気質を知る
自分で自分の性格を知るということは簡単そうで難しい。
どれかの気質が際立っていればわかりやすいのかもしれない。
自分が思う自分と人から見た自分が案外違っていたりもする。
「私はいつも環境に流されて生きてきた。
私の人生はまるで風にたなびく柳のようだ」
と私は自分のことを思っていた。
だから、「4つの気質」の話を初めて読んだとき、
深く考えたわけではないが、直感的に「私は風だ」と思った。
そして、それを友人に話すと、友人は言った。
「人間てみんなある程度環境に流されながら生きているんじゃないの?
かずみさんは風って感じじゃないけど・・・」
そう言われてみればそうかなとも思った。
それから、色々な本を読んでみると、確かに違うかもなぁという感じがしてきた。
だって、私は、次から次へと興味の対象がわかっていくような性格じゃないし、
小さいときからじっとしていられたもの。
それでは、私は何質なんだろう。
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ある時、大村祐子さんの著書を読んで私は憂鬱質だと確信した。
親しい友人に話すと、「そうかもしれないね」と言った。
以来、私は憂鬱質ということで通すことにしていた。
ある日、幼稚園の勉強会で気質のことが話題になった。
私は、すぐに手をあげて「私は憂鬱質です」と言った。
そしたら、園長先生が言った。
「かずみさんは、憂鬱質というより、多血質ですね。
こういう会で一番に手をあげるのは、だいたい多血質の人です」
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私は、園長先生の話を聞いて、
一番初めに自分が感じた「風」の性格を思い出した。
私は、実に環境になじみやすい性分である。
学校時代は、どのクラスも好きだったし、嫌いな先生に巡り会ったことがない。
無理して環境に合わせているつもりは毛頭ない。
環境に身体が合ってしまうといった感じだろうか。
「アストラル体」との関連で考えると、実にまっすぐな感情がある。
人生で最悪の事態に陥って泣いていても、
落語のある場面を思い出すと、ついうっかり笑ってしまう。
興味がどんどん移るとか、
なんでもすぐやろうとするがイチ抜けたという性格について、
私には、そんなところはないと思っていた。
また、「それは悪い性格である」とも思っていた。
よって、私はそんな「悪い性格」ではないので、
「私は多血質ではないと思いたい」というのがあった。
さらに私は、「私はひとつのことに打ち込むタイプで、
途中でなにかを投げ出したことなどない」と気楽に信じていた。
が、考えてみると、編みぐるみのネコを作ろうと固い決心をしたのはいいが、
5年間の間に3人もの編み物の達人を自宅に招き、
編み方を習ったにもかかわらず、3回とも中途で投げ出し、それきりである。
実は、いまだ作りかけで一向に進行しないヴァルドルフ人形も一体ある。
やっぱり私は多血質なのかなと思って考えてみると、私の魂は結構外側を向いている。
イヤなことがあると、その場でイヤだなとすぐに思うが、その場が過ぎればもう忘れている。
いつまでもそのことで胸を痛めるということがとても少ない。
憂鬱質の人は、内面に心が向かうというが、
「私だって内面に心が向くことだってあるわよ」と言いたいのだが、
どうも、憂鬱質の人に言わせると、
多血質の人がいう内面に心が向くという程度は憂鬱質の人とはケタが違うらしい。
夫婦喧嘩をしたときなども、「二度と口をきくもんか」と本気で思うし、
固く決意したり宣言したりするのだが、すぐに、その宣言を忘れて、
気がつくと、またニコニコと話しかけてしまったりする。
でも、喧嘩をしたそのときは、
「バカヤロー、あんなヤツ大っきらいだぁーーーー!!」
と本気で思ったりする。
仲直りして、ちょっと楽しかったりすると、すぐさままた幸せな気分になれる。
そう言えば、子どものころ、父から「おまえはニワトリだ」とよく言われた。
「追い飛ばしても、ニワトリっていうのは、3歩行ったら、もう忘れる。
いっくら追い飛ばされても、3歩あっちに行くと、また、こっちに戻ってくるんだ」
もしかすると、多血質の子どもを父的に表現するとこんなふうだったのかもしれない。
気質を知るのは案外難しい。
みなさんは、自分の気質がわかりますか?