第88号 中学デビュー <定期考査>
私は、久しぶりに会った友達と話をした。
「何か悩みはある?」
と聞かれて、私は
「娘の定期考査の結果を思い出すと、頭が痛くなる」
と答えた。すると、友達は
「要するに、悩みはないってことね」
と言った。
彼女の切り返しは、私にとって、かなり新鮮だった。
そのとき、私にとって、娘の試験結果は大きな悩みだった。
「悩みはないってことね」
確かにそうかもしれない。
自分自身が大きな悩みをかかえていたら、娘の試験結果を悩んでいるヒマなどないだろう。
6月。
中学校生活初めての定期考査がやってきた。
美術を除く8教科。
今になってつくづく思うが、親子ともども試験勉強の仕方を知らな過ぎた。
まず、試験一週間前、優雅にも”親子でクラシック”という音楽コンサートに行ってしまった。
さらに、試験3日前、藤原竜也の芝居を観に行ってしまった。
一応、娘は「勉強する」と言って、非常に真面目に机に向かうのだが、
なにをしているのか、様子を見ると、どうやらノートをボケーーーと見ているだけという有様。
試験前日、「このままじゃあ、ダメだわ」と私が悟り、
小学生じゃああるまいに、私がつきっきりで、教えてしまった。
そのときの娘の手応えから、
「この試験結果は相当ヤバイぞ」
という気がしていた。
案の定、親の期待からは遠く外れた試験結果だった。
にもかかわらず、娘は、打たれ強いというか、ことの重大さに気付いていないというか、
何点の答案をもらってきても、一向落ち込む様子がない。
学校から、”進路ノート”なるものを配布され、テスト結果と今回のテストの反省文を書かされた。
娘の反省文はこうだった。
○○(教科名)は、××点だった。
勉強しなければ、もっと悪い点だったと思う。
勉強して本当によかった。
オイ!もっと違った観点からの反省はできんのか!
なんとものんきな反省文!
本人に言わせると、試験のための勉強はできる限りのことはしたのだそうで、
まったく後悔とか反省とかをする理由はないらしいのだ。
試験結果に落ち込んだのは、本人ではなく、私の方だった。
私はこのテストショックから立ち直るのに一ヶ月かかった。