プロローグ




幕末の京都。


尊王攘夷を旗印に倒幕を狙う勤皇討幕派志士たちの乱行は日増しに増長した。「天誅」と

称した暗殺や大商家への押し込みなどが横行し、市中の治安は悪化の一途をたどったので

ある。信用失墜を恐れる幕府は、新たに京都守護職を設け、会津藩主松平容保がその任に

就いた。

京都守護職松平容保は、本陣を黒谷金戒光明寺に置き、藩兵1000人を常駐させた。しかし

横行する攘夷志士の取締りには、藩兵だけでは手が足らなかった。そこで浪人で組織した

見廻組や新撰組を配下に置いたのだ。

だが、敵は攘夷志士たちだけではなかったのである。虎視眈々と日本を狙う、外国勢力か

らの侵略にも応じなければならなかったのである。

松平容保は、将軍徳川慶喜の信任を得ていた山岡鉄舟を新設の京都「火付盗賊改方」長官

に任じ、軍師には、竹中黄山と間部詮実を起用した。凶悪攘夷志士と異国侵略者からの対

抗手段「警備組」を結成させたのだ。

「警備組」の番所は、京の入り口「羅城門」から東北の位置、即ち「丑寅」の方角に当た

ることから命名された艮町(うしとらまち)に設けられた。その位置から「壬生の新撰組」

に対して「艮町の警備組」は、「丑寅警備隊」と呼ばれるようになったのだ。



京都火付盗賊改方


長官 山岡鉄舟

後に幕末の三舟と呼ばれた。

浪士組清河八郎との別離後、松平容保の要請に応じて、火付盗賊改方の初代長官に就き、

配下に「警備組」を発足させた。


軍師 竹中黄山。

豊臣秀吉の名軍師竹中半兵衛の血を引く。

外国語奉行、神奈川奉行などの要職を歴任しながらも、1861年に隠匿した竹中黄山がその

手腕を買われて復帰した。


軍師 間部詮実

井伊直弼政権下で安政の大獄を指揮した前越前鯖江藩主。

桜田門外の変の余波を避けるため、1864年に逝去したとして下野して身を潜めていた。



「警備組」(丑寅警備隊)


隊長 霧島昭次(きりしまあきつぐ)

年齢38歳。江戸湯島出身、旗本直臣の次男。

海軍練習所から公儀隠密を経て本職。経験豊富な猛者である。

頑固。


副長 古鷹伊吉(ふるたかいよし)

年齢29歳。蝦夷松前藩士の三男。

出身は荏原郡の同藩江戸下屋敷であるため、ちゃきちゃきの江戸言葉。

怪力。


利根信之介(とねしんのすけ)

年齢25歳。西国肥後藩細川家家中。

下級藩士の家柄であるが、紀伊家雑賀衆直伝の射撃の腕前から抜擢される。

お調子者。


赤城ケムル敏(あかぎけむるびん)

年齢24歳。尾張藩徳川家付家老成瀬家家中の英才。

プロシア国留学帰り。築城術や局地戦術に長ける名プランナー。

高所と爆発が苦手。ケムルは留学中に得たミドルネーム。


由良安寿(ゆらあんじゅ)

紅一点。年齢…いや、こりゃ失礼…。

江戸有数の医師であり天文学の権威でもある由良千歳の息女。緒方洪庵の下

で医術修行中にスカウトされた。

大酒呑み。




時は、慶応三(1867)年。


時の将軍徳川慶喜は、京市中の安寧と侵略敵対組織との対決の切り札として

修験道の地「出羽三山」で過酷な修行を経た一人の男に平和を託した。

その男とは、脈々と続く出羽修験道の長い歴史の中、参百四拾番目に免許皆

伝を得た「超七郎」であった。


このお話は、上意を得た「超七郎」と日の本を我が物にせんとする「侵略者」

たちとの死闘の綴る、妄想非科学読本である。






第一話「侵略者のひみつ」



第二話「ダーク・マックス」


第三話「呪われた街」


第四話「十三から来た男」


第五話「丑寅警備隊江戸へ」