大月~駒飼

2012年11月23日 大月~花咲~初狩~白野~阿弥陀海道~黒野田~駒飼

今回は、甲州街道中最大の難所と言われる笹子峠を越える。天気予報では曇りのち晴れだったが、大月駅を降り立つと小雨模様だ。そのうち雨が上がることを期待して、傘を片手に歩き始めたものの、すぐに民家の軒先を借りてレインウエアに着替えることになった。
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◆ 大月宿
今の大月は特急が停車するほどの街だが、往時は本陣、脇本陣の外、旅籠は2軒だけという小さな宿場であった。
大月橋のたもとを左折する道は国道139号で、昔は大月宿が起点となる冨士参詣道といった。橋の手前の小さな広場には道標や常夜燈が立っていて、「右 甲州道、左 富士山道」と刻まれている。


かつての甲州街道は右折して川岸へ降り、下流の笹子川の合流点に近いところで橋を渡ったという。

大月橋を渡ってしばらく進むと、スーパーの前に下花咲一里塚跡がある。一里塚という雰囲気は全くなくて、庚申塔やら芭蕉の句碑とかが立っている。

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◆下花咲宿、上花咲宿
下花咲宿と上花咲宿は合宿で、宿間はわずか5町58間、600m程しかない。

「明治天皇花咲御小休所」と「本陣」の石碑が並ぶ本陣星野家住宅は重要文化財になっている。星野家は本陣、庄屋、問屋をつとめた旧家で、現在の建物は天保6(1836)に焼失後、忠実に再建したもの。甲州道中に残る本陣は、日野・小原とこの下花咲の三ヶ所のみである。


中央道大月インターを過ぎると、上花咲宿に入る。
国道20号沿いの上花咲宿には、かつての面影を残す民家がちらほらあるだけで、史跡などほとんど残っていないが、国道から右に入ったところに、廿三夜塔、数十基の石塔群が並ぶ往時の甲州道中を思わせる道が僅かばかりだが残されている。


大月警察署を横目に先に進んで行くと、真木諏訪神社参道の急な石段が目に入った。何となく階段を上って立ち寄ってみると、本殿の彫刻が印象的な瀟洒な神社であった。

国道をしばらく進むと、旧道は左折する形で国道と分かれ、甲府採石の方へ行く橋で笹子川とJRを渡る。すぐに右折してしばらくは線路に沿って甲府採石横の小道を進んで行くと、やがてJR中央線第七甲州街道踏切を渡り国道へと進む。
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◆下初狩宿、中初狩宿
下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成される。問屋業務は月の半分ずつ負担していた。

国道へ合流すると、下初狩宿に入る。両側には古い家が並んでいるが、何故か建物は道路より一段低いところに建っていて不思議な感じがする。
初狩駅前信号のところに、下初狩本陣跡があるが、ここも道から一段下がった所に建っている。脇には、今では珍しい赤い郵便ポストも立っている。


ここには、山本周五郎出生地碑がおかれている。山本周五郎は明治36年、初狩村にて生まれた。明治40年の山津波で祖父母・叔父母を亡くし、周五郎一家は初狩を離れ、東京に転居した。

初狩小学校のところに、芭蕉句碑が置かれている。先のとがった大きな石が特徴的である。
  - 山賤の 頤とつる 葎哉 -
野ざらし紀行の帰途、甲州のどこかで詠んだものと言われている。

句碑を過ぎると中初狩の宿になる。中初狩宿もひっそりした感じの宿。右側にはやや小型な本陣独特の門が残る中初狩の小林本陣跡がある。


この先しばらく淡々と国道を進んで行くと、やがて視界が開け、峰の山(911.2m)を背にして、正面のカーブには笹子川を渡る船石橋が見えてくる。谷は狭まり、左に中央本線、右に中央自動車道が迫る。


船石橋を渡ったら左側の草むらに御船石所在地の碑がある。船石とは船を繋ぐ石で、ここが川湊で船溜まりが有ったと言われている。


立河原の集落を抜けると、北方川と滝子川に挟まれて半島のようにつきだした尾根を中央本線がトンネルで貫いて行く。この尾根の上の天神峠を、かつての道は越えていたが、今は笹子川沿いにこの半島を迂回していく。

