たにえみ

徒然記

ゴジカラ村の吉田一平さん

ゴジカラ村・代表の吉田一平さん。このおじさんは(失礼;;いや私こそry;;)愛知県長久手村で、保育園から老人ホームまで、混ざって暮らすという変な村をやっている方です。そして、「ぐちゃぐちゃがいいんだ」とおっしゃる。ぐちゃぐちゃだからこそ、逃げ場もできるし役に立たない人の、立つ瀬も生まれる。

効率一辺倒で拝金主義の世の中。モノを生み出さない人=お金が生み出されない=無駄=いらなーい=ゴミ箱ゆき(ぇ)。極論すぎだけど、そこまでいきそうな世の中。吉田一平さんのインタビュー記事(くらしと教育をつなぐ We 2007/4/5号)に出会って、目から鱗がぽろぽろり。「そうそうそうそう、あぅあぅあぅあぅ;」なんて判りやすい言葉にしてくれるんでしょう、この方は!

昔のニッポン。子供はそこいらで遊びまくり、悪さすれば、隣のおじちゃんにめっさ怒られる。ちょびっとお手伝いして、お向かいのおばちゃんに誉めてもらう。ちょっとばかし知能発達遅くったって、ちょっとばかし動きが鈍くたって、大人も子供もそれぞれなんとなーく、ちょっとずつ面倒みちゃう。

動けないお年寄りのお家には、向こう3軒両隣どころか、あっちこっちからしょっちゅう顔を出す人達。そう、今ではプライバシーの侵害とか言われてしまうような、度を越したお節介もあったかも。(いや、今でも田舎に行けばそうかも・・・田舎の方、ゴメンナサイ)隣の子供が悪さしたからとて、怒って泣かせりゃ親がどなりこんでくるわ、警察沙汰にもなりそうな世の中。

インタビュー記事をよみすすみ、そのまんまでいいんだ、という声が聞こえて来そうな・・・極めつけ、私がやられてしまった言葉は「人を許せなくなるような一生懸命は、やめたほうがいい」。その一生懸命なヤツって、あたしそのものじゃん(爆)!グサッときましたYO・・・

私の分科会はいいから、(いや、ちょっとは気にして欲しいケド;;)とにかく一平さんの話を聞いて欲しいのです!きっと元気の出る話をしてくれる思うから!! We フォーラムリンクは、トップページの News にあります!!

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中学生の世界に伝えたいコト。

いじめ、自殺、いじめ、自殺‥というニュースに、胸が潰れる思いでいます。私も、小学校5年の時に、いじめられて転校しました。この国では、突出する者は叩かれる。正義感が仇となって受けた、いじめでした。

死にたくて死ぬ人はいません。誰だって、明るく楽しく生きていたいんです。

金子みすゞという一人の女の不器用な生き様は、いろいろなことを教えてくれます。私は、彼女が死にたくなるほど味わった寂しさを無駄にしたくない。なぜ、みすゞは死んでしまったんだろう・・・。どうしたら、死なずにすんだんだろう・・・。子供達に、投げかけてきます。

そして、どうしようもなく辛いことがあったら、どうか一人ぼっちにならないでと伝えてきます。力になりたいと思っている人は必ずいる。「必ず」いるからって・・・。

辛い時は、辛いと言っていいんです。助けて、ということは恥じゃない。だから、声をあげてほしい。SOSを真剣にキャッチしてくれる人とは、すぐには出会えないかもしれない。でも力になりたいと思っている人は、「必ず」いるからって!

いじめをなくせると信じている善意の人には申し訳ないけれど、"いじめはなくならない"という現実を見据えたところからしか、解決策はみつからないと私は思っています。神代の昔からいじめはあったし、これからも続いていく。だから、なくそうと努力を続けることが大事なんだと考えています。

人の心は弱いです。意地悪な心、残酷な心、誰の心の中にもある。胸に手を当てた時、「私は、良い心しかありません」と断言できる人はいないでしょう。いるとしたら、その人の心臓は、かなり毛深い(笑)。

そしてまた、弱さと同じ分量の強い善性も、私は信じています。

伝えたいメッセージは、みすゞの詩にのせると、す~っと届くように感じています。素直な詩だからかな・・・。言葉の力、文学の力・・・。生きるということを示唆してくれる芸術が文学であり、それをナマの魂に真っ直ぐに届けるのがステージである。そんなことを思う、今日この頃です。

