反感と共感
シュタイナー教育を勉強するとすぐ耳にする言葉の一つに
「反感」と「共感」という言葉がある。
反感と共感にまつわる話をしてみたい。
さて、反感とは、一口で言うと「嫌い」という感情。
共感は「好き」という感情。
先日聞いた西川隆範先生の話は面白かった。
「知情意」を人生はじめの21年間で育てていくことは、
みなさん、ご存じのことでしょう。
大人になると、知情意の「情」はどう発達していくのか、私は知りたかった。
先生に尋ねると、先生は言われた。
「人間は、どうも、大人になると、意的な人と知的な人に別れるようだ。
意的な人にも知的な人にも感情はある。
意的な人の感情というのは、共感的なのに対して
知的な人の感情というのは、反感的である。」と。
大人の感情は、意的な行為をたくさんすると共感的な感情が豊かになり、
知的な行為が多いと反感的になるとのことだった。
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幼稚園では、月一回未就園児が遊びにくるオープンクラスという時間がある。
園長先生と一人の幼稚園の先生と幼稚園の母親たちがボランティアで運営している。
会費は一回おやつ代10円をいただく。
1時間自由に遊び、30分手遊びをしたりおやつをいただいたりする。
オープンクラスの手伝いをするお母さん達は共感に満ちている。
手伝いをしたい人だけで成り立っている。
学校の役員みたいに押し付けられた人はいない。
完全希望制だから、やりたい人だけがやっている。
だから、みんな心から充実して楽しいときを過ごすことができる。
ある日、そのオープンクラスのお手伝いで私は受付をしていた。
園庭を見ながら、みんなが来るのを迎えた。
その日、園庭では有志のお父さんたちが大工仕事ではしごを作っていた。
仕事が休みの土曜日、誰に頼まれたわけでもないのに、
喜んで幼稚園にやってくるお父さんたちがいる。
来たくない人は、家で寝ていればいい。
そこでは本当に好きで集まってきている人だけで動いているから、
当然、そこも共感に満ちている。
園庭は、土で、子どもたちは、どこを掘ってもいい。
だから、どこもデコボコでしている。
雨が降ると、園庭はぐちゃぐちゃになる。
その日、園長先生がそのでこぼこを直していた。
猫車で土を運び、園庭の穴を埋めていた。
オープンクラスに来ている幼児さんの一人は
園長先生のまねをして土を運び、穴を埋め、土を踏んで固めていた。
楽しく遊びながら仕事を手伝っていた。
砂場で遊んでいる子たちもそれぞれ土を掘ったり、
埋めたりしてあたかも働いているかのように真剣に遊んでいた。
そんな幼児を見て、彼らもまた共感に満ちているなあと思った。
そこでは、皆、なんらかの行為をしていた。
行為というのは、好きという感情から出てくることが多い。
イヤイヤやるということもあるが、
好きだから、したいからすることは共感に満ちている。
その日、私は園庭に向いて受付をしながら、園全体の共感に満ちた空気を味わった。
みんな、喜んで行為をしている。
みんな幸せそうである。
なんとも不思議な暖かくゆったりした時空がある。
共感に満ちた意的な仲間たち。
会議というのは、どうしても知的な活動になる。
その場で具体的になにかをすることはない。
言葉と頭と文字で繰り広げられる。
自分と反対意見を言う人もいるだろうし、
意見をあまり持っておらずに、
ふらふらしたことを言ってる人にイライラするかもししれない。
会議のような知的な行為は反感に満ちてくる。
心に反感の湧くような議論も私はとても好きだ。
人の意見を聞くのも好きだし、
自分の意見を言うもの好きだ。
反感に満ちた知的な行為と共感に満ちた意的な行為をバランスよく行い、
感情のバランスのとれた素敵な人に私はなりたい。