尾根を回り込み、右への小径へ入ると白野宿となる。
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◆白野宿
白野宿は、今は中央道が通っている山麓と笹子川に挟まれた狭隘な土地で、田畑を耕す土地すらない所である。次の阿弥陀海道宿とその次の黒野田宿の3宿で継ぎ立てを分担するという小さな宿場であった。
国道の脇に入るので交通量も少なく、静かな街並みになっている。

少し先の子神社で、真木諏訪神社と似た造りの小奇麗な社殿を眺めながら、ベンチで一休みしていると、近所の人が街道歩き人と見て話しかけてきた。最近、街道歩き人が増えているのだそうだ。
白野宿は小さな宿だが、甲州一揆の際、笹子峠を控えるこの地に農民達が集結した、というようなことを話してくれた。

*甲州一揆は、天保の飢饉により甲斐で起きた百姓一揆。天保7年(1936)8月14日、都留郡上谷村(都留市)の米商人など6軒の打ちこわしをきっかけとして、8月20日、下和田村の次左衛門(武七)と犬目宿の兵助を頭取として、甲州街道沿い22ヵ村農民2000余人が白野宿に集結し蜂起した。同年には、三河加茂でも大規模な一揆が起こった。大坂で大潮平八郎の乱が起こるのはこの翌年である。

旧道は線路に遮断されているので、国道に出て暫く行き、笹子橋を渡ると阿弥陀海道になる。
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◆阿弥陀海道宿
日本橋から数えて32番目の宿場。「此地一名を葦が窪といへり。駅の南に阿弥陀堂あり」ということから名前がついた。現在は道の字がなく、大月市阿弥陀海で「あみだかいどう」と呼ぶ。前の白野と先の黒野田と3宿で合宿となっていた。

街道を少し入り右折した所に笹一酒造がある。
駐車場脇にギネスにも登録されている世界平和太鼓が鎮座している。太鼓口径4.8mという大太鼓だが、笹一の持ち物ではなく、展示場所のみ提供しているということらしい。


阿弥陀海道の街並みは短く、本陣、阿弥陀堂もわからなくなっている。

笹子駅手前のJRガードを越えたあたりの街道筋には往時の雰囲気漂う家が立ち並び、紅葉と相俟ってなかなか風情がある。

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◆黒野田宿
阿弥陀海道からわずか1km程であるが、背後に笹子峠を控えていたこともあって、当時は多くの旅人で賑わったと思われる。
JRのガード下をくぐり、笹子駅前を通り過ぎてまっすぐに進んでいくと300mほどで黒野田宿に入る。途中、旅籠風な造りの家もちらほら見え、この辺が宿場だったことを感じさせる。

西はずれ、右側に古い門を持った家が本陣(殿村茂助)跡である。


すぐ先の普明禅院門前には一里塚碑が立っている。日本橋から25里と書かれている。


普明禅院は、毘沙門天で有名なお寺で、開基は天正10年(1582)武田氏滅亡の後、この地に定着した武田氏の臣、天野景信という人物。寺の境内には芭蕉句碑が立っている。
  - 行くたびに いどころ変わる かたつむり -

寺を過ぎると人家はまばらになり、途中の街道脇に馬頭観世音、庚申塔などが並んで建っている。

やがて標識がたくさん立っている旧道と国道の分岐点につく。国道はここで大きく右に曲がり、新笹子トンネルに向かうが、旧街道は左の県道に入って行く。

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<笹子峠>
笹子峠は、大月市と甲州市(旧大和村)の間にある標高1096mの峠である。甲州街道の江戸~下諏訪間のほぼ中間点にあたり、同街道の最大の難所と言われた。昭和13年、峠のほぼ下を貫く笹子隧道(全長240m)が開通し、甲州街道の峠としての機能を終えるが、狭い道が複雑に曲がり、交通の難所には違いなかった。昭和33年、新笹子トンネル(全長2953m)の開通によるルート変更により国道20号から県道に降格し、交通量も激減した。

左の旧道に入っ行くと新田地区の集落になり、真っ直ぐな道が続いている。あとで知ったが、新田下バス停の青い建物の先を右折すると笹子峠登り口があったようだが、この時は全く気付かずに県道をひたすら上って行った。
県道は舗装されているが、右に左にカーブを繰り返し、深い杉林の続く中を進んで行く。
やがて左側に、笹子峠自然遊歩道の案内板が見えてくる。ここで県道から分かれ、案内板の左の杉林の山道を行く。


