2012年10月5日 上野原~鶴川~野田尻~犬目~鳥沢~猿橋~駒橋~大月
前回、上野原宿に入って新町二丁目の牛倉神社のところで一旦切り上げ、そこからかなり長く続く急坂を下ったところの上野原駅から帰途についた。今回再開するにあたり、駅から旧甲州道へは結構な上りになるが、ちょうどバスがあったので、旧道までバスで向かう。
旧道の本町信号の先で道は三叉路になっており、左に入る細い道が甲州街道の旧道になる。旧道を道なりに進み、右手に上野原警察署を見ながら、原自治会館先の石垣沿いに右に進むと鶴川歩道橋に出る。歩道橋で国道を跨ぎ、案内板に従い県道30号線野田尻方向に進んで行く。
鶴川に架かる鶴川橋を渡ると鶴川宿になる。昔は橋がなく、120m下流に鶴川の渡しがあった。
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◆鶴川宿
鶴川宿入口には鶴川宿碑が立ち、宿場にはいると直線的な道を挟んで両側に建物が並んでいる。鶴川宿は、甲州街道唯一の徒歩(かち)渡しの鶴川の渡しがあり、川留めのために設けられた宿場である。明治、大正の二度の大火で殆どの建物が焼失し、建物は新しくなっているが、どことなく宿場らしい風情は残っている。
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宿外れで街並みが途切れるあたりで、街道は左に切り返すように上って行く。少し上ったところで、宿場内で通り過ぎた鶴川神社への道があるので、案内板にあった駒つなぎ石を観に鶴川神社へ寄ってみた。駒つなぎ石とは、文字どおり馬をつなぎ止めておく石だが、何の変哲もない大きな石が置かれているだけだった。
この先、道なりにいくと、やがて中央高速へぶつかる。右折して高速に並行する道をしばらく歩き、高速に架かる鳶ヶ﨑橋を渡る。
橋を渡ったら、切り通しの坂を真っ直ぐ進んで行くと、その先の駐車場のところに、江戸から19番目の大椚(おおくぬぎ)の一里塚碑が建っている。
さらに緩やかに上って行くと、大椚の集落に入って行く。右に廿三夜塔を見ながら進むと、小さな祠と石塔が現れ、そこには大椚宿発祥の地と書かれている。
宿のはずれには、吾妻神社の鳥居とその脇に大椚観音堂が建っている。この観音堂は郡内三十三観音二十四番札所で、大日如来坐像と千手観音菩薩坐像が納められている。堂の奥は吾妻神社で小さな祠が建っている。ここには宿名の由来となった大クヌギが立っていたという。
この先は中央高速に沿う道となり、談合坂SAへ1kmという看板も見える。
高速を渡る手前に、戦国時代上野原の加藤丹後守が築いたという長嶺砦の跡碑が建っている。ここは交通の要衝で、甲斐の国の東側を北条氏から守るべく監視したという。
新栗原橋で高速を跨ぐと野田尻宿へ入って行く。
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◆野田尻宿
野田尻宿は、山間の小さな宿場であった。宿は明治19年の大火でほとんど焼失したが、国道20号やJR中央本線から離れた山間にあるため、宿場町の雰囲気が残っている。新栗原橋から10分ほど歩くと両側によく手入れされた植栽を持つ家が並んでいる。
車がほとんど通らない静かな街並みの中程には野田尻宿碑が建てられていて、隣の案内板には、向かいの犬嶋神社手前の明治天皇御小休所跡が本陣跡だったことを伝えている。
神社を過ぎて宿を抜けると道は三叉路になり、道なりに進むと正面に多数の観音様、地蔵様、道祖神などが並んでいる西光寺がある。
立てかけられている甲州街道ぶらり旅の看板に従い、ここは寺の右手を回り込むように右の道を行く。寺の裏手の竹林の中の道を進むと高速の歩道橋に出て、ここを渡ると林の中の道になる。
県道に合流して萩野の集落に入ると、右手に荻野一里塚跡の看板が立っている。日本橋から20里、20番目の一里塚と書いてある
しばらく道なりに淡々と歩き、高速の矢坪橋を渡ると、すぐ右手に大乗妙典日本廻国供養塔が立っている。
その脇を県道と別れて急な小道を上っていくのだが、その入り口には矢坪坂の古戦場跡の看板が立っている。享禄3年(1530)相模国の北条氏縄の軍勢が甲斐に攻めこみ矢坪坂に進んだ。一方、小山田越中守の手勢が坂の上で待ちかまえ、両者は坂をはさんで対峙し、やがて激戦が展開された。
細くて急な道を上って行くと、やがて武甕槌(たけみかづち)神社入口の鳥居前を通過する。
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武甕槌神社の鳥居を過ぎて高巻道を回り込んだ先に、宝篋印塔がひっそりと立っている。
視界が開けて法面の道になると、矢坪金毘羅神社参道の道標があり、勾配のきつい土道が参道となっている。
土の山道が続き、再び開けると中央自動車道の談合坂SAが眼下に見える。
この先は左側がかなり切り立った崖となっていて、途中、座頭ころがしの看板が置かれている。目が見えようと見えまいと、かなり危なっかしいところだ。先日歩いた中山道の碓氷峠にも座頭ころがしというところがあったが、ここは本当に危険を覚えるところだった。
やがて犬目新田集落へ入って行くと、「旧甲州街道 新田宿尾張の殿様定宿家」という看板が入口に掲げられた大きな屋敷がある。新田宿は間の宿であった。
念仏石と庚申塔が並ぶ道を進み、坂を下ると程なく県道に合流する。そこには、道標や犬目宿・君恋温泉の看板、犬目宿碑が建っており、ここが犬目宿への入口になる。
