板橋~成増

2024年5月14日 板橋~成増

このところ歩き旅から離れていたので、今回は足慣らしのつもりで歩き始める。

板橋・平尾追分
JR埼京線板橋駅を出るとすぐに旧中山道に出る。少し先で国道17号に合流するが、すぐ先の板橋3丁目交差点のところが中山道と川越街道を分ける平尾の追分

中山道は広い国道を渡った先の商店街に入っていき、川越街道は板橋消防署手前で左折して首都高の下を行く。

川越街道は山手通りを渡ると大山東町の遊座大山商店街に入る。

縦横に走る高速道路を目の当たりにした後ということもあってまことに狭く感じる道だが、この落差がかえって旧街道らしさを感じさせる。お昼時ということもあってか狭い道はあふれんばかりの人で賑わっている。
東部東上線の大山駅先の踏切を越えると、今度はアーケードが続くハッピーロード大山商店街に変わる。ここは遊座大山商店街よりもさらに多くの人でごった返している。


ただでさえ賑やかなこの一帯は現在大規模な再開発工事が行われており、混雑に輪をかけて、初めてここを訪れた街道歩き人としては何が何だかわからない感じである。

ほどなく国道254号に合流する、その手前を右に入ったところに大山福地蔵尊があるはずだが、再開発工事のただなかにある様子のためパスする。

◆上板橋宿
いったん国道に合流してすぐ次の日大病院入り口交差点で、旧街道は右の下頭橋通りへ入っていく。ここが江戸時代の上板橋宿の入口だったところになる。

ほどなく右手に防災辻広場という小公園があり、そこにポツンと置かれている古井戸ポンプが印象に残った。
街道を進むと右手に豊敬稲荷神社があり、その少し先のかなり年季の入った家はかつて米穀商を営んでいた三春屋


やがて石神井川に架かる下頭橋(げとうばし)に至り、上板橋宿はこのあたりで終わる。
橋の名の由来については諸説があるが、そこに建つ六蔵祠は、橋の袂で旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに橋が架け替えられたことから六蔵の道徳を讃えて建てられたものという。


下頭橋を渡り、橋の先の五差路を左斜めに入って行くと、ほどなく国道254号と環状7号の板橋中央陸橋交差点に出る。
しばらく国道を進み、上板橋1丁目交差点で斜め右の商店街に入って行くと「上板南銀座」の看板が架かる。

◆下練馬宿
商店街を進んで上板橋駅から来る道がぶつかる辺りから下練馬宿となる。
街道脇に子育地蔵が建っている。

明治初年にここへ移されたという2体の地蔵は貞亨5年(1688)と安永6年(1777)に造立されたもの。

上板南銀座商店街は練馬区に入ると「北一商店街」と名称が変わり、電信柱に下練馬宿の旗がかかるなどして賑わいが見られる。
北一商店街に入ってすぐの米屋さんの先で川越街道は大山道と一時合流する。かつて中山道を歩いた際、志村一里塚近くの清水坂に大山への道標があったが、そこから分岐して大山に向かう道はここを通っていた。
ほどなく工事中の環状8号陸橋上にくると、大山道道標と東高野山道標が屋根を架けられて建っている。大山道はここから川越街道と分かれ府中のほうに向かっていく。


少し先右手に浅間神社がある。境内に富士塚が築かれており、富士山信仰が盛んになると、富士山に登れない人のために、富士山の溶岩を持ってきて富士山を模して造られた。


少し先の東武練馬駅近くにくると道が二股に分かれるところに北町観音堂(石観音堂)がある。

こじんまりしたスペースに天和2年(1682)銘の北町聖観音座像や、馬頭観音、庚申塔などが置かれている。聖観音座像は高さ270cmで石仏としては区内最大のものだという。また、山門には二体の仁王像が立っており、観音堂の外側街道脇には北町の石仏群がおかれている。

1~2分歩いた先の交差点際は大木家本陣跡で本陣跡の小公園に献上大根碑が建つ。


そこに置かれている練馬宿解説板の中に「殿様に大根を献上」する挿絵が描かれている。
五代将軍綱吉が将軍になる前、脚気にかかった時 大根が脚気に効くことを知り百姓金兵衛に大根を作らせその大根を食べたところ脚気が治ったという。将軍になった綱吉は金兵衛に大根を献上させ大名に振舞ったことから練馬大根がたちまち日本中に知れ渡ったのだという。

旧街道はやがて国道254号に合流する。
しばらく国道を進んで成増駅近くまで来ると、右手に小治兵衛窪庚申尊がある。説明書によると天明3年(1783)に造立されたもので3猿の上に乗る青面金剛は坐像という珍しい庚申様だという。


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この先右手に行くと東武東上線成増駅だが、国道沿いに地下鉄成増駅があったので、この日は地下鉄で帰途に就いた。