしょう。"それぞれの心ごころの みすゞ哉"・・・とはいうものの、やはり関心の高い人達を贔屓したくなってしまいます。私も人間ですから(笑)
そんな私を諭すように『人を許せなくなるような一生懸命さは、やめた方がいい』(by 吉田一平/ゴジカラ村)という素敵な言葉と出会いました。この吉田一平さんとは、7月の仕事と関係あるので、追って書く機会があるでしょう。ゆるゆるといきたいと思います。ガチンコな性格の私には、それが一番難しいのだけれど(笑)
ミニ講演を挟んだので、短縮稽古、一篇のみ。春、スタートの季節ということで、この詩を選んでみました。
このみちのさきには、 大きな森があらうよ。 ひとりぼつちの榎よ、 このみちをゆかうよ。 このみちのさきには、 大きな海があらうよ。 蓮池のかへろよ、 このみちをゆかうよ。 このみちのさきには、 大きな都があらうよ。 さびしさうな案山子よ、 このみちを行かうよ。 このみちのさきには、 なにかなにかあらうよ。 みんなでみんなで行かうよ、 このみちをゆかうよ。
---- 空のかあさま
私は、みすゞ以外の作品であれば活字でかまわないのですが、みすゞ詩の朗読に関してだけは、手書きにこだわっています。理屈ではなく、内なる声に従って始めた事なのですが、写経の感覚がちょっとだけわかったような気がしています。書く座禅というか・・・書くという行為に集中することで無心になれる。無心、すなわち空・・・空っぽだからこそ、豊饒なものが流れ込んで来るというか。空、すなわち全なのかもしれません。自我の消滅する瞬間って、とても気持ちいいです。それは、錯覚でしかないのでしょうか・・・。演技に集中できている時の快楽も、種類は一緒だと思います。錯覚の快楽(笑)
そしてまた、書く事による発見はとても大きいです。例えばこの詩に於いて、みすゞは ゆかうよ
と、行かうよ
を書き分けています。その意図を尊重するべく、漢字の時は「いこうよ」とよんでいます。・・・なんて、偉そうに今は言えますが、この事に気付いたのは一人芝居の初演から、2年後くらいでした。その時のショックはもう、頭丸めてしまいたい気分。皆さん、この詩の朗読を聞く機会がありましたら、そこに注意してみて下さい。そこまで気持ちが届いているのかいないのか、一発で判ります。イジワルですねぇ(笑)
そんなことで、みすゞの全集をテキストにしているサークル以外では、私の手書き原稿のコピーを教材としています。今回、"自分で手書きした詩を見ながら朗読"という初めての試みをしました。塾生の反応は・・・
皆さん、なかなか興味深い感想を披露して下さいました。手書きということから離れた意見も面白いものがでました。
みんなで みんなでゆかうよというのは、仏教の考え方にも通じる気がする。極楽浄土へ、みんなでいこうという意味なのか・・・。榎や蛙や案山子という具体的なイメージを手掛かりにしてみたが、今ひとつ、みすゞの気持ちがわからない。
あくまでも、私の解釈ですが、【このみち】は、"文学の道""詩の道"を指していると考えています。そして"森"や"海"は、自分の表現を通して辿り着きたい豊かな場所であり、"都"は、その最終地点。案山子は自分自身でもあり、それはすなわち全ての人でもあり得る。"赤い鳥運動"という熱い時代にあって、"自分も、みんなを引っぱって、理想に向かってゆきたい"という志を感じています。みすゞの詩の中で、こんなに明るい希望に満ちた作品は少ないです。よんでいてスカッとする希有な部類の詩で、私は好きです
Iさん:「私はこれ"オズの魔法使い"のドロシーだと思いました」・・・オォーッ!!!私の舞台デビューは、ドロシー役だったんです(笑)!!言われてみればこの黄色の道を進みなさいを歌った芝居の1シーンに重なります。旅立ちの不安を抱えながらも、弾んでいたドロシーの気持ちがまざまざと蘇って来る・・・。なるほど、と思わされる感想でした。
ユニークな意見を言ってくれる塾生に、本当に感謝その1です。感謝その2:Mさんが「まだお花も残ってますし、窓越しの桜を見ながら、お花見第2弾といきましょう」と、手作りのお菓子を持って来て下さいました。心づくし、ありがとうございます
お花見を兼ねて、初めての野外学習。・・・なのに前日は生憎と雨。桜はほころび始めたばかりで、花見と言うには、チトさびしい。かと言って延期しても、次回の稽古日の頃に丁度満開・天気上々という保証はありません。迷った末、予定通りを決意。でも心配で心配で、夕方、蓮馨寺まで下見に行っちゃいました(笑)。
一本だけ、結構花をつけている樹がありました!!あの樹が見える位置に、みんなに座ってもらうには、どこに陣取れば良いのかしら・・・そうそう、Iさんが福島から出て来たお母様(12/8日誌参照)を連れて参加なさると言っていたし・・・。ということは、腰かけられる場所の当たりもつけて、花見弁当とは言わないけれど、お菓子くらいは用意して・・・敷物の下に段ボールをひいたら具合がいいかも etcetc...前日から、一人で盛り上がってました。
当日は、いいお天気のぽかぽか陽気。花も昨日より開いてます。そしてIさんのお母様と感激のご対面!!あぁ・・・何とも言えない気持ちが身体全体に広がっていきます。どっしりと生きて来た人の揺るぎなさが眩しくて、かける言葉がみつかりません。
さて、感激に浸っていないでお稽古。ストレッチと発声は室内ですませてから、いざ外へ。ちょっとオドオドしちゃいます(笑)だって、ここはお寺の境内、レジャーシートまで敷いて、お花見をしている人は皆無という状況で、朗読しちゃうんですから。ジロジロ見られちゃったりしてやりにくかったら、部屋に戻ろう・・・ノリのいい野次馬がいたら、おひねりでもねだってみるか(笑)・・・と色々想定していたのですが、すーんなりお稽古できちゃいました。
春らしい詩を三篇。【早春】----さみしい王女、 【金米糖の夢】----空のかあさま、【野燒とわらび】----美しい町。すんげー気持ち良かったです。みんなの音色も全然違う!!
