2023年3月31日 鶴ヶ峰~中山~荏田
今回は、鶴ヶ峰から中山を経て矢倉沢往還に合流する荏田を目指す。
鶴ヶ峰駅を出て北に向かい、帷子川(かたびらがわ)に架かる鶴舞橋を渡って八王子街道(国道16号)の白根交差点のところから鎌倉街道歩き旅を再開する。
交差点から北に延びる白根通りが旧道で、交差点からすぐのところに「鶴ヶ峰坂」と記された標柱が建てられている。駕籠塚の方に向かうこの上り坂は、標柱に「旧八王子街道の難所であった」と記されている。途中まで行ってみたが、かなりな急坂である。
白根通りを進んで右手の白根公園の入って行くと、奥の方に白根不動と白根神社が鎮座する。
公園内に入るとすぐに万葉歌碑が見えてくる。歌碑には、万葉集巻二十に納められた防人とその妻の歌が刻まれている。
万葉歌碑の後方には白糸の滝が見える。白糸の滝は、近年整備されたらしく、その周囲の景色と相まってなかなか絵になる景観を呈している。
すぐ横の白糸の滝橋を渡り、やや急な坂を上ると白根神社が現れる。
白根神社は、かつては浄土宗の白瀧山正願寺という寺で、元は白根不動として世に知られていたが、神仏分離によって明治42年社号を白根神社と改められた。源義家はこの不動尊を深く信仰しており、前9年の役(1053~62)で奥州に向かう際、兜の中に不動明王座像を納めて出陣したところ勝利した。これに報いるため、康平6年(1063)社殿を造立し、この坐像を祀ったのが不動堂の起源だという。
後に、源頼朝が奥州征伐に挙兵した折、源義家に倣って近くの鬢手洗池で身を清め、白根不動に勝利祈願に立ち寄ったという。
白根神社拝殿は山上にあるが、不動堂は坂を下りて白糸の滝橋まで戻り、公園奥寄りに少し行ったところにある。
街道に戻り、白根通りを北上して行くと横浜白根郵便局隣の相鉄ローゼンの裏の細い道が旧道で、しばらくは緩い上り坂を上っていく。
長坂谷公園の脇まで上ったら今度は住宅地の中の緩い坂道をしばらく下り、中原街道を横断すると長泉寺の前に出る。
長泉寺の門前に元禄6年(1639)造立の三猿の上に青面金剛が乗る庚申塔が置かれている。
長泉寺の左横に沿った狭い道に入って行くとやがてJR横浜線の中山第二踏切を渡り、路地のような狭い道をさらに進んでいく。
その先は工場の敷地内となって旧道は消滅するが、工場の塀沿いに進むと恩田川の土手に出るので、土手上を歩いて、一旦、県道に出て恩田川に架かる都橋を渡り、青砥交差点を右に行くとすぐに左に向かう旧道が復活する。
旧道に入ってすぐの街道際に水難者供養塔・地蔵尊・庚申塔が建てられている。明治時代までは鶴見川水系の氾濫が幾度となく繰り返された歴史がある。
その先で再び広い県道に出るが、少し行った青砥北交差点で左に入るとわずかな区間だが旧道が復活する。旧道に入ると住宅が立ち並ぶ中に北八朔子育北向き地蔵が鎮座している。
少し先で再び県道に出ると、鶴見川に架かる精進橋が見えてくる。
精進橋の下あたりにかつて地蔵の渡しがあったらしいが、この辺りは大規模工事によりすっかり様変わりしていて、往時の面影はかけらも残っていない。
精進橋を渡ってかなり分かりにくいところに残る旧道に入り、右に行く路地を入ると上宿の双代道祖神がある。
街道に戻りちょっと歩くと八坂神社があるのだが由緒などが無いため詳しいことは分からない。
狭くて静かな旧道は、しばらくは鶴見川沿いを行く。
やがて右へ曲がって県道12号(上麻生線)に合流する。合流点には庚申塔と石仏が鎮座する庚申塔祠がある。
道路を挟んだ向かい側の石碑は川和里句碑。天保3年(1832)に建立されたようで刻まれている句は、
- 濡るとも そっと通れよ 露の中 -
すぐ先の手斧橋の手前を右に曲がり、しばらくは川沿いの狭い坂道を上っていく。突き当たったら左の方へ行き、川和高校北側交差点まで、桜吹雪の舞う中、上り坂を行く。
交差点を左に曲がり次の田辺交差点を右に曲がっていくが、この辺りは港北ニュータウンの中で、旧道は消滅し、道路はみな広々としている。
ほどなく道路が右に曲がる華蔵橋のところで左の小道に入り、しゃれた感じの住宅地の中を通って行くと荏田高校の方に向かう道になる。
荏田高校のところで旧道に復帰し、高校横の荏田坂を上ったら道なりに進んで池尻橋を渡っていく。
池尻橋を渡り三叉路を左のかなり狭い道に入って行くと その先は尾根筋の道となるが、なぜかこの狭い道が一方通行ではないうえ頻繁に車が行き来する。
その先の変則五差路を道なりに進み、少し先の三叉路を右に入る。
荏田第三公園横を通ってやがて下り坂となるが、坂の途中、左に曲がっていくあたり右手の階段を下りていくとすぐ左上に稲荷社が鎮座し、その先を回り込んでいったところに真福寺がある。本尊の千手観音立像は県重要文化財、客仏の釈迦如来立像は鎌倉時代の作で国重要文化財というが、残念ながら拝観はできない。
山門の下に庚申塔と3体の地蔵が鎮座する。
真福寺辺りの道はやや複雑だが、江田農協を目指して行くとやがてかつての荏田下宿に至る。
大山街道(矢倉沢往還)の宿駅であった荏田宿は、江戸から七里という距離であったことから江戸を早朝に発った旅人の最初の宿泊地であった。
早淵川近くの江田農協のところに大山街道(矢倉沢往還)の案内板が立っており、その近くに荏田村下宿の婦人達によって建立された庚申塔が建っている。
ここは以前大山街道(矢倉沢往還)を歩いた際に訪れている。
鎌倉街道は、この先は二子の渡しまで大山街道(矢倉沢往還)と重なっているので、次回はこの区間はパスし、二子から再開する。