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夏木マリの印象派リポート その1~その3

その1

印象派 昨日(2006/10/07)、行ってきました!印象派の印象が逃げないうちに、記しておきます。ランダムな言葉の羅列から立ち上がるものを、感じて下さい。

その2

夏木マリがライフワークと位置づける このステージ、この13年間で8度目だそうである。私が初めて観たのは10年程前、今回で5度め。8回のうち5回観ているというのは、優秀な出席率ではなかろうか。私が印象派の存在を知ったのは、誕生してから3年後だったのだから。

観劇のきっかけは、偶然手にしたチラシ。金髪を逆立てた夏木マリが獣のように吼えている写真を今でも憶えている。「この勝負の立会人になってほしい」という生な本気が伝わってくる、とても良いチラシだった。

大枚5,000円をはたいて、アートスフィアの観客となった私。オープニングの衝撃は忘れられない。紗幕越し、下手天井付近に薄く明かりが入ると、逆さ吊の夏木マリが・・・「誰かが私を強く縛り、誰かが私を深く傷つけ」と繰り返しながら降りてくる。すっかり持っていかれた私の魂は、めくるめく世界に誘われ、終盤、わけのわからない滂沱の涙を流していた。

意味を解体したところから劇的瞬間を立ち上げようとしている孤高の戦士。私は、夏木マリの志の高さに打たれたのかもしれない。

このパフォーマンスを言葉で説明するのは不可能です。ただただ、夏木マリが命がけで紡ぎだし刹那に消える瞬間を、愛でる幸せに浸ればよい。かくして私は、この女戦士を観続けることを決定。何をみつめ、どこへ行こうとしているのか・・・。

その3

ガチンコでトコトンな性格の私は、初観劇の翌年、夏木マリのワークショップに潜入。しつこいですねぇ(笑)。今回の印象派を観ていて、なぜか、そのワークショップの時のときめきがよみがえってきました。マリさんのパフォーマンスも、旅を経て原点帰りしたのかもしれません。

そのワークショップ、会場は天王洲にある、スフィアメックスという小劇場。しかも、Londonのクラウネス(クラウンの女性名詞。ピエロも、クラウンの一種)Lindaさんのクラスも併設!!

運動神経ゼロなんだから、よせばいいのに、身体にこだわるこの私。クラウン、大好きなんです。これまでに参加したクラウンのワークショップで、ずいぶん故障しました。寒くなると、古傷が痛みます(笑)。

ぜいたくなワークショップでした!!この時のために組まれた明かり‥ミュージシャンの奏でる生音とコラボレート‥自分の肉体&音声と、遊び狂った10日間。

毎日がインプロビゼーション、観客のいない即興劇という緊張感。筋肉痛の身体を引きずりながらも、夢のように楽しかった!!

そして、印象派のヒミツが少しだけわかった。マリさんは、このワークショップという盤の上で、私達という駒を動かしながら、俯瞰で観察していた。自分がやろうとしていることが、ステージとして成立するのかどうか‥。刺激的な実験室!!

マリさんの・・・あ、この馴れ馴れしい呼び方には理由があるのです。下の名前で呼び合うこと(しかも呼び捨てと、丸くなって坐ることが[お約束]だったんです。この[お約束]は、今私がやっている[自分解放講座]に引き継がれています*smile*

マリさんの志の高さと謙虚さに感動。だってLindaさんのクラスでは、生徒として、私達と一緒にレッスン受けるんですよ!もう、ビビらないようにするのが大変でした(笑)。

その7年後=今から2年前、NHK・課外授業の撮影のために、一日だけの幻のワークショップ開催。幸運にも席を与えられた私は、自分にとっての、7年間のプラスマイナスを総括する時間となりました。

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イヤホンガイドの話

歌舞伎、外国語の舞台、etc...皆さんはイヤホンガイドを使いますか?私は、リトアニア語だろうがロシア語だろうが、今まで一度も使ったことがありません。

某朗読サークルで、異口同音に「使う」という声に愕然としました・・・・あぁ、これが普通のお客さんの実体なのか・・・。

言葉が解らない=理解できない=感動できない、などということは在りえません。

【わかる】ことよりも、目の前のステージにいる生身の人間に対して、感覚を開くことの方が大切だと私は考えています。舞台の宝石は、生身の俳優と生身の客との間に生まれる火花の中にしか在りません。