お山のお山のわらびの子、 とろりとろりと夢みてた。 赤い翼の大鳥の、 お空を翔(か)ける夢みてた。 お山のお山のわらびの子、 夢からさめて伸びしてた。 かはいいこぶし、ちよいと出して、 春のあけがた、伸びしてた。
---- 美しい町
Oさん久々に"歌"できました。これ、これを復帰したM女史に聞いて欲しかったんですよ!NHK文化センターの頃には、誰も自分で節をつけて歌ったりなんかしませんでしたから。M女史「やりにくくなっちゃったなぁ」え??ということは?!?!?!・・・M女史の"初歌" お披露目となりました。これ、家で練習していたら、息子さんが驚いて2階から降りて見にきたそうな(爆)
一生懸命お稽古したあとは、楽しい楽しいおやつタイム。お花見学習大成功の巻。来年は、一品持ち寄りで、ランチしたいです。
Yさん、体調不良により、しばらく休会。ゆっくり養生して下さいね。快癒&復帰祈願として、お休み中のテキストは、ちゃーんととっておきますからね Iさん、熊野古道を歩き通す旅のためお休み。熊野の木々を渡る風を、川越まで運んでくれる事でしょう。
今回は、下関シリーズ第3弾。【雨の五穀まつり】【夏越まつり】【はつ秋】---- さみしい王女。
白いいかめしい日曜の銀行に、 ころ、ころ、ころ、とこほろぎが鳴き、 白いやうにうすい朝の空を、 すらすらと蜻蛉(とんぼう)が飛ぶ。 (秋は今朝、 港に着いた。) 白い巨きな日曜の銀行に、 陽はかつきりと影をつくり、 白い絲のついた蝉は電線にからまつて、 うすい翅をふるはせてゐる。
---- さみしい王女
最後の連、皆さんはどう解釈しますか?私は、とっても悩みました・・・蜘蛛の糸にかかっちゃったのかな・・・さなぎが糸をかけているのだろうか。でも糸をかけるんだったら、電線じゃなくて電柱だろう・・・ええィ、わからん!・・・こういう時は、優秀な塾生諸氏に聞くのが一番です(笑)
M女史から、素晴らしい説が飛び出しました。「かぶと虫を飛ばす時のように、糸をかけたのではないか」と。「糸が電線にからまってしまって飛べない蝉は、かごの鳥のみすゞ自身を表わしているのかもしれません」----なるほど!!その解釈、いただきます(笑)
M女史の炸裂はまだ続きます。「"白い"が、四つ続くのが気になる」----そうですね、秋は空気が澄んで、色や形がくっきりする季節なのに・・・。世界をカラーではなく、ホワイトアウトのように感じているところに、みすゞの心が表れているのかもしれません。感性豊かな塾生に助けられています。感謝。
暮れに、見学&体験にいらしたHさんが、2ヵ月ぶりにいらっしゃいました。仕事の都合で休みがちになってしまうが、来られる時だけでも参加したいとのこと。その気持ちを妨げたくはありません。塾生も同意して下さったので、特例としてOKしました
今回のお稽古は下関シリーズ第2弾。【木屑ひろひ】【鶴】----さみしい王女、【噴水の亀】----美しい町。
お宮の池の噴水は 水を噴かなくなりました。 水を噴かない亀の子は 空をみあげてさびしさう。 濁つた池の水の上 落葉がそつと散りました。
---- 童話 大正13.2
お宮の池の噴水は、 水を噴かなく なりました。 水を噴かない亀の子は、 空をみあげて さみしさう。 濁つた池の水の上、 落葉がそつと 散りました。
---- 美しい町(遺稿)
これも、遺稿と当時の童謡雑誌に掲載されたものとでは表記の異なる作品です。発表作品における選者の手直しは、納得し難いものが多いのです。"そういう直し方をしたら、違う作品になってしまうだろうが!!"という手の入れ方をしているのです。しかし、この詩の行割りの直しについて、私は選者の意図に賛成です。
塾生の意見は、まっぷたつに分かれました。発表作品派:*"さみしさう"より"さびしさう"の方が好き。*深い意味はないが、ビジュアル的に2行の方がカッコいい。遺稿派:*"噴かなく"と"みあげて"を強調してよみたいので。*自分で詩を書く時は、こういう行割りをするので違和感はない。こっちの方が好き。
ワイワイと熱く語り合えて楽しかったです。今までは、こんなにストレートな意見が飛び交う事はなかったような気がします。新しい方が増えたり、戻って来た仲間がいたりすることが、良い刺激となり、活気につながっているのかもしれません。
後日談:この詩の"亀"は"噴水"ではなく、"生きている本物の亀"だと思っていた方が2名いたと判明。こんな大きな勘違いをしたまま熱く語り合えるなんて、私達って超ブラヴォー!!春ですから、浮かれてまいりましょう。
NHK文化センター講座(みすゞ塾の前身)を、昨年3月お辞めになったMさんが Come Baaaaaaaack!! 嬉しいです楽しいですおかえりなさいです 秋に入塾なさったIさん、復帰のMさん、私達みんな "みすゞ"というキーワードによって集まる同好の士は、同じ匂いがします。アキバ系ならぬ "みすゞ系"オタクとでも申しましょうか(笑)葉っぱとか石っころが、友達で宝物だった頃のコドモを、今でも身の内に棲まわせています。
今回は、下関を感じさせる詩を3篇。【障子】【砂の王國】---- 空のかあさま、【海と山】---- さみしい王女
お部屋の障子は、ビルディング。 しろいきれいな石づくり、 空まで届く十二階、 お部屋のかずは、四十八。 一つの部屋に蝿がゐて、 あとのお部屋はみんな空(から)。 四十七間の部屋部屋へ、 誰がはいつてくるのやら。 ひとつひらいたあの窓を、 どんな子供がのぞくやら。 ――窓はいつだかすねたとき、 指でわたしがあけた窓。 ひとり日永にながめてりや、 そこからみえる青空が、 ちらりと影になりました。
---- 空のかあさま
1行目のぶちかまし方、冴えています。ところで皆さん、2連目の【十二階】
って何の事だと思いますか?私は今まで、何の疑問も持たず、障子の桟が12段あるのだろうと思っていました。・・・でもそれにしては、段数が多過ぎやしませんか??? 「昔はそういう障子も多かった」「浅草に12階建ての凌雲閣(通称:浅草十二階、高さ52M )という建物があって、当時高い物の例えになっていた。"高いは十二階、十二階は恐い"という、子供の言葉遊び歌がある」博識のIさんのおかげで、ひとしきり盛り上がります。結局、縦に12段、横4列で部屋の数は48、縦の段数と凌雲閣を掛けて、障子をビルに見立てた例えを活かしてあるという解釈に落ち着きました。
最後の1行に出て来る【影】
という言葉。こんなに楽しい空想に、"影"を持ち込むのが"みすゞWorld"。 みすゞが本質的に持っているものなのか、辛い人生によって与えられた特質なのか・・・。うがち過ぎだと言うご意見は、あまんじて受け入れます。ですが私は、人生と詩を切り離して考える事は出来ません。切り離さなければならないとも思っていません。この詩は、みすゞが死の前年に清書した3冊の遺稿集のうち、第1集【美しい町】の1番目。当然 "ベスト1"とまではいかなくても、お気に入りを持って来ているはず。その観点からも、とても"みすゞらしい""みすゞWorld" の詩だと感じています。
【北風の唄】【山茶花】--- 空のかあさま、【冬の星】--- さみしい王女。今回の日誌は長いよー(笑)まず【北風の唄】
中ぞらで風がいふ。 きけ、きけ、唄を 私の唄を、 氷の原に すむ鳥の唄、 雲のひろ野を ゆく橇の鈴、 みんな私は もつて來た―
---- 空のかあさま
Aさん;「きけー、きけー、唄をー、私の唄をー、」;ここのところ、北風の"ピューッ"という音が聞こえるようだった。・・・とはいうものの、あたかも「ー」(伸ばす音)があるように伸ばしてよむのは、やっぱり邪道なのかしら。でも私は、とてもおもしろいと思ったので、「よその指導者に直されたときには従って下さい。ここではOKです」と伝えました。だって、とっても素敵だったから
Oさんいわく「そんなよみ方考えもしなかった。スゴイ!!」 谷「私も考えもしなかった(笑)」;みすゞの詩は、文字の後ろから音が聞こえて来るものが多いです。詩に自分をあけ渡して音にする事が出来たら、どんなに素敵だろう・・・。塾生と一緒に探し続けていきます。
【山茶花】は、花そのものを"いない いない ばぁ!!"している人に例えている詩です。Oさん「山茶花のパカッとした感じって、ほんと顔みたいですよね」・・・なるほど、言われてみれば。そういえば、同じツバキ科でも、椿には"はかなさ"を感じないのは不思議です。ぽってり肉厚な花びらに自己主張があり、ほっといても一人で生きて行ける逞しさがある。かたや頼りなげな山茶花は、守ってあげたい風情。まるで私みたーい(爆)
霜夜の まちで お姉さま、 空をみながら いひました。 ―しづかに さむく さよならと。 霜夜の そらの お星さま、 いちばん青い お星さま。 ―ちやうど あなたに いふやうに。
