2020年9月29日 赤坂御門~三軒茶屋
地下鉄永田町駅を出て、出発点の赤坂御門跡のある東京ガーデンテラス紀尾井町の方に向かう。ここは、かつて赤坂プリンスホテルが建っていたところで、今はすっかり様変わりしている。
赤坂御門~三軒茶屋
赤坂御門は江戸城外濠に設けられた見附門の一つである。御門跡に立つ説明板に、「大山に参拝する大山道の重要な地点でもあった」と記されているように、ここが江戸を発する青山通り大山道の起点とされる。
ガーデンテラスの方に回ってみると、お濠に沿って遊歩道が作られており、御門の石垣をまじかに眺められるようになっている。よく見ると石垣のいくつかに黒田家家紋である裏銭紋の刻印を見ることができる。
街道に戻り、あらためて赤坂御門前の坂を下っていくと、弁慶濠が往時の姿を留めている。
その先の弁慶橋は江戸時代には無かったもので明治22年に架けられたもので、 街道は弁慶橋の前から赤坂見附交差点を渡り青山通り(国道246号)の緩い坂を上っていく。
ほどなく見えてくる豊川稲荷東京別院は、大岡越前守忠相の屋敷稲荷が始まりで、明治20年に現在地へ移転された。稲荷と言うので紛らわしいが、正式名称は豊川閣妙嚴寺という寺で、本尊は豊川枳尼眞天(だきにしんてん)だそう。
旧街道は豊川稲荷からほんの少し戻って歩道橋を渡ったところから左の旧道に入って行く。
旧道に入ってすぐの牛鳴坂は、上り坂でしかも路面が悪かったため、牛が悲鳴を上げたのだそうだ。
坂を上ると武家屋敷遺構が目の前に現れた。江戸城下で幕府老中職に許された長屋門の形式をもつ唯一の遺構とのこと。
すぐ先の右手の緩い下り坂は弾正坂、さらに旧道が青山通りに合流するところで左から上ってくる急坂は薬研坂と、このあたりは実に坂道が多い。
青山通りに合流した少し先、カナダ大使館手前に高橋是清翁記念公園がある。きれいに整備された園内は、多くの木々の中に池を中心として石像や石灯籠が配置され、静かで落ち着いた雰囲気で、公園の一番奥まったところには高橋是清翁像が見える。2・26事件で暗殺されたのはこの地にあった自宅だった。
青山通りの車道の向こう側には、紀州徳川家の上屋敷があった赤坂御用地の森が延々と続いている。
青山一丁目交差点を過ぎると右手に絵画館前のイチョウ並木が見える。毎年、紅葉の時期にはかなりの人出がみられるところだ。
しばらく歩くと、地下鉄外苑前の出入口のところ、左手に梅窓院の参道が伸びている。参道の両側に孟宗竹の見事な竹林が続いている。
梅窓院は寛永20年(1643)、老中青山大蔵幸成逝去のとき、青山家の下屋敷に建立された寺院で、青山家の菩提寺となっている。この辺りを青山と呼ぶのはここからきているという。
やがて表参道交差点に至るが、その手前右手奥に青山善光寺がある。徳川家康が長野善光寺から勧請して慶長16年(1611)に谷中村に建立したものをここに移転してきたというもの。
人通りの多い表参道に近く、おしゃれな青山通りから一歩入るだけなのに、まるで別世界に迷い込んだような気分になる。
青山善光寺を出て表参道交差点を渡り、しばらく行くと道はふた手に分かれるが、大山街道は右の宮益坂を下って行く。往時は富士見坂と呼ばれ、富士山を眺められる頂上付近の見晴らしのいいところには、立場茶屋があったという。
坂の途中、右奥に御嶽神社があり、そのご利益で益々栄えるよう宮益町と呼ばれた。かつては鬱蒼とした森の中にあった神社も、今はビルの谷間に隠れるように鎮座している。
社殿手前の不動堂の脇に芭蕉の句碑がひっそりとおかれていた。
- 眼にかゝる 時や殊更 さ月不二 -
宮益坂を下り、宮益坂交差点を渡った右手奥を見ると、かつての宮下公園が最近ミヤシタパークと名を変えすっかり衣替えしている。
その先、山手線の高架下を通ると、渋谷スクランブル交差点に至る。左手に忠犬ハチ公像を遠目に見ながら街道を進み、渋谷109ビルのところで二股に分かれる左側の道玄坂を上っていく。
それにしても、ここ渋谷駅周辺では100年に一度といわれる大規模再開発が進行中で、すっかり様変わりしている。何度も来たことのあるところなのに、この日はまるでお上りさん気分できょろきょろしながらの歩き旅となった。
この喧騒の町がかつては山賊がいるような山中だったとは、想像するのも難しい。江戸時代には武家屋敷が散在し、大山講の旅人などが行きかうようになった。
道玄坂を上りきって高速道路下を歩くと、右側へ下る長い急坂が見えてくる。この坂が大坂で、標柱に「厚木までの四十八坂のうち急坂で一番大きな坂であったので大坂と呼ぶようになった」とある。
大坂を下って山手通り(環状六号)を横断すると、右手の崖に張り付いたような上目黒氷川神社の裏参道の急な階段が目に入る。この階段を上って参拝したあと、表参道の階段を下ろうとしたら、もっと急な階段であった。文化13年(1816)に造られたという階段は、明治38年の大山街道拡張の際に現在のような急階段に改修されてしまったという。
表参道階段を下りた右側に道標と供養塔が建てられている。天保13年(1842)の建立で正面に「大山道 せたがや道 玉川道」、右側面には「ひろう
めぐろ 池がみ 品川 みち」と刻まれている。
氷川神社を出たら国道を渡って道路左側を行く。少し先に行くと桜の名所で知られる目黒川が流れており、当時はかなり大きな橋が架かっていたという。橋の上から下流の方に目を向けると、巨大なループ状に造られた中央環状線大橋ジャンクションが見える。
街道はすぐ先で旧道に入り、車の往来が少なく静かな佇まいの道に変わる。
程なく池尻稲荷神社前に来ると、鳥居横に涸れずの井戸跡がある。江戸時代、どんなに日照りが続いても涸れることなく旅人の喉を潤す水に使われていたという。ここには、往時の子どもの遊ぶ像も置かれている。
旧道は、まもなく三宿交差点で国道に合流し、目と鼻の先が矢倉沢往還最初の宿場である三軒茶屋である。
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今回は、ここで電車に乗り帰途に就いた。
コロナ禍のためこのところ外出を控えてきていたため、久しぶりの歩き旅であった。以前からなじみ深いところばかりなのだが、通しで歩いてみるとやはり新たな発見の連続であった。
身体も鈍っているので、コロナの様子を見ながら無理をせず、徐々に歩き旅を再開していきたいと思う。