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◆犬目宿
「富嶽三十六景甲州犬目峠」で有名になった犬目宿は海抜500mを越える高地であり、富士山が綺麗に見えることで知られている。山間の小さな宿場で、昭和45年の大火で当時の建物はほとんど焼失したが、それでも山間のひなびた街道という雰囲気は残っている。
犬目宿へ入って最初に目にするのは「犬目兵助の墓」の案内板で、左の坂道を登って行くと一般の墓に混じって兵助の墓標がある。街道にある説明板によると、甲州一揆の首謀者だった犬目兵助は、逃亡し全国巡礼の後、犬目に戻り71歳でひっそりと亡くなっている。
宿場中程の犬目宿碑の近くに、犬目の兵助生家水田屋の案内板が立っている。
火の見櫓が見える先、明治天皇小休所址碑が建てられているところが脇本陣が有ったところで、斜め前のバス停の前が本陣跡、本陣跡の道路向かい側が問屋場大津屋跡となっている。
宿場の外れは枡形になっており、寶勝寺前を通ってアスファルト道が山の中へ入って行く。この先はどんどん山の中に入って行き、見えるのは彼方の山並みばかりになる。
富士山が見えるはずだが、この日は残念ながら見ることは出来なかった。
枡形から二回カーブを過ぎると右側に不動明王らしき石像が、その先には白馬不動堂の鳥居がある。
君恋坂という坂を道なりに下って行くと、カーブの角にこんもりと21里の恋塚一里塚跡がある。
しばらくは県道を道なりに歩き、立場であった山谷集落を過ぎて、鳥沢小学校通学路と看板のある細い急な下り坂を降りて行く。
高速をくぐって国道20号線と合流した所が下鳥沢宿入口。結構左右に旅籠風の建物が残っている。
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◆下鳥沢宿、上鳥沢宿
上鳥沢宿 と下鳥沢宿 の二宿に分かれる。宿場制定時から道幅を広く仕切ってあったため、後年国道が通っても、宿場の建物群がそのまま残った珍しい宿であったといわれる。
下鳥沢宿と上鳥沢宿は隣接した合宿で、5町(約550m)程しか離れておらず、継立、問屋業などは半月ずつ交替で行われていた。
明治天皇駐蹕地碑が立つところが井上本陣跡。
この先、三栄工業の看板の所で右折して行く。まもなく石段の上に馬頭観音碑があり、小川を渡ると再び国道と合流する。
国道と合流して猿橋へ向かうが、国道を横断し、宮谷橋の手前で、旧道は左側の脇道を下る。道路の向こう側にはウルトラマンがたくさんいるレストランが見える。
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◆猿橋宿
猿橋宿は、江戸時代、岩国の錦帯橋、木曽のかけ橋と共に三大奇橋のひとつである猿橋の見物人で賑った。
猿橋は、日本に渡来した百済の職人が、猿が梢づたいに川を渡るのをヒントに作ったと言われ、橋の長さは31m、川面まで30m、橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える構造になっている。
宿は普通の町並みで、旧家らしき家は見あたらない。宿を出ると桂川沿いに西に向かうと、猿橋駅前の宮下橋脇に三嶋神社がある。
神社から左方へ曲がり、旧道に入って大月駒橋郵便局前を進んで行くと前方に東京電力の建物が見えてくる。
駒橋発電所は、明治40年に東京電燈が建設した出力1万5000kwで当時日本最大の水力発電所だった。道から見下ろすと赤い発電用水車が保存されているのが見える。
駒橋から大月に向かってくるにつれ標高634mの岩殿山が近くに見えてくる。ここには、武田臣・小山田備中守信有により築城された城があった。武田勝頼は最後に岩殿城の小山田信茂を頼ったが、信茂に裏切られ滅亡へと進む、という歴史がある。
第五甲州街道踏切で中央線を渡り、国道へ合流する。
国道に出るとすぐ、右へ入る道があり駒橋宿入り口になる。
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◆駒橋宿
本陣も脇本陣も無く、旅籠数軒だけの小さな宿場であった。現在は国道から外れたおかげで、古い家並を残し、旧観を留めた静かな佇まいを見せている。
国道から右の旧道へ入ると、通りには旧家風の建物もいくつか残る。すぐにまた国道に合流するが、その手前に厄王大権現がある。
大月駅方面へ向かって進むと、高月橋入口交差点に三島大明神が鎮座している。創建1200年を迎える由緒ある神社で、大月総鎮守となっている。かつて境内に欅の巨木があり、これが大槻と呼ばれていたことから大月の名が起こったと言う。
跨線橋の脇を左折し、ブロック舗装のさつき通り商店街を通り、大月郵便局前を通り過ぎると、右手にJR大月駅がある。
直進して道なりに進み、国道に出て右折すると、この辺りから大月宿の始まりといわれる。
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今回は、ここで一旦帰宅。
今回歩いた鶴川、野田尻あたりでは、何度か中央道を跨ぐなどして、旧道は中央道に付かず離れず進んでいる。旧街道沿いには宿場の風情が残る静かな山村が続いていて、これまで何度も中央高速道を車で通っていた時には想像だにしなかった原風景がそこにはあった。座頭ころがしを越えて行く犬目のあたりでは、遠くの山並みを眺めながらの狭い法面の山道が残っていた。また、鳥沢、猿橋、駒橋には往時の佇まいも残っていた。
歩き進むにつれて旧街道の雰囲気が色濃くなってきており、この先が益々楽しみである。