---- さみしい王女
Aさんの意見「さよなら言うんだったら、さむく言うなよと思っちゃう。よんでいて楽しくない」さよならは明るく言おうよという気持ち、よくわかります。たぶん、こういうふうにしか書けない心情の時に作った詩なのでしょう。この詩の主人公(みすゞ)が"さよなら"しているものは、希望とか幸せ、または人生・・・きっと、そういうものなのでしょう。
人は誰でも根源的な孤独を抱えている。親子、兄弟、夫婦、どんな近しい間柄であっても、決して解り合えない領域がある。どんなに楽しい時間を過ごしていても、消すことのできない静かな場所が心の中にある。私の中の孤独が、この詩とすごく響き合う・・・。
Aさんは、私のこんなおしゃべりからヒントを掴んでくれました。そして皆さんのよみも、それぞれの人生で、それぞれの何かを引き受けて生きて来た説得力があって、とても素敵でした。
【粉雪】--- 美しい町、【麥の芽】--- 空のかあさま、【不思議】--- さみしい王女
お正月を挟んでけっこう間があいてしまったので、スイッチが入りにくいかなと思ってました。が、しかーし。皆さんエンジン全開で集合!【粉雪】では、Oさんに続いてAさんも歌い出し~ 私の方こそついて行くのがせいいっぱい(笑)日誌に書きたいこと盛り沢山。載せ切れない分は宝箱にしまっておきます。
私は不思議でたまらない、 黒い雲からふる雨が、 銀にひかつてゐることが。 私は不思議でたまらない、 青い桑の葉たべてゐる、 蠶(かひこ)が白くなることが。 私は不思議でたまらない、 たれもいぢらぬ夕顔が、 ひとりでぱらりと開くのが。 私は不思議でたまらない、 誰にきいても笑つてて、 あたりまへだ、といふことが。
---- 美しい町
Aさんは、色々なところで朗読をなさっているのに"有りがちな一定のパターン"に収まっていないところがGooD。経験のある人ほど"余計な仕事"をしようとする、または"何もしないこと"が朗読だと思っています。でも、余計な事とはいえ、企む事は良い事なのです。ただ失敗すると、聴いている側としては、何を表現したいのかを理解出来ても、心はちっとも動かないという状態になってしまいます。ここが難しいところ。企みを成功させるのは技術だけれど、伝えたいのは心。このジレンマは、表現者の永遠のテーマ。ジリジリしながらいきましょう。
Yさん。この詩は"こうくるだろうな"と予測のつく作品です。「不思議だなぁ・・・」というメルヘンの世界。ところがYさんは、「これを不思議だと思わないなんて、あんたらおかしいんじゃないのッ!!」と、啖呵切ってる風でGooD(笑)予測をくつがえして新鮮、なおかつ、すごく伝わって来ます。
Iさんはクールでカッコ良かった!!タイトルのよみの静けさは剣聖の佇まい(笑)この方の説得力は何処から来るのでしょう・・・。みすゞの詩をよんでいるのではなく、Iさんが今、思った事を喋っているみたい。何ひとつ頑張っていないのに、詩の世界に染めてくれる。
そのあまりの素敵さに、Oさんは"I流・平熱よみ"にトライ!!・・・が、やはり養殖モノは天然モノにはかなわない。ましてIさんの武器は福島訛。その"音"にかわる何かがないと、この詩の要である"発見の喜びや感動"が薄くなってしまいます。それでもOさんは流石!!最後の連でハジケて挽回
塾生の切磋琢磨のおかげで、とっても素敵な稽古始めとなりました。
初めての"おさらい会"をやりました!! 通常三篇お稽古するところを二篇に短縮して時間を捻出。"おさらい会"のための一日とはせず、いつもの延長。肩の力を抜いて成果発表。これまで稽古した中から好きな詩を選び、一篇だけ詠むもよし、五篇やるも又よし。
Iさん:【親なし鴨】--- 美しい町 /【春のお磯】--- 空のかあさま
Aさん:【日の光】【雀のお宿 -おはなしのうたの五-】【こぶとり -おはなしのうたの一-】--- 美しい町 /【灰】--- 空のかあさま
Yさん:【ばあやのお話】--- 美しい町 / 【灰】--- 空のかあさま
Oさん:【はつ秋】【海とかもめ】--- 美しい町 / 【犬】【灰】--- 空のかあさま
スカーフを取りだし、真知子巻(?)する方あり、詩を選んだ理由や、みすゞや塾への思いを語る方あり・・・また、メンバーがどんな詩を選ぶのかも興味をそそられました。一番人気は上記の通り、【灰】
みんなこの日を楽しみに詩を選び、自主練したのが伝わってきました。私も最後にやらせていただいたのですが、この日の稽古で取り上げた詩をよむにとどまり・・・ごめんね、みんな。今スケジュールが、キャパを越える状態が続いているのです。来年は私も、メッセージや自分の気持ちを伝えられる詩を選びたいと思います。再びおさらい会で、確認作業をしましょう!!本当に やって良かった。ものすごい元気をもらいました
そしてまた"発表会"というものの位置づけについて、発見がありました。照明や音楽やビデオはなくても、みんなの心一つで、こんなにも贅沢な時間を生み出す事ができる。成果発表という"おさらい"の原点を確認させていただきました。
さあ~打ち上げ打ち上げ、忘年会だぁーーッ!!会場選びをメンバーにお願いしておいたら、スゴイ割烹の個室に連れていかれてビビリました(笑)豪華な御馳走も大変おいしかったのですが、なによりの御馳走、いや、ゴチソウを凌いだのは、一枚の写真とそれに込められた物語。
その写真は、新しく入塾なさったIさんが持ってきて下さったもので、赤ちゃんの頃のIさんが、お母様に抱かれている、写真館で撮ったものでした。お母様は農家にお嫁に行ったのですが、身体が弱くて野良仕事ができず離縁となったそうです。赤ん坊を置いて里に帰らなければならず、子供と自分のために撮った写真でした。お母様は感情を面にあらわには出していないのですが、慟哭が伝わってきます。その写真を見たIさんのお婆ちゃんは「赤ん坊と引き離したら、この娘は死んでしまう」とIさんを農家から奪取したそうです。お婆ちゃんを無謀な行動に走らせる程、深い悲しみを湛えた写真でした。
Iさんは、私がみすゞの“最期の写真”に拘っているので、持ってきて下さったようです。大切なお写真を、本当にありがとうございました。拝見して、今まで抱いていた確信がより強くなりました。みすゞの最期の写真は“遺して行く娘のために撮った”という説になっているのですが“娘のために”撮ったのであれば、抱いて“一緒に”撮るはずです。そして何より決定的なのは、その表情。みすゞの最期の写真と、Iさんのお母様の写真・・・この2枚が、私に訴えかけてくるのです。みすゞの写真は“母”ではなく“詩人”の顔だと・・・。
【私の丘】----空のかあさま、【雀のおやど】──おはなしのうたの五── 【海とかもめ】 ----美しい町
海は青いとおもつてた、 かもめは白いと思つてた。 だのに、今見る、この海も、 かもめの翅も、ねずみ色。 みな知つてるとおもつてた、 だけどもそれはうそでした。 空は青いと知つてます、 雪は白いと知つてます。 みんな見てます、知つてます、 けれどもそれもうそか知ら。
---- 美しい町
この詩の深さは、どうしたら伝わるのだろう・・・。作品の大きさを前にして茫然と立ちつくしてしまう時があります。歯が立たないことを承知で挑むしかありません。メンバーの健闘ぶりや、いかに・・・
Aさん:だのに、今見る、この海も、
・・・しつこい表現で、信じていたものが覆されたショックが伝わって来ます。GOOD
Oさん:どうやらこの方、回ると歌うようです(笑)前回に続き歌できました。いいんだなぁ、これが・・・そのうちCDデビューか?!ただ惜しかったのはみな知つてると思つてた
以下が、ちょっと走り気味。焦らなくてよいのでたっぷりいきましょう。難しいけれど、歌うところと詠むところを組み合わせてもいいかも。
Iさん:"土の匂い"がウリのIさん。今回のよみは"美人"でした。もんぺをはいて畑仕事する姿しか知らなかった人の、真っ白な裸身を見てしまったようでドキドキしました。講評がえっちでごめんなさい(笑)でも、他の言葉に置き換えられない。
Yさん:女の子キャラの線の細さが課題です。なので、"喧嘩上等作戦"を伝授。「"本当って何?一体それは何処にあるの?世の中 みんな 嘘ばっかり!!あたしは本当のコトを知りたいの"という"怒り"でやってみましょう。」・・・作戦成功。線が3ミリくらい太くなりました
同じことがらを、観念的な言葉を こねくりまわして表現する詩人はあまたいますが、・・・この詩は、たったこれだけで、しかも子供にもわかる言葉で現すなんて!!やっぱりみすゞはスゴイと思いますv(^^)v
