2023年6月6日 岩槻~幸手
岩槻駅から迷路のような路地を通って願生寺、愛宕神社に寄り道し、渋江交差点の方からくる御成道に出た。
街道に戻ってしばらく進んだ龍門寺には岩槻藩主大岡忠光の墓がある。
街道からまっすぐ伸びている龍門寺参道はやや狭くて長いが、両側の生け垣が実に綺麗に手入れされていているのが印象に残った。
龍門寺から街道に戻ったら元荒川に架かる慈恩寺橋を渡る。
慈恩寺橋が架かる元荒川は、かつては荒川の本流であったが、江戸時代に荒川が入間川に付けかえられた為、本流からは切り離された。
慈恩寺橋を渡り県道65号線を北上すると、ほどなく「是より右慈恩寺道」と刻まれた慈恩寺道標が建てられている。道標に従い、ここで右に曲がって慈恩寺に向かった。
慈恩寺へ行く途中の道路際に大きな庚申塔群が並べられており、寺までの道は分かりやすく迷わず行ける。
慈恩寺は、天長年間(824~834)慈覚大師によって開かれた古刹で、坂東三十三観音第12番札所。歴代領主の庇護を受け、江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領している。
街道に戻ると、少し先にわずかながら御成道杉並木が残っている。
しばらく進んだ鹿室宿前バス停にある宝国寺は将軍お休み処となった場所で、将軍はここから富士山を眺めながら旅の疲れを癒したのだとか。この寺の山門、本堂は南北に延びる街道に向いておらず、南の方に向いている。
宝国寺の少し先の鹿室交差点角に地元でお玉さまと呼ぶ庚申塔の祠がある。
子供が百日咳に罹ると親はこの庚申塔からお玉を借り子供にそのお玉で味噌汁を飲ませると治ったそうで、お礼にもう1本お玉を付けてお返しする習わしがあることから「お玉さま」と呼ばれるようになったという。祠の中にはお玉がいくつも置かれていた。
街道をしばらく進むと東武動物公園入口の信号を過ぎた先に下野田一里塚がある。ここは左右そろっているという貴重な一里塚である。
大落古利根川に架かる和戸橋を渡ると、大落古利根川治水事業記念碑がある。
利根川は近世の東遷事業で流路を幾度も変えているが、もともとの利根川本流を古利根川といい、その古利根川の支流の一つ大落古利根川は、数多くの落し(農業排水路)が流入していることからその名前がついている。
和戸橋を渡るとほどなく下高野一里塚が見えてくる。片側だけを残すものだが、御成道としては最後の一里塚になる。
一里塚から10分ほどのところに松の木が2本見える。このあたり、昭和30年ごろまでは両側が松並木であったらしい。今は松並木というにはちょっと寂しい名残の松となっている。
丁字路の左側に馬頭観世音菩薩を兼ねた道標があった。生垣に隠れてうっかり見落とすようなところにあるため、一度通り過ぎてから気がついたのだが、「右日光 左いわつき 道」と刻まれている。
この辺りは葛西用水路が街道に最接近しており、丁字路先に庚申塔と琵琶溜井堰の説明板が建てられている。
すぐ後ろに琵琶溜井堰を見ることができる。江戸時代に関東軍代伊奈忠克により造られたもので、葛西用水から南側用水等へ水を流し、江戸を水害から守るためのダムに利用したもの、と説明にある。
ほどなく右手からくる日光街道との合流点・幸手追分に到着し、今回の御成道の旅を終える。御成道の方からくると合流点の説明板が目につきにくいところに建つのみで、うっかりすると見落としてしまう。(実は、一度通り過ぎてしまった)
かつてはここには創業天保11年(1840)という造り酒屋石井酒造があったという。
ここから幸手の中心街は近い。
幸手駅近くでおそばを食べて帰途に就く前に、お蕎麦屋さんで教えてもらった和菓子屋さんで土産のせんべいを購入した。これが昔ながらの素朴な味でなかなか美味であった。
それにしても、幸手から中央林間まで田園都市線乗り入れの直通電車があることには驚いた。