2024年11月23日 成増~新座
今年の夏は猛暑が続き、その後体調を崩したこともあって半年ぶりの歩き旅再開である。
今回は、成増から白子宿、膝折宿を経て大和田宿の始まる新座まで行く予定。
地下鉄成増駅を出ると目の前に国道254号が通り、歩き始めるとすぐ右に分かれる道がある。これが旧道かと思うが、新田坂と呼ばれる旧道は急坂を下りていくはずなのに右に分かれていく道は平坦な道だったためそのまま国道254号の急坂を下りて行った。(後で分かったがやはり右に行く道が旧道であった)
◆白子宿
国道の坂を下ると八坂神社のところで分岐し旧道は右手に入っていく。
案内板には、神社の前の道が旧道で、白子川への急な下り坂になっていること、新田坂から白子の間は新田宿と呼ばれて、魚屋、造酒屋などが並んでいたとある。現在ではマンショなどが立ち並んでいて、往時の面影を残すものはほとんど見られない。
その先の白子橋の欄干には「くつが鳴る」の歌詞が刻まれている。作詞者の清水かつらはこの近くに住んでいたという。
ちなみに白子という名は新羅に由来するとされ、この先の街道沿いには渡来人に由来する地名などがところどころに残る。
橋を渡ると白子宿に入り、突きあたって交差する通りは白子宿通で、この通りを左折すると右に入った奥に、白子の鎮守熊野神社が鎮座している。
熊野神社の先、県道と交差するあたりが宿の中心で本陣があり、県道をよこぎると道は大坂通と呼ばれる急な坂を上っていく。
大坂の先で街道は笹目通りを歩道橋で渡り、くらやみ坂に進んで行く。
くらやみ坂を下った先に、新築された立派な屋敷門があり、屋敷の奥に見える建物は旗本酒井家の代官を務めた柳下家で、代官屋敷と呼ばれていた。
代官屋敷の先は旧街道の趣が残る緩い上り坂。
旧道はほどなく県道109号線に合流するが、道路の向こう側に庚申塔がポツンとおかれている。
その先で東京外環自動車道を横断歩道橋で渡る。そこから右手のほうは和光市駅、左側は陸上自衛隊朝霞駐屯地となっている。
しばらく県道を歩くと次の宿場である膝折宿へと入っていく。
◆膝折宿
しばらく行った幸町交差点の先で道は二股に分かれる。旧街道は右側の細い道に入るが、すぐに県道に戻ってしまう。県道との合流点の手前は「かせぎ坂」と呼ばれるかなり急な下り坂となっており、かつては車の牛を押し専門の人足がいたといわれている。
短い旧坂の途中左側、小さな堂内に膝折不動尊が安置されている。
このあたりから膝折宿がはじまっている。
合流点からすぐ右手の一乗院は、渡来人の高麗氏の開基と伝えられる。
一乗院参道から進み、右手に中宿の脇本陣村田屋がある。
往時は、高麗王を先祖に持つ高麗家が村田屋の屋号で営む脇本陣であった。今は茅葺屋根がトタンで保護されているが、建物全体は重厚な存在感が感じられる。
すぐ先は、郵便局に隣接して本陣だった牛山家だが、今は本陣の名残はない。
街道は膝折町一丁目交差点を左折して、黒目川に架かる大橋を渡っていく。すぐ先で右に弧を描いて曲がるところは分岐になっていて、分岐点の真ん中に庚申塔が建っている。
この分岐は左に弧を描くたびやの坂とよばれる急坂を上っていく。
坂上で道が平らになると、幅はいちだんと狭くなって再び県道に合流する。合流地点には横町の六地蔵が鎮座している。ここにはその他に地蔵菩薩と庚申塔もある。
県道を進むとほどなく間の宿野火止に至る。
野火止
野火止大門交差点角に「金鳳山平林禅寺」と彫られた大きな寺号石が建っている。ここを左折する道は平林寺への参道となる。
平林寺は南北朝時代に岩槻城主・太田備中守によって開基され、その後、川越藩主となった松平伊豆守信綱の遺言により現在地に移転した。信綱は、三代将軍家光、四代家綱の老中として活躍するとともに、新河岸川の整備や野火止用水の開削など大きな功績を残している。広さ3千坪ともいわれる大河内松平家の廟所の一角には松平信綱公の墓がある。街道からかなり離れているので今回はパスしたが、あらためて一度は訪れたい。
交差点の向かいには大きな茅葺の家があった。庭先で何か作業しているところを見ると、今も現役らしく生活感が伝わってくる。大事に保存されているだけではないところが珍しい。
西に進み武蔵野線のガードをくぐると右手に野火止の鎮守神明神社が鎮座する。
案内板に「昭和の始めには野火止用水が境内の横を流れ…」とある。
神社を過ぎると大和田地区に入る。
大和田地区に入ってすぐ右手の高台に鬼鹿毛の馬頭観音がある。
元禄9年(1696)の建立で、名馬鬼鹿毛の伝説が残る。新座市内では最古最大の三面六臂造の石造馬頭観音で、すぐ右隣に芭蕉句碑が建つ。
- 花は賤乃 眼にもみえけり 鬼薊(あざみ) はせを -
<鬼鹿毛伝説>
昔、秩父の小栗という人、江戸に急用があって愛馬鬼鹿毛で江戸に向かったが、大和田宿に入ると、松の大木の根につまずき転倒した。 しかし、すぐに起きあがり主人を江戸まで届けたという。所用を終えた小栗が馬つなぎまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えず、仕方なく家路を急ぎ、やがて大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡きがらを見つけた。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたのであった。 村人は、のちに鬼鹿毛の霊を弔って馬頭観音を建てたという。
膝折宿の地名の由来もこの鬼鹿毛伝説によるとも言われる。
今回はここまでとし、少し戻ってJR,武蔵野線新座駅から帰途に就いた。