新メンバーIさんご入会、初参加。いらっしゃいませ~。Iさんは、7日(火)に行われた宮原公民館の文学講座第一回【金子みすゞ物語】を受講なさり、このサイトから入塾希望メールを下さいました。宮原効果とでも申せましょう
今日のみすゞ豆知識は"女学校卒業"と"母・ミチ"。詩は、【答辞】【親なし鴨】--- 美しい町。
みすゞの母は、息子・正祐(みすゞの弟)を妹夫婦へ養子に出しました。正祐自身は、実母を知らず、みすゞが実姉とは知らないまま。そして、みすゞの父が死亡、母・ミチの妹も死亡。母・ミチは、死亡した妹の嫁入り先へ後妻に。実の息子である正祐の育ての母となったのでした。
お月さん 凍る、 枯れ葉にや あられ、 あられ 降つては 雲間の 月よ。 お月さん 凍る、 お池も こほるに、 親なし 子鴨、 どうして ねるぞ。
---- 美しい町
Oさん、いきなり「驚かないで下さいね」と前置き。一体何が始るんだろう・・・固唾をのんで皆が見守る中、気を持たせるかの様にその場で一回転。わかるわかる。違うワタシになるためのおまじないなのね。・・・・・・・・おぉーっと、Oさん、歌できたぁー!!これは驚くってば(爆)しかも、スゴク良い。時代っぽい哀調で・・・とっても素直なメロディーライン。きっとOさん、音が向こうからやってきちゃったんだろうな・・・。この"降りて来る"っていう感じ、よくわかる。
みすゞ塾、スゴイことになってきましたが(笑)、おかげさまで初参加のIさん、楽しんでいただけたようです。Oさん、ハジケてくれてありがとう。
【さみだれ】---大津高女の校友誌『ミサヲ』第5号、【お乳の川】【花の名まへ】---美しい町
。今回は、評判悪くなくて、良かったわぁ(笑)
なくな、仔犬よ、 日がくれる。 暮れりや 母さんゐなくとも、 紺の夜ぞらに ほんのりと お乳の川が みえよもの。
---- 美しい町
この詩の子犬はみすゞ自身。複雑な家庭環境における、母親との特殊な関係性・・・生きている母をゐなくとも
としている。【お乳の川】という言葉に、母に甘えてみたいという思いを感じます。
Aさん:子役がよんでいるような無邪気さがGood。自分を励ます詩になっています
Oさん:どうも不完全燃焼な感じがしたので、「欲求不満になってませんか?やりたいことは思い切ってやってしまいましょう」とアドバイス。そしたら・・・"瞼の母"に変身!(爆)よみを聞いていて"国定忠治(忠次)"の赤城の山も今宵を限りに・・・
のシーンが浮んで来ました(笑)時代劇な感じが変じゃないのは不思議~。きっと、詩のスピリッツが、"瞼の母"なんだろうなあ・・・。久々にOさんハジケた瞬間でした。
Yさん:おぉ・・・耐える女できたかぁ!!GoodGood。耐えてるけれども泣いていないところがすんごく良い。こういう人って強いんですね。カッコ良かった
3人のアジの違いを堪能。ごちそうさまでした!!・・・・ぇ、私は何をしてたのか?!(爆)
秋らしい詩を三篇。【秋は一夜に】---さびしい王女 【巡禮】---空のかあさま 【こほろぎ】---美しい町
秋は一夜にやつてくる。 二百十日に風が吹き、 二百二十日に雨が降り、 あけの夜あけにあがつたら、 その夜にこつそりやつて來る。 舟で港へあがるのか、 翅でお空を翔けるのか、 地からむくむく湧き出すか、 それは誰にもわからない、 けれども今朝はもう來てる。 どこにゐるのか、わからない、 けれど、どこかに、もう來てる。
---- さびしい王女
この詩に限らず、今回は評判悪かったですねぇ(笑)難しい、わからない、のオンパレード。この詩、そんなに難しいですか?私は大好きなんだけどな。
Yさん「どこにポイント(=歌でいえばサビ)を置いたらいいのかが難しい」Oさん「でだしは上品なのに、その後の野蛮な感じが嫌い」いくら私でも、嫌いな詩を好きにさせるのは難しいかも(笑)とりあえず、お稽古、おケイコ。
さて問題。一夜
、これは、"ヒトヨ"なのか"イチヤ"なのか。二連目の最後の一行、その夜
は、"ヨ"なのか"ヨル"なのか。夜
は、詩の持っているリズムから"ヨ"で満場一致。
一夜
は、指摘するまでは皆気付かず(笑)。各自、考えて意見し合った結果、全員"ヒトヨ&ヨ"に落着。やっぱ、私、この詩、好きなんだなあ(しつこくてごめんなさいw)秋は、訪れた瞬間を指させる季節。その感じが良く出ていると思うんですよね。(*^^*)
秋晴れの佳き日、新たなスタート。新生『みすゞ塾』初日でございます。もしかしたら私、"NHK文化センター"というブランドよりも、寺の境内を根城にしている"野良"の方が似合っているかも(笑)でもそれも、"ブランド"での経験があればこそ。全てに感謝。
区切りもつき、良い機会なので、12月、本年最後のお稽古をちょっぴり短縮して、"おさらい会"を提案。今までお稽古した中から、5篇程度を自分でpickup、内々で成果発表。今後、定期的にやることで、成長も実感できます。
・・・「選ぶの めんどくさ~い」とAさん。良いんですよ。選ぶの面倒だったら、その日にお稽古した詩でも(笑)大好きな一篇だけでもOK。お客さんを感じて"聴かせる"という意識を持つことは、きっと"表現"にも生きて来ます。数篇続けて詠むことで、間(ま)の勉強にもなるでしょう。そして、終わったらランチで打ち上げ!!こっちはすぐ決まるんですねぇ(笑)
さてさて、お稽古。季節に相応しい詩を三篇。【達磨おくり】--- 空のかあさま 【もくせい】--- 美しい町 【花のお使ひ】--- さみしい王女
白勝つた、 白勝つた。 揃つて手をあげ 「ばんざあい」 赤組の方見て 「ばんざあい」 だまつてる 赤組よ、 秋のお晝の 日の光り、 土によごれて、ころがつて、 赤いだるまが照られてる。 も一つと 先生が云ふので 「ばんざあい。」 すこし小聲になりました。
---- 空のかあさま
私は何の疑問も湧かずに読めているのですが、「二連目は難しい、わからない、やりにくい」という皆さんの声。何の話なのか 「???」な私。果ては、「だまってる赤組よ
の「よ」がなけりゃいいのに」という意見まで飛び出しました。
・・・要するに、白組の気持ちで詠み始めると、二連目で「○×△□」・・・とつまづいてしまうということなんですね。ここは、風景描写で赤組と白組の気持ちを表わしている。なので、"ナレーター役になる"もしくは、"第三者の独り言でやる"とアドバイス。消化不良な部分は抱えているのだろうが、各々 よみはGOOD!!私自身、"何がわからないのか わからない"意見に遭遇し、勉強になりました。
10月から蓮馨寺へ移行するため、NHK文化センターの講座としては最終日。丸広(地元のデパート)の駐車場から文化センターへの道をたどりながら、昨年7月、講座初日のドキドキが蘇って来ました。感謝を込めて、最後のおつとめ。
お休み1名。お稽古時間が余るとふんで、おまけの別メニューを組みました。それは長い文章。みすゞが通っていた大津高女の校友誌『ミサヲ』に載録の、作文二篇。
【ゆき】大津高女 校友誌 ミサヲ 第3号今日も朝から細かい雪がしきりにふつてをります。もう大分つもりました。 庭に出て見ますと、燈籠の上も、木の葉の上も、わたをつけたやうでありま す。雪の上に、点々としるされた二の字を見ますと、「雪の朝二の字二の字の 下駄のあと。」の句も、思ひ出されます。向うの方を通つてゐる人は、頭から まつ白になつています。垣の向うのおとなりの裏には、いつの間にたれが作 つたのか、雪だるまが大きな目をむいてゐます。犬の子は、うれしさうにと ぴまはつてゐます。雪は時々、思ひ出したやうにやんでは、又ふりつゞけて ゐます。私は寒いことも忘れて、ぼんやりと繪のやうな雪景色をながめてゐ ました。
【我が家の庭】大津高女 校友誌 ミサヲ 第4号私の家のにはは、極めてせまいものである。けれども此のせまい所にも、 日光は同じやうにさしこんで、四季をりをりの花を咲かせてゐる。此頃は花 盛りである。正面に女王のやうな、大きなばらの花が高からぬ木一ぱいに咲 きほこつてゐる。其のとなりには、上品な芍薬が最早終りごろのしほらしい 姿を見せてゐる。こちらには白や赤の可愛らしい石竹が今を盛りと咲きみだ れ、金銀草までがまけぬ気になつて、小さな白い花を開いた。夏になると蝉 の宿になる高い木も生々した青葉になつて、初夏らしい気分を見せてゐる。 私はヘやでぬひ物をしながら、庭を眺めて、国語の吾が家の富といふ課を思 ひ出してゐた。
美しい文章です。そして、別人が書いたかの様に文体が違う・・・この工夫。書くことの[めざめ]は、相当早かったのであろうと推察されます。
Aさんはボランティア等で、長い作品の朗読経験がありますが、ほとんど未経験の状態で入会なさった方です。もちろん みすゞ作品に関して、詩じゃないものは初挑戦。・・・にもかかわらず、この二つの作品の違いをきちんと掴み、表現できていました!!
