川口~大門

2023年5月11日 川口~鳩ケ谷~大門

JR川口駅から本一通り商店街を抜けたところにある川口宿ポケットパークまで行き、歩き旅を再開。
まず、ここまで歩いてきた鎌倉街道から見てポケットパークの向かい側の路地の先にある錫杖寺に寄る。
岩淵宿を出た将軍一行は、荒川に長さ65間の板橋を架けて対岸の川口宿へ渡り、御膳所である錫杖寺(しゃくじょうじ)に入って昼餉をとった。


錫杖寺を出るとすぐに芝川に架かる上之橋を渡り、通称岩槻街道と呼ばれる国道122号を北上する。
今は広い国道の地下に埼玉高速鉄道が通り高層ビルがあちこちに建つようなところだが、川口元郷駅の先の十二月田(しわすだ)地区は、十二月になると狐がやってきて杉の葉を以って田植えをするという伝説が残る。

十二月田交差点を過ぎた街道右側の旧田中家住宅は大麦と豊かな地下水を利用した麦麹味噌の醸造業と材木商で財を成した田中家が大正12年に建築した木造煉瓦造3階建ての洋館。


少し先にブロック塀でがっちり囲まれた庚申塔と不動堂が立っている。その横に薬林寺入口を示す石塔が立っており、路地を入った先に薬林寺がある。


かつて日光御成道は、この薬林寺の西側を通っていたが、あるときここを通った将軍が村の若い娘を見て側室にしたいと言い出した。そこで家臣が計って帰路は別の道を通ったといい、それが「しんけいどう(新街道)」と呼ばれる現在の日光御成道である。

街道を北上して行くと街道右側に南鳩ヶ谷駅前ロータリーがあり、その奥の方に少し行ったところに実正寺がある。
山門を入って左手奥に行くと地蔵尊などの多数の石塔群が並んでいるが、その中の阿弥陀庚申塔は上部に阿弥陀如来、下部に三猿と鶏が配された寛文5年(1665)造立の珍しいもの。


街道に戻り鳩ヶ谷大橋を渡ると左手に巨大な変電所が見える。この辺り、かつては松並木が続く涼しげな街道だったらしい。
御成道はその先のY字路になっているところで国道122号から分かれて右の県道105号線の方へ行き、次の宿場・鳩ヶ谷宿に入る。

鳩ヶ谷宿
街道を少し進むと保坂家の古民家が建つ交差点の右手の路地には千住道の案内板、右手の路地には蕨道の案内板が立っている。
鳩ヶ谷宿は、日光街道千住宿・草加宿・越ヶ谷宿とそれぞれ千住道・草加道・越ヶ谷道で、中山道戸田の渡し・蕨宿と戸田道・蕨道で結ばれるなど交通の要衝であった。

交差点角の商店前に寄せ集められている石材はとんぼ橋遺構で、用水改修作業で発掘された石材に延寶5年(1677)・・とんぼ橋・・、と刻まれているそうだ。
少し先の吹上橋の下に流れている川は見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)で、80kmもの長きにわたるこの用水路は江戸時代に造られた。

吹上橋を渡った左側に一里塚跡の標柱が立ち、少し行くと御成坂公園が設けられている。
本町一交差点右側に本陣があったのだが今は藤屋という洋品店となっており本陣の面影はない。本陣建物は鳩ヶ谷駅西方の真光寺の本堂として残されている。街道からかなり遠いが行ってみた。


藤屋の交差点を西に入ったところに応永元年(1394)創建の氷川神社が鎮座している。慶長5年(1600)、徳川家康が奥州出陣の途中に同社境内で休息したと伝わっている。


街道に戻って少し行くと市神社が鎮座している。鳩ヶ谷は日光御成道の宿場町として栄え、毎月3と8の日に市が開かれたことから三八市(さんぱちいち)と呼ばれて繁盛した。市神社は江戸時代の鳩ヶ谷が、経済流通の中心地であったことを立証する貴重な文化遺産となっている。


しばらく進んで変則四差路となっている桜町五丁目交差点で右手を見ると、ずっと奥まったところに地蔵院が見える。
この先、新しくてきれいに整備されているがやや退屈な道が続く。

やがて、首都高川口線を越え、さらに東京外環自動車道を越えると、すぐ右手に新乗院がある。高速道の工事の関係か、寺は真新しくなっているが、境内には川口市指定有形文化財の道標を兼ねた地蔵菩薩、青面金剛の庚申塔、馬頭観音などの石造物がある。


新乗院から20分ほど進むと、交差点の右角に一里塚ポケットパークがある。遺構は残っておらず、ここは江戸から数えて6番目の戸塚一里塚跡で、往時は道の東側に松、西側に榎が植えられていたという。


次は大門宿だが今回はここで切り上げ、ここから近いJR武蔵野線東川口駅から帰途に就いた。