新座~川越

2025年4月8日 新座~川越

前回新座まで歩いてからだいぶ経ったが、陽気のいい季節になって今回はゴールの川越まで行く予定。
今回は、旧知のOさんと一緒に歩くことにしている。
朝からよく晴れて風もなく穏やかで、歩き旅には絶好の天気である。川越では春爛漫の小江戸散策を時間の許す限り楽しみたい。

待ち合わせの新座駅から少し北を通る旧道に行き、鬼鹿毛の馬頭観音のところから再開する。

◆大和田宿
馬頭観音前から緩い下り坂(大和田坂)が続くこのあたりに大和田宿があったといわれているが、今は宿場の風情を感じるものはほとんど残っていない。
坂を下りきったところにはかなり古くなった地蔵菩薩石像と観音堂が建つ。


柳瀬川
ほどなく街道は柳瀬川に架かる英(はなぶさ)橋を渡る。川の両岸には桜が咲いていてよき眺めである。

その先の英インターチェンジを超えて国道の左側に出るのはなかなかすんなりとはいかなかったが、左手に見え隠れする跡見女子大学キャンパスを目印にどうにかこうにかインターチェンジを越えた。

国道に合流する手前の旧道には往時の趣を残す民家が残っている。

国道に合流してほどなく道路わきの見上げるところに藤塚らしきものが見える。急勾配の石段を上ってみると、民家の玄関前に富士塚があり、「三国第一山」と刻まれた大きな石碑が建っていた。


この碑のすぐ後ろは跡見女子大学で、国道に戻って進むとすぐそこは大学の入口となっている。

この先、国道は車の交通量が多くて旧道の趣には程遠いが、三芳町歴史民俗資料館入口交差点から、中央分離帯のある広い通りとなり車の通りを気にせずに歩けるようになって少しホッとする。中央分離帯の先頭の所には大きな川越街道碑がおかれ、新緑がきれいなケヤキ並木道が続く。


しばらく歩き、三芳町役場入口の交差点の少し先左手に閑静な境内が印象的な木宮稲荷神社が鎮座する。ケヤキ並木道はこの先で終わり、ここにも大きな川越街道碑がある。

藤久保
少し先左手の広源寺は、珍しく本堂の左右に一対の仁王像が立っている。

創建は寛永16年(1639)、明治7年には藤久保小学校が開設され、三芳の教育を語る際には欠かせない場所でもある。

すぐ先、藤久保交差点の先から再び中央分離帯と並木がはじまり、さっきと同じような川越街道碑が置かれている。ここからの並木は松のほか杉やケヤキも混じっている。

松並木の終わりにはここにも川越街道碑が立っている。このあたりから大井宿が始まっている。

◆大井宿
右手に砂川堀と公園が見えるところで国道から小さな階段を下りて行くと、「大井」の地名の由来となった大井戸跡が復元されているはずだが、そこにあるのは説明板とすっかり整地された更地のみだった。結局は、砂川堀周辺の満開の桜を眺めながら一休みして街道に戻った。


街道に戻った左手に徳性寺(とくしょうじ)がある。

約450年前の開山といわれる。山門は川越の南院(みなみいん)が廃寺になった際に移築されたものという。山門を入った左手に弘安の板碑や南木戸跡にあったといわれる石地蔵などが並べられている。

少し行った理容店前に、「従是川越迄二里十八丁」と書かれた標柱が立てられている。
そのすぐ先の庭先に新井本陣跡の説明板が建っており、道から奥まった広い敷地内にカフェの建物が見える。
さらに街道を200m程行った右側に上木戸跡の標柱が建っている。

東入間警察入口交差点を越え、大井小学校入口横に国指定有形文化財の旧大井村役場がある。明治22年の市町村制により大井村が誕生し、その後明治42年ここに庁舎が建てられた。

当初平屋であったものが昭和12年に改築され、その後きれいにリフォームされて往時の面影はあまりなくなっている。ちょっとだけ覗くつもりで入口を入ると、担当の方が丁寧に案内してくれた。

大井小を過ぎると旧道は国道と分かれて左側の道に入っていく。
半分ほど過ぎた支所入口交差点で、旧川越街道と、地蔵街道が交わる。この地点を「角(カド)」と呼ぶ。ここに角の常夜燈が立っている。

丹沢の大山の阿夫利神社へ参拝する際に亀久保村から最初の曲り角に立つのでこの名がある。享和2年(1802)の建立で、道標も兼ねており、当時は街道の中央に置かれていた。

旧道をすすむと右手に亀久保地蔵院がある。正和3年(1314)の開基という古刹だが、昭和27年の火災で本尊と山門を残してすべて焼失し、その後再建されたもの。樹齢350年の枝垂れ桜が有名だが、残念ながら見ごろは過ぎている。
その先国道と合流する手前、左手に亀久保神明神社が鎮座している。地蔵院が別当を努める亀久保村の鎮守で、神社の西側に馬頭観音が祀られていて大和田宿で見た鬼鹿毛伝説の話が伝わっている。