元気がウリのAさん。【ゆき】は、よみが元気過ぎる(笑)もう少しおすましな感じ、"山の手の奥様"のイメージでやってみたらGOOD、GOOD!!
いつものお稽古は、最終回をにぎにぎしく終えるべく、楽しい詩を3篇。【打出の小槌】【こぶとり --- おはなしのうたの一 ---】【なまけ時計】---美しい町
これにて、NHK文化センターの講座終了。ここでの日々は、私にとって大きな力となり、おかげさまでハクもつきました(笑)「また帰ってきて下さい」と、言って頂けるうちが華。そうなれるよう頑張ります。お世話になりまして、本当にありがとうございました。
NHK文化センター講座でいるのもあとわずか。今日は、【雀と芥子】--- 空のかあさま、 【瞳】【月と雲】--- 美しい町
空の野原の まん中で ぱつたり出あった 月と雲。 雲はいそぎで よけられぬ、 月もいそぎで とまられぬ。 ちよいとごめんと 雲のうへ すましてすたこら お月さん。 あたま蹈まれた 雲たちも 平氣のへいざで えつさつさ。
---- 美しい町
これは、任侠道のマンガにしたい・・・雲組に、単身乗り込んで行くお月さん。緊張の一瞬です。死闘が繰り広げられるかと思いきや"すたこらさっさのほいさっさ"な終わり方。このオチを語っている"寅さん"のイメージ(笑)
出色のできは、Aさん。この1年2ヵ月で、初めて見せたその姿。私以外のメンバーも!!!な反応。聞けばAさん、御主人と見に行く映画は決まって"寅さん"だったそうです。どうりで・・・と、みんな納得(笑)
「渥美清は好きじゃないんです」というOさんは、正統派任侠路線。マンガというよりは劇画タッチのよみ。
女の子な世界を得意とするYさんにとって、苦手なジャンル。でも、"出会い頭の緊張感を表出するための間"を伝授。大健闘*smile*
私が提示したイメージを離れ、"メルヘン路線"でもやってみましたが、全然インパクトなし。閃き任せの私の"お題"って、いい加減そうでいて、スゴイのかも・・・と、ちょっぴり自画自賛しちゃいました(爆)
盆休み中に、NHKを離れること、蓮馨寺で新たに始めることについて、状況説明と意志確認の手紙を出しました。休み明けのこの日、「3ヵ月ごとに継続出来るか出来ないかを気にしながら勉強するより、安心して伸び伸びやりたい」皆の総意として一致。一人も欠けること無く、このハプニングを乗り越えられた・・・嬉しかったです。10月からの新しいスタートに向けて、Let's Go
朗読練習は、【箱庭】【小さなうたがひ】【私のお里】--- 美しい町。今回は、"さびしい"がテーマ。
あたしひとりが 叱られた。 女のくせにつて しかられた。 兄さんばつかし ほんの子で、 あたしはどつかの 親なし子。 ほんのおうちは どこかしら。
---- 美しい町
Yさんの よみで、新たな発見。
あたし
わたし >「あ」と「わ」の中間のビミョーな音。
"あたし"という表現は、みすゞにとって、すんごい珍しい(ハズ)。今までこの観点から見つめたことが無かったので、データ不足ですが、今後はアンテナ張ってチェック入れていきます。きっと、何か見えて来るものがあるはずです。
叱られて、「もっとやさしい、ほんとうのお母さんが、きっとどこかにいるんだ」という空想をしたことがあると思います。【みすゞは、その空想を詩にした】という一言で片付けられないほど、これに類する詩が多いのです。弟が養子にいったことで生じた、我が身にも起こり得るかもしれないという【小さなうたがひ】。その根深さが哀しい。
ほんのおうちは/どこかしら【小さなうたがひ】 私のお里は/知らなひの、/どこかにあるよな/氣がするの。【私のお里】
また一つ、もう一つ、と繰り返される、"ここではない何処か"への憧れ。それは正視したくない現実を生きるために必要な"お休み処"だったのかもしれません・・・。
今回は思い出を弔う詩。【學校】、【學校】── 人におくる ── --- 空のかあさま。【燈籠ながし】--- 美しい町。二篇は女学校時代をうたっているが、前回の【學校へゆくみち】とは180°世界が違います。
氷がとけたら みづうみの 底に學校は あるでせう。 葦の葉かげに 映つて揺れた 赤い瓦よ 白壁よ。 葦は枯れ 學校はあとなく なつたけど、 氷がとけたら みづうみに むかしの影があるでせう。 葦が青めば その底で 鐘のなる日も來るでせう。
---- 空のかあさま
サブタイトルの、"── 人におくる ──" この"人"とは、誰を指すのでしょう?私は親友の豊々代さん、豊ちゃんだと思っています。お腹の赤ちゃん共々22才の若さで死んでしまった豊ちゃん。輝かしかった女学校時代の、宝物の様な思い出を湖(実際、学校のほとりにあるのは池)の底に封じ込め、追悼の詩をつくった・・・私はそう考えています。
まるで母校が廃校になり、ダムの底に沈んでしまったかのような、さびしい さびしい詩です。表現の基本は、"明るく、元気に、一生懸命"。故・三平師匠が、いまわの際に息子に伝えたという"芸の奥義"にならっています。ですが、この詩は例外。世界に浸っちゃてもいいですよ・・・ということでお稽古。
が、「浸りたくても、入っていきにくい」と、のたもうたのはYさん。気持ちはよ~くわかります。もしかしたら、みすゞが【豊ちゃんと二人の世界に入ってくるな】って拒絶してるのかもしれません・・・。
でも、でも、1年前と比べたら・・・あの頃のYさん、世界をつかまえられていない時は、一声でわかった(笑)。今は彼女の挑戦がちゃんと聞こえてくる!!進歩です*smile*
"小学校時代"というカテゴリーから、"女学校時代"へと進みます。【知らない小母さん】は例外です。【學校へゆくみち】---空のかあさま。【まつりの頃】--- 美しい町。【知らない小母さん】--- さみしい王女。
ひとりで杉垣 のぞいてゐたら、 知らない小母さん 垣の外通つた。 小母さんつて呼んだら 知つてるよに笑つた、 私が笑つたら もつともつと笑つた。 知らない小母さん、 いい小母さんだな、 花の咲いた柘榴に かくれて行つたよ。
---- さみしい王女
この詩、好きなんですよね・・・。音の絶えた夏の日盛り、お昼寝しそびれちゃった女の子が、柱にもたれて外を見ている。垣根の外を通るのは、ちょっぴり憂いをふくんだ夢二美人風の年増。ひととき、寂しい少女と心を通わせ、白い日傘が柘榴の蔭に消えてゆく・・・。上等なモノクロ映画のワンシーンのよう。きれいな詩です。
それを表現するのは至難の業だが(笑)、いざ挑戦。いつもの調子で、みんなで2回よんでいたら、予期せぬ音が聞こえて来ました。きれいにハモッてる(笑)。それぞれの音が粒立ち、響き合っている・・・これは初めての経験でした。すんごい気持ち良かった。私だけかと思い、みんなに確認したところ、同じ感覚を味わっていたと・・・。