ガイド音声、俳優の生声、目から入って来る情報、三つの事に同時に集中できるほど人間は器用ではないのです。イヤホンガイドを使う=頭で言語を【理解】することを優先=感動するチャンスを逃す、という信念の元、こういう誤解をひとつ、またひとつ丁寧に解く=お客さんを育てることに繋がる。・・・と決意を新たにする出来事でした。

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今は 涙するしか 出来ないけれど・・・ / 劇団トマト座

作 小原 真 / 演出 篠原 章夫

*STORY*

飯田真季(新進の小説家)は、ある夏、エイズに関するエッセーの依頼を受け、体験取材として気軽に検査を受けるが、思いもかけない陽性の診断を下されます。HIV感染者と宣告された彼女はその日から差別と偏見の中で絶望の淵をさまよいます。

しかし、医師やカウンセラー、そして恋人の支えにより、力強く生き抜くことを誓います。恋人との結婚、妊娠、出産、やがて抵抗力の落ちた彼女にAIDSは容赦なく襲いかかります。そしてついに発病・・・。

感染から夭折するまでのわずか2年間、エイズと闘いながら人生を精一杯生き抜いた一人の女性の闘病生活を通して、AIDSとは一体どんな病気なのか!そしてAIDSは決して差別される病気ではないことをドラマティックに、けれど淡々と描いて深い感動を誘います。

演出家・脚本家紹介

篠原 章夫

昭和40(1965)年秋田県生まれ シノハラステージング主催

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これまでいくつものエイズ関連の映画、TV、演劇を見てきました

いずれも興昧深く、感動的でしたが、あるエイズ患者の闘病手記の衝撃を越えるものではありませんでした。

これまで抱いていたエイズに対するイメージのいかに薄っぺらなものだったか、という思いで一杯になりました。

現在一般の人々の知識が乏しい段階で、エイズをビジュアル化するのは、かえってこの病気のイメージをミスリードする危険性があるのではないかと思い、以来、思考錯誤の中で、辿り着いたのが“朗読劇"だった訳です。

人々に静かに考えてもらうためには、とにかく出来るだけシンプルで嘘のない表現スタイルが望ましい。

舞台と向き合う観客のイマジネーションをいかに掻き立てていくか、今までの朗読劇の概念を打ち破るパワフルな作品にしたいと願っています。

構成・演出  篠原章夫

出演・谷英美

前略

初舞台で御一緒させていただいた方が、10年前、50歳を過ぎてから「トマト座」という学校廻りの劇団を、借金背負ってまで旗揚げなさいました。
なんとも無茶な話なのですが、ご夫妻は、聞くも涙、語るも涙の御苦労をなさって、あまたの劇団が淘汰されていくなか、生き残っていらっしゃいます。子供達のために、良質な作品を送り出し続けてらした結果なのだと思います。

年明けに、スケジュールが合えば「今は・・・」に出演してほしいと連絡を頂き、とりあえず台本を受け取りがてら何年ぶりかでお会いしました。帰りの電車の中で、ぐちゃぐちゃに泣きながら一気に読了、いい脚本です。
エイズ啓蒙などという小賢しいものではなく、愛の物語です。
日本でもエイズ感染者が急増し、5万人ともいわれています。性体験も低年齢化している昨今、きれいごとではない「愛」を子供達に伝え得る素晴らしい作品です。

公演数は非常に少ないのですが、ぽつり、ぽつりと秋からのツアーに出させていただくことになりました。みすゞと違って自殺はしませんが、やはり一生懸命 生きて死んでゆく主人公の役です。
9月北海道・山形、10月愛知(もしかしたら群馬・千葉も)、11月大阪・・・と、地元・さいたま公演はなく残念ですが、久し振りに共演者のいる舞台を楽しみたいと思っております。

この作品の素晴らしさを一人でも多くの方に伝えたいと思い、
「トマト座」さんからパンフレットを預かり、機会あるごとに配らせていただいております。自分の一人芝居の営業が先だろうに・・・我ながら馬鹿だなあ(笑)と思うのですが、ほうっておけないのです。
クオリティが高くても、権カの無い者(有名でない者)は、ひとえにクチコミが頼りです。どうか、力をお貸し下さい。何かの折に、ご推薦いただければ幸甚の極みです。何卒、よろしくお願い申し上げます。

谷 英美

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