登りが少し緩やかになった先に日が当たって明るくなっている広場があり、明治天皇御野立所跡碑が建てられている。

そこから少し行くと、「矢立の杉」がそびえている。このスギは昔から有名なもので、昔の武者が出陣にあたって、矢をこのスギにうちたて、武運を祈ったところから、こう呼ばれてきたものである。


矢立の杉の先に案内板があり、右手は県道、左手は笹子峠トンネルと書いてあるが、県道を行く。

県道の合流点から、また県道の舗装路をくねくねとしばらく行くと笹子隧道に着く。昭和13年3月に完成し、抗門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的。


旧街道は、トンネル手前で右手に立つ案内板に従い、笹子雁ヶ腹摺山の方へ登って行く。

頂上地点に道標が立っていて、右へ登ると雁ヶ腹摺山へ、左へ登るとカヤノキビラノ頭へ、真っ直ぐ下ると大和村日影かいやまと駅、手前が笹子駅となっている。


峠を少し下った場所には、天神宮がある。昔ここを通った旅人たちが旅の安全を祈願した場所。崖を下りると、トンネルの大和側の出口あたりに出る。
ちょっと先の県道のガードレールに切れ目が入っていて、ここが旧道の入り口だとの案内板が出ているので、ここを下りていく。
ちょっと行くと県道へ再接近する所に甘酒茶屋跡の標柱が立っている。

やがて一般の車両進入禁止の細かなじゃり道の林道へ出る。歩く分にはかまわないので下りて行く。少し行くと、通行止の看板が出ている。手前の右側に壊れかけた道標「・・・道峠道」があり、ここを右の谷に向かって下りて行く。急坂を上ったり下ったりし、道が細くなる。
危険と思われる個所にはロープなども張ってあり、橋なども丈夫なものなので危険はない。途中、何箇所か小さな川を渡渉するが、渡りやすいように石が置かれており、問題ない。

両側が深い崖になっている尾根道もあり、崖っぷちを通るところも多く、ときには落下防止の目印のロープが足元に張られているところもある。木橋もゆれたりしてヒヤっとする。

やがて、草地の歩きやすい道が現れ、坂を階段で下りて行くと県道に出る(清水橋)。笹子峠の案内板が立っており、甲州峠唄が紹介されている。

途中、桃の木茶屋跡の標柱を見ながら笹子沢川左岸を駒飼の宿まで下って行く。宿場の入口に架かる天狗橋を渡って左折すると集落になり、駒飼宿に入る。
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◆駒飼宿
馬の放牧が多いことから宿の名がついた。次宿の鶴瀬宿との相宿で、人馬の継ぎ立てを21日から末日まで行った。 黒野田と同じく笹子峠を控えて、さぞ旅人で賑わったことだろうと思われる。武田氏滅亡の地に近く、又慶応4年(1868)駒飼宿は新鮮組の近藤勇が甲陽鎮部隊を組織して甲府城に立てこもる板垣退助と決戦する為、軍議を開いた場所となった。

駒飼宿入り口右側には、芭蕉句碑がある。
  - 秣(まぐさ)負ふ 人を栞の 夏野哉 - 

宿場を少し進むと、本陣跡があり、少し奥まったところに明治天皇小休所跡の標柱が立っているが、周辺は空き地となっていて何も残っていない。

大きな萬霊塔の先で街道は、県道から左下へと外れて坂道を下って行く。ほんのちょっとの区間だが、ここには旧家が並び、往時の宿場の面影が残っている。


やがて道は笹子沢川にかかる橋を渡り、緩やかなカーブを曲がったとたん、目の前に巨大な橋が現れました。これは笹子トンネルに入る直前の中央自動車道の橋で、上下二段の橋のように見える。近づくと、二段ではなくて平行に走れないので上下線を少し離して二段のように作ってある。
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やがて、国道20号に出る。
次の鶴瀬宿はここを左折するのだが、本日はここで一旦帰宅のため、右のほうの甲斐大和駅に向かう。国道から左に入っていくと、駅手前左側に諏訪神社がある。

笹子峠入り口の新田下バス停が高度700m程、峠頂上が1096mなので実質登るのは300m程度。一部急坂、両側が切り立った尾根道、沢渡りもあるが、全体的によく整備され歩きやすい道である。ただ、矢立の杉を過ぎると、全く人に出会うことがなく、心細い上、「クマ出没注意」の看板が出ているので熊ベルは必携である。