III集ということで、みすゞの寂しさを感じてしまう、と、のたもうたのはYさん。そうですね・・・III集を色濃く貫いている寂しさは、静かなあきらめが透けてみえて哀しいです。みんなでしみじみしちゃいました。
人数が少なくて、いつ打ち切りになるかとヒヤヒヤしながらも、なんとかこの日を迎えることが出来ました。3人のメンバー達の『打ち切りになるのなら、場所を変えてでもやりたい』という声が、支社長さんを動かしてくれたお陰です。ありがとう、みんな。頑張ります!!・・・講座の中身はいくらでも頑張りようがあるのだが、人集めに関しては、どう頑張ったら良いのやら・・・;;;
今回のクールは、みすゞの魅力が良い型で詰まっている、大好きな詩でスタート!!【木】--- 空のかあさま。*注美しい町に採録されている同名タイトルのポピュラーな詩があります。お花が散つて 實が熟れて/
これではない方です。【燕の母さん】--- 美しい町。【蛙】--- さみしい王女。
憎まれつ子、 憎まれつ子、 いつでも、かつでも、誰からも。 雨が降らなきや、草たちが、 「なんだ、蛙め、なまけて。」と、 それをおいらが知る事か。 雨が降り出しや子供らが、 「あいつ、鳴くから降るんだ。」と、 みんなで石をぶつつける。 それがかなしさ、口をしさ、 今度は降れ、降れ、降れ、となく。 なけばからりと晴れあがり、 馬鹿にしたよな、虹が出る。
---- さみしい王女
みすゞにしては乾いた世界。本当に、第III集(さみしい王女)のみすゞは突き抜けているんです。最後の、あっけらかんとしたユーモアの軽さも好き。「これって、人生そのものですよね」と深ぁ~いお言葉を発したのはYさん。この軽さに"悲しみ"を見つけてくれるほどの成長ぶり・・・うれしかったです*smile*
現クールの最終回。仙崎の風景と、少女時代のみすゞが浮かんでくる詩を三篇。【芝居小屋】【石ころ】---- 美しい町。【たもと】---- 空のかあさま。
偶然三篇とも、発表作品と遺稿との表記が異なる詩です。その違いから何を感じるか・・・受講者から、興味深い意見がたくさん出ました。【石ころ】を紹介します。
きのふは子供を ころばせて けふはお馬を つまづかす。 あしたは誰が とほるやら。 田舎のみちの 石ころは 赤い夕日に けろりかん。
--- 全集
【童話】大正13年5月号
きのふは子供を ころばせて けふもお馬を つまづかす、 あしたは誰が とほるやら。 田舎のみちの 石ころは、 赤い夕日に けろりかん。
--- 遺稿
そして、けろりかん
。「ユニークな表現にふさわしい"音の冒険"をしましょう」と課題を提示。多彩(といっても3人ですから3色・笑)な音が続出!!お互いを聞き合う、という楽しさが育って来ました。
今回は教室を飛び出しスタジオへ。1クールに1回ぐらいは身体を使うプログラムを取り入れたい。頭で理解するより、身体でわかろう!!
【葉っぱの赤ちゃん】【桃】--- 空のかあさま。【桑の實】--- 美しい町。
一、二ィ、三、 飛びついた。 ゆつさゆつさゆれる 桃の枝。 枝は下つて來は來たが、 右もひだりも手があかぬ。 一、二ィ、三、 飛び下りた。 ぴんとかへつた 桃の枝。 あの桃、あの桃、たァかいな、 あの桃、あの桃、大きいな。
---- 空のかあさま
アクション入りで競演。嫉妬を覚えるほど可愛いかったのは、Yさん。"・・・私たち4人が村の子で、みんな木に飛びついたけど、誰も桃を取れなかった・・・とする。そこへ現れたのは、ガキ大将。軽々と桃を取り、Yさんだけにプレゼント。貰えなかった私たちのブーイングの嵐に、ガキ大将はキツ~イ一言「お前たちは、自分で取んな」そんな光景がアリアリと浮んで来てしまいました。
人は、産まれた瞬間から差別に晒されているのですね・・。強く生きようっと!!(笑)
隣の子供 / 雨のあと / 空の鯉 --- 美しい町
【空の鯉】。季節に沿うなら、前回の5月8日のほうが子供の日に近かったのですが、"小学校"というカテゴリでまとめたので、押し出されてしまいました。
本日、恐れていたことがついに現実に。Yさんとマンツーマン!Oさんは事前に休みますとの連絡。Aさんも当日「急用が・・・」と伝言。人数が少ないから、みんな気を遣って連絡してくれて・・・うれしいけど、ちょっぴり辛いです。でも気を遣われることを情けないと感じるのは私の見栄。思いやりを素直に受け止めて頑張ろう!!
それにしても打ち切りが視野に入って来ます。私もギャラと労力の釣り合わない講座がなくなれば、正直楽になる・・・といっても、釣り合っている講座などないのですが(笑)はからずも少数精鋭でやってきたことで育って来た、詩心への意識の高さ。これをこのまま放り出してしまうのは、惜しい。もったいない、嫌だ!!みんなに気持ちを確認した上で、別会場をあたる等の手段を本気で考えた方が良いかもしれません。
マンツーマンレッスン。Yさんと「お互いに気心が知れたこの時期で、本当に良かったね」としみじみ。初期だったら、すんごい気疲れしそう(笑)ということで雑談を交えて、まったりお稽古。
お池の鯉よ、なぜ跳ねる。 あの青空を泳いでる、 大きな鯉になりたいか。 大きな鯉は、今日ばかり、 明日はおろして、しまはれる。 はかない事をのぞむより、 跳ねて、あがつて、ふりかへれ。 おまへの池の水底に、 あれはお空のうろこ雲。 おまへも雲の上をゆく、 空の鯉だよ、知らなひか。
----美しい町
〆は、この詩を「頑張れ あ・た・し」という自分へのエールで朗読練習。みすゞもきっと、そういう思いで作った詩だと思うから *smile*
全6回の このクールのテーマ"小学校時代"にふさわしく、【泣きむし】--- 美しい町、【おひる休み】--- 空のかあさま、【ねがひ】--- さみしい王女。
今回は、「」の部分の処理をオベンキョー。フツーによんても良いし、音で遊んでも良いし、自分にフィットする音を探してみましょう!!とトライ。台詞音痴(?笑)の私のビミョーな音を、見事にコピーしたのはOさん。他の二人も果敢にユニークな音にチャレンジしていました。
この2篇で自由になれたのでしょう。【ねがひ】の最後の1行、難しいのに 皆さん健闘。
夜が更けるなあ、 ねむたいなあ。 いいや、いいや、ねてしまはう。 夜の夜なかに、この部屋へ、 赤い帽子でひよいと出て、 こつそり算術やつておく、 利巧な小びとが一人やそこら、 きつとどこぞにゐるだろよ。
----さみしい王女
最後の1行の難しさは、目で読んだだけではわかりません。声に出すと、イメージとは違う音が聞こえてくるのです。自分の声なのに(笑)。そのズレを修整していくのも、朗読の楽しみでございます!!