藤間
一旦国道に合流するがすぐに藤間歩道橋のところで旧道は左の道に入っていく。交差点左手奥には鶴ヶ岡八幡神社が鎮座する。
旧道に入って300m程右手にいもせんべい屋があり、その前に旧川越街道藤馬中宿碑が建っている。


さらに進むと左手に東光寺がある。周囲の満開の桜が目に留まり、うとう坂を前にしてここで一休み。

やがて不老川に架かる御代(ごだい)橋を渡ると、旧家の建物を利用したデイサービスセンターや重厚なたたずまいの古い蔵などがみられる。少し行くと烏頭坂とよばれる緩い上り坂となる。新河岸川舟運が盛んな頃は、荷揚げされた荷物を運ぶときに必ず通らなければならない難所として知られていたという。
烏頭坂碑が立つ横の石段を上って行くと、熊野神社が鎮座している。

 

参道の右に木曽御嶽塚があり、富士塚のような形で木曽御嶽山が祀られている。

神社は、うとう坂の途中でさらに上った高台に建っているのでなかなか眺めが良く「都内見晴台」の案内板まで立っている。

新宿町北交差点
熊野神社を出ると旧道が国道254号と合流してすぐに複雑な新宿町北交差点に出る。ここで国道16号とJR川越線、東武東上線を歩道橋で一気に越え、県道51号線に進んで行く。
ここからは、いよいよ川越市内に入っていく。

東武線を越えてすぐに右折し浅間神社に寄り道する。富士塚といえば、富士を模した小山の上に小さな祠が置かれているものがほとんどだが、ここの富士塚は小高い丘の上に建つ拝殿の後ろ側、通常本殿が建つところが富士塚になっているところが珍しい。


街道に戻りふたたびゴールを目指す。
菅原町に鎮座する菅原神社を見てそのまま1kmほど進むと左手奥に川越一ノ宮の八幡神社が鎮座している。

長元3年(1030)甲斐守源頼信の創祀と伝えられ、川越の歴代城主が崇敬したといわれる。

通町
通町交差点で街道から右にそれて寄り道する。

<喜多院>
天長7年(830年)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられる。江戸時代初期、徳川家康の信任を得る天海僧正が住職となってから喜多院となった。江戸城から移築された三代将軍徳川家光や春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している。
満開の桜が咲く中、江戸城の遺構を巡りみるとさすがに趣深く見ごたえがある。

 

 




<五百羅漢>
日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群でおよそ540体が並ぶ様子は圧巻。


<仙波東照宮>
日本三大東照宮の一つである。徳川家康の霊が久能山から日光に移される際、途中の川越では、喜多院で大法要が営まれたという。その後、喜多院南隣の中院の地に東照宮が建てられ、中院は現在の位置に移転となった。


街道に戻って先に行くと城下町特有の枡形がある。枡形を過ぎて北上していくと松江町交差点あたりから川越の老舗がみられるようになる。
右手に煉瓦造の風格ある建物は日本聖公会川越キリスト教会。

再び桝形の交差点を通って北上し、大手町交差点を右折して川越城跡へ向った。川越高校裏手の富士見櫓の方を回っていくとやがて川越城本丸御殿前に至る。

<川越城本丸御殿>
太田道灌の築城になる。江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていた。現存する建物は嘉永元年(1848)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせている。


本丸の東側に河越城の鎮守三芳野神社が鎮座する。この神社はわらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれているらしい。


ここでひとまず川越街道の旅を終わりとし、この後は川越氷川神社裏手の新河岸川添いの桜を眺め、市内を散策し帰途に就く。
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川越市内散策 (新河岸川~市役所前~一番街通)

新河岸川沿いの桜
喜多院の桜をはじめに川越には桜の名所が多くあるが、川越氷川神社の裏手にある新河岸川沿いの桜は格別の風情がある。川沿い約500mにわたって続くソメイヨシノを眺めながら、散策や花見を楽しむことができる。満開の桜の下で花筏の上を花見舟に乗って川下りする様子は見ているだけで心躍る。


大田道灌像
川越市役所角に川越城を築造した太田道灌像が立っている。
この像が建てられているところには、川越城大手門跡の石柱が立っている。


時の鐘
寛永年間に川越城主酒井忠勝によって建てられた。火災にあい、現在のものは明治26年の川越大火の翌年に再建されたもの。この鐘はおよそ390年にわたって「時」を告げてきた。


大沢家住宅
川越の蔵造り建築の中で最も古く、寛政4年(1792)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。簡素な外観だが、壁の厚さは30cmあり、いかにも重厚な感じである。


蔵造りの町並み
川越のシンボルである蔵造りの商店がずらりと建ち並んでいて、まさに「小江戸」と呼ぶに相応しい。テレビでしばしば紹介される光景そのもの。