「・・・この詩は、III集に入っているので、みすゞが『もう疲れちゃったよ・・・』って言ってるようにもとれますよね。」こうのたもうたのは、Yさん。丁寧にやってきて良かったと思える意見をありがとう*smile*
小学校時代のみすずを彷彿とさせる詩、三篇。【犬】---空のかあさま、【爪】---さみしい王女、【ころんだ所】---美しい町。
親指の爪は 平たいお顔。 丈夫さうなお顔。 わたしらの先生。 人差指の爪は ゆがんだお顔。 泣きそなお顔。 いつかの曲馬の子。 中指の爪は まあるいお顔。 笑ってるお顔。 まへゐたねえや。 紅さし指の爪は 四角なお顔。 考へてるお顔。 あの、旅の小父さん。 小指の爪は ほそくて、きれい。 知ってるやうで 誰だか知らぬ。
----さみしい王女
一応、一連めに「先生」という言葉が出てくるので【小学校時代】のカテゴリーに入れました。それとは全然関係なく(笑)、私達は自由に、この謎めいた詩の解釈について語り合いました。
一連め。親指は死んでしまったお父さんであろうということで全員一致。
二連め。人差指は、弟であろうということにも全員一致。【曲馬の小屋】という詩に出てくる、"弟に似たよな曲馬の子"というフレーズの影響大。
順序は後先になりますが、 五連め。 小指は自分自身であろう、といことでは一致。ただし、Yさんは「この"知らぬ"という表現は逆説的に、みすずの"私を見て"というメッセージである」と主張。わたしの主張は、「この突き放した表現にみてとれる、みすずは自分を嫌いだったということであろう」
・・・・おもしろくなってきました*smile*!!
問題は、三連めと4連め。Yさん:中指はお母さんで、紅さし指は上山の叔父さん。私:中指は、死んでしまった親友の豊ちゃん。紅さし指は、下関駅頭で短い対面を果たし別れた西条八十。・・・私は、Yさんの解釈にかなり引き寄せられてしまいました。その方が、素直な見方かもしれない。でも、自説も捨てがたい(笑)
Yさんの今後が、楽しみです!!
新しいクールの始まりです。メンバーはちょっと変わり、独自の解釈を披露してくれていたM女史が脱けてしまいました。彼女の意見を聞けなくなるのは、とても残念。機会あったら、またいらしてくださいねー。
気を取り直して、少人数だからできる【オトナのサロン】。贅沢な時間を創っていきます。
新学期という感じの詩を選んでみました。【四月】--- 美しい町 【お勘定】--- さみしい王女 【おてんとさんの唄】--- 空のかあさま
日本の旗は、 おてんとさんの旗よ。 日本のこども、 おてんとさんのこども。 こどもはうたほ、 おてんとさんの唄を。 さくらの下で、 かすみの底で。 日本のくにに、 こぼれる唄は、 お舟に積んで、 世界中へくばろ。 こぼれるほどうたほ、 おてんとさんの唄を。 さくらのかげで、 おてんとさんの下で。
----空のかあさま
自分だけのメッセージを込めることで、言葉に命を吹き込む・・・。今回は、詩を私物化する方法についてお話ししました。邪道かもしれませんが、たとえ百八つの汚い手を使っても、他人事だった言葉が自分のモノになるのならOKってことで(笑)
私は、『日本のくににこぼれる唄=憲法九条』という気持ちでやっています。この唄よ世界に届けという願いを込めて。九条を死守すること=日本はアメリカの腰巾着ではない、と国際社会に認識させることに繋がると思うから。
それにしても、世界という視点があるなんて、やっぱりみすゞってスゴイ!!
告示していた体験会の日なのですが、申し込みが1名 --; だったので中止。この、唯一申し込まれた方、3/27に見学にいらして、楽しんでいかれたのですが、入会はなさいませんでした。残念!!
JULA出版による金子みすゞ全集には、廃刊になった古い全集と、現在出回っている新しい全集とがあります。新旧の全集で、相当数の詩の表記が違っていることをご存知ですか?
遺稿をもとにしているのは新旧一緒なのですが、雑誌に掲載された発表作品の扱いが違うために起こった現象です。
この事実から考えられることは
私の考えは「2」です。ひとつ取り上げて、比べてみましょう。【空のあちら】という詩は、同じ作品とは思えないほど表記が異なっています。
空のあちらに 何がある 入道雲も しらないし お日さまさへ、知らぬこと 空のあちらにあるものは 山と海とが 話したり 人が からすに 代りかはる 不思議な、魔法の世界です
---【童話】大正12年10月号
空のあちらに 何がある。 かみなりさんも 知らないし、 入道雲も 知らないし、 お日ィさまさへ 知らぬこと。 空のあちらにあるものは、 海と山とが 話したり、 人が烏になりかはる、 不思議な 魔法の世界なの。
---遺稿
私が指導している講座やサークルでは、この詩に限らず、表記が異なっている事実とそこから考えられることを、お話しています。私の考えは、上記の通り、「2」です。でも、みすゞが亡くなっている以上、真実は闇の中。推理でしかありません。皆さんに押しつけるわけにはいかないのです。
各自の自由な判断に任せる --- みすゞが描いた詩の世界はどちらなのか。受講者の皆さん曰く、「発表作品の方は、みすゞの詩じゃないみたいな気がする」。
9ヵ月間、共にみすゞの詩に接し、みすゞの世界に浸り、「そうだよね!」と、こういう話が出来るようになりました。
いつもは教室なのですが、今日は板張りのスタジオで稽古。頭ではなく身体で考えることにトライしてみました。目的は、表現に《表》と《裏》があると体感することです。
【身体で考える】試みのために、前回、初の宿題を出しました。【こだまでせうか】(さびしい王女)と【畠の雨】(空のかあさま)を暗誦出来るように覚えてくる。
表・・・気持ちを見せて伝える。【こだまでせうか】
裏・・・気持ちを見せずに、覗き込ませて伝える。【畠の雨】
目的を果たせた人も果たせなかった人も、お互いを聴き合うことで、何かを掴んでくれたという手応えを感じました。
このプログラムは、初期に不意打ちを喰らわせるか(笑)信頼関係を築いてからやるか、二つに一つ。ずーっとやりたいと思っていたことを、やっと実現できました!
"お兄さんシリーズ"。美しい町より【くれがた】、さびしい王女より【叱られる兄さん】、空のかあさまより【女の子】
兄さん 口笛 ふきだした。 わたしは 袂を かんでゐた。 兄さん 口笛 すぐやめた。 表に こつそり 夜が來た。
----美しい町
前回の【かるた】に感じるのは練炭の匂い。この詩に感じるのは、金木犀の匂い。どうやら私は、臭覚系人間らしい(笑)。大好きな詩なのですが、説明が省かれ過ぎているせいなのかどうか・・・受講者からは「わからない」という声がチラホラ。
つるべ落しの秋の夕暮れ。叱られて、背戸で袂を噛む妹。慰めるかのように、兄は口笛を吹き始める。その優しさを受け取り、妹はちょっぴり気がおさまる。それを見届けたのか、吹きやめる兄。二人をそっと包むように夜がきたよ.....
・・・というのが私の解釈ですが、M女史からまたも素晴らしい発言。「異性の兄弟の間の、微妙な感情ってありますよね。私は弟の彼女に嫉妬を感じたことがあります。」
!!!一人っ子の私には、想像つかなかった(笑)でも、言われて納得。だから私は、この詩に甘い匂いを感じていたんだ!!!
そして受講者O女史はぶっ飛びの朗読。演歌で朗読したいということで練習。・・・ん?んんんん?"兄さん"という呼びかけに、ただならぬ気配。まるで遊女が客引きしてるみたいな色っぽさ(笑)兄弟じゃない、という設定で呼びかけたのかと尋ねてしまいました(笑)
てな具合で、てんやわんや(爆)どこまで行くのよ私たち?!
今回は、"おばあさま"シリーズ。美しい町より【かるた】【ばあやのお話】、さびしい王女より【硝子の中】。
お炬燵の上に、 お蜜柑積んで、 お祖母様、眼鏡、 キラ、キラ、キラリよ。 疊のうへにや、 かるたが散つて、 ちひちやいお頭、 ひい、ふう、みいつよ。 硝子のそとは、 しづかな暗夜、 ときどき霰が、 パラ、パラ、パラリよ。
----美しい町
私がこの詩から一番強く感じること、それは掘り炬燵に入れてある練炭の【におい】です。ゆっくりと時間が流れていた時代の、おだやかな気分、切り取って来た一風景。何でもない日常の尊さとか愛しさを、冬のある日の情景に感じます。
前回、リアリティ溢れる「おとうと」の音を皆に聴かせたM女史から、今回は別世界が発現。弟3人ということもあって、おばあちゃんに預けられていたとのこと・・・
こんな解釈、したことありませんでした。この説得力に頷くばかり(笑)みんなでM女史とみすゞ"を讃え合い、清々しいひとときでした。
詩で【人生を辿る旅】がお題目のこの講座。ここのところ寄り道して、みすゞのキラキラした世界で遊び惚けていました。今日はしっかり、本道です。
本屋さんを営んでいたみすゞのお家、それから養子に行った弟への思い------
さびしい王女より【柿と栗と繪本】、空のかあさまより【睫毛の虹】、美しい町より【お菓子】の三篇。
”弟が三人いる長女”という受講者の朗読。 「おとうと」と声に乗せる、そのリアリティあふれる音。言葉が生きていました。その方曰く、「これは、このまま私の実体験です」だそうで・・・説得力あるわけです。参りました(笑)
みすゞの詩って、ふるさとみたい。飾らない素朴さで包んでくれる。人を素直にしてしまう。あなたにも、この暖かさを感じて欲しいと願っています。
年明けの初稽古なので、希望を感じる詩を選びました。【夢賣り】【世界中の王様】【明日】の三篇です
世界中の王様をよせて、 「お天氣ですよ。」と 云つてあげよう。 王様の御殿は広いから、 どの王様も知らないだらう。 こんなお空を知らないだらう。 世界中の王様をよせて そのまた王様になつたのよりか、 もつと、ずつと、うれしいだらう。
----さびしい王女
最後の一行、うれしがっているのは、「お天気ですよ」と王様に教えて上げた子。この詩の主人公は、みすゞそのものだと、稽古中ふと思いました。
みすゞは、【空】のスゴさを知っている詩人です。そして、みすゞの詩も【空】そのもの。見上げればそこにあって、力を与えてくれる。スゴイちからを持っているのに、当たり前のような顔をして静かにそばにいてくれる。
みすゞは、この詩の主人公の様に、心の宝物を配り歩いている。私も、みすゞのハートをみんなに届けている。
それはやっぱり
世界中の王様をよせて
そのまた王様になったのよりか
もっと ずっと うれしい
ことです!!
今回取りあげたのは、【雲】【お正月と月】【かくれんぼ】
----美しい町(三篇)
私は雲になりたいな
なりたいけれど、なれないという、叶うはずのない夢の話をしているあきらめた女の子にしないでください
お月さん なぜやせる。 お正月 くるに。
いじけた詩にしない。"地団太踏んでいる藤山寛美"でよんでみましょう(笑)!!
かくれりゃすぐにみつかって 鬼になったら 城とられ いついつまでも 城とられ いつまで鬼の かくれんぼ 日ぐれは お家がなつかしい
さあ、この詩を"都会に疲れた女の役をやっている桃井かおり"でよむとどうなるか?!
ビルの屋上でさ、夕陽見てるわけよ
馬鹿見て生きてる女の憂い顔
最後の"日ぐれは---"のとこってさ
ちょっと疲れた時、死ぬほど田舎が恋しいわけよ
でも田舎ってのは、心の底から うっとうしい
だから絶対に帰らない
突っ張って生きてる女が、ちょっとだけ弱音吐いてる
愚痴にだけはしない
笑って言えるから、カッコ良いんだから
BGMはボサノバ。
頭の中を流れる音楽に浸りながら GO!!
人間の喜怒哀楽には、時代も国籍も関係なし。【本物】は永遠です。【力】のある詩は、こんな風に遊ぶこともできるんです、ハイ(笑)
プチ忘年会
メンバーのお一人が、みかんとお菓子を持って来てくれました。「40分までは部屋使っていいって、OK取って来たから」ということで、コーヒーを買い、束の間のお喋りタイ~ム。その気持ちがとても嬉しかった・・・ありがとう!!
やっと、皆さんも私も、ペースをつかめたという手応えが出て来ました!!空気が、自由になって来ています。
詩の朗読というと、【文学】の香り高い高尚な芸術というイメージがあるのでしょうか。だとしたら、私の考えとちょっと型破りなやり方に、慣れるための時間が必要かもしれません(笑)。
【表現の場】とは何か。
私は、自分をさらけ出す、恥かしい場所だと考えています。だからこそ、未知の自分と出会える。この喜びは心のタガをはずさないと得られない。馬鹿になったもん勝ち。これは、簡単なようで、難しい。
だからこそ楽しい!!
今回は、【喪失の連続】という人生の中で、唯一、満ち足りていた幼い頃を彷彿とさせる詩を三篇。仙崎の豊かな自然を相手に、無心に遊ぶみすゞが浮かんできます。
【田舎の町と飛行機】 - さびしい王女 -
【草原】【空の色】 - 美しい町 -
露の草原 / はだしでゆけば、....
【草原】は、歩きながら朗読。身体を動かせば、心が動く。心が動けば、音が変わる。
我ときて 遊べや 朗読したい人!!(パクリっ 笑)
今日は、鯨墓の由来など お話しながら 「鯨捕り」と「瀬戸の雨」という詩を取り上げました。「鯨捕り」は、命懸けで鯨と闘う男たちの、勇壮な詩です。
”酔い痴れてやって貰おう”と、タイトルを読んだ後、
「待ってました!!」
の 掛け声を入れ、気持ちよく、朗読して頂きました。
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お盆休みの間に、ハプニングが・・・NHK講座の時間を15:30~に変更できなければ、10月以降の講座は継続不可という通知が来ました。業務提携していた丸広(川越の老舗デパート)から、提携を打ち切られ、講座を整理・縮小しなければならなくなったそうです(・・・どこも苦しいんですね)。
2か月前の7月期講座スタート時。支社長さんが「もし打ち切りになってしまった場合、メンバー皆さんが、別会場を借りてでもやりたいとおっしゃっているなら、今後も続けていきましょう」・・・安心していたので、ちょっぴり衝撃。打ち切り通告とは微妙に違いますが、メンバーは全員主婦。15:30~では・・・夕食の支度がっ;;;
嘆いている暇はなく、まず会場を探さなくては。現在の場所から遠くなくて、駐車場付き、使用料も払える範囲で、声出しても文句言われない場所、etc....どこもかしこも、帯タスキと思案する ~(*_*)~ に、「蓮馨寺へ行け」という天の声が(笑)。
「蓮馨寺」は、毎月8の日がご縁日。屋台や大道芸、辻講釈も立ち賑わいます。ご住職は、絶対、芸能に理解がある方のはずだ!と、交渉。「どこでもいいから貸してほしい」。拝み倒す私に、「文化的なことですから」と快諾して下さいました!!御住職さまも、NHK文化センターで月1回、仏教の講座をお持ちだとのこと。"事情をわかってらっしゃる"というのも功を奏したのかな(?)。
浄土宗寺であり、福禄寿神をお祀りする蓮馨寺には、呑龍上人をお祀りした呑龍堂があります。子育て呑龍上人の元で、みすゞの心を学ぶ。いいじゃんいいじゃん!あぁ~~~~~~~~いがったあぁぁぁぁぁ!!!
御住職さま、本当にありがとうございます。蓮馨寺さんからも誇りに思って頂けるような同好会に育てていきます。ご住職さまの講座に幸あれ(もちろん私の講座にもっw)
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7月に開講したこの講座は、3ヵ月で1クールという成り立ちなのですが、おかげさまで、10月も継続と あいなりました!!
開講した時点では 継続できるかどうか、はっきりしていなかったので、無理矢理 3ヵ月で終了できるカリキュラムを組みました。
今期(10月)は、支社長さんから「腰を落ち着けて、じっくり取り組んで下さい」とのお言葉を頂き、今まで、駆け足で通り過ぎてしまったところを 丁寧にやっていきたいと思っています。
谷 英美
そして、この詩は森羅万象、宇宙の神秘を表わしている