荏田~鶴間

2020年10月30日 荏田~鶴間

今回は、電車で青葉台まで行き、再開する。
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青葉台~長津田
青葉台駅を出て国道246号の方に向かい、陸橋直前で右折して旧街道に入る。国道沿いに少しジグザグしながら道なりに行き、竹林に囲まれた日本料理店青柿の脇を曲がって行くと、恩田配水池を右手に見て坂を下るあたりでは、長津田の街やずっと先の丹沢が見渡せる。往時はきっと眺めがいいところだったに違いない。

その先の田奈町東側信号を左に行くと、やがて国道に合流するのだが、その途中に古い石塔があるというので立ち寄ってみた。少し高い石垣の上の墓地に、相当古くて風化している石仏などが多数みられ、その一角に元亀4年(1573)建立の宝筐印塔があった。これは、恩田郷に居住した後北條氏所縁の武士・糟屋清印が父母の十三回忌供養に建立したものという。


墓地を出てすぐの国道246号の手前右側に道標を兼ねた供養塔があり、文化5年と「上り 江戸道 下り 大山道」と刻まれている。
国道に出たら右に行き、鶴見川支流の恩田川に架かる恩田大橋を渡る。かつては暴れ川でしばしば洪水を起していたらしいが、少し上流の成瀬近くは桜の名所で、毎年花見客で賑わっている。

やがて片町交差点にくると、交差点先の右側に入る道が矢倉沢往還(大山街道)である。すぐ先でJR横浜線のガードをくぐり、 広い道路に合流すると、そこに片町の地蔵堂がある。3体の地蔵のうち真ん中の地蔵は道標もかねており「向テ右かな川 左みぞノ口」とある。


街道は昭和の大火と道路各幅工事が行われたため広い通りになっており、宿場時代の面影が全く無くなっている。少し行った左側に、長津田宿下宿常夜燈と庚申塔、道祖伸などの古碑群が整然と置かれたポケットパークがある。


このあたりから長津田宿に入る。

長津田宿
長津田宿は、江戸から9里、荏田宿から2里の下宿、中宿、上宿とならぶ大きな宿場であった。
駅南口入口交差点を駅とは逆の左へ行くと左側に大林寺がある。長い塀が続く緩い坂道を下り、開かずの山門や延命地蔵を見ながらその先を左に曲がると、平成19年に完成したという見事な仁王門が出迎えてくれる。


大林寺は元亀元年(1570)、小田原北条氏の家臣であった岡野越中守融成によって開山、その嫡子房恒によって天正19年(1591)に菩提寺として建立されたと伝えられている。

街道に戻って少し行くと、右手に大石神社に行く急坂が見える。女坂といわれるこの坂を上って行くと、天保14年(1843)建立の上宿常夜燈が立っている。
その先の大石神社の祭神は在原業平で、その化身とされる大きな丸石が御神体となっている。在原業平が討手か賊に取り囲まれ周囲から火を放たれたが、火勢が衰えたあとには大きな丸石がただ一個残されていたという。


長津田~つくし野交差点
神社正面の急な階段を下りると街道に戻り、すこし先に旧矢倉沢往還の案内があり、わずかながら旧道が残っている。
元の道に出てしばらく進むと、左手の田園都市病院の先にも旧道が残されている。病院の2軒先の民家脇から山に向う細い上り坂に入って行くのだが、気を付けて歩かないと見過ごしてしまうようなところだ。一応コンクリートで固められてはいるが、人気のない山道を進んで行くと、やがて国道246号横断のための地下道のところに出る。

地下道で国道を横断すると目の前にぱあっと畑が広がっており、数軒の民家も見られる。
少し先の正一位長林稲荷大明神のところからぐるっと弧を描くような道を行くが、いかにも旧街道の趣が残されている。


やがて、フィールドアスレチックで遊ぶ子供たちの声が聞こえ、その脇を通って細い坂を上ると突如国道に出る。
国道を100mほど歩いたあと、つくしの信号のところで歩道橋で右側に渡る。

つくし野交差点~町田市辻
歩道橋を降り、横断歩道を渡ったら、ちょっと先を右に入っていく旧道が残されており、道成りに上っていくと馬の背と呼ばれる見晴しの良い尾根道を歩く事ができる。
馬の背はすぐ国道へぶつかり、しばらくは国道を行く。
少し先の郵便局のところに町田道祖神が置かれており、さらに少し先で矢倉沢往還が町田街道と交差する町田市辻に至る。以前、浜街道(絹の道)を歩いた時にここを通っているが、この町田市辻に置かれていた辻地蔵と横浜道祖神は、そこから国道を横切って反対側に少し行ったところに移設されている。

町田市辻~鶴瀬橋
町田市辻で国道246号から左に分かれる旧道を進み、国道16号を横断して行く。その先はゆるい右回りの弧を描くように進む。途中のコンビニの前に立つ大ヶ谷庚申塔は、文久3年(1863)に建立されたもので、その周りには真新しい御影石の奉納燈籠が整然と並べられている。


旧道はその先右へ曲がって行くのだが、国道246号に分断されてしまっているので、少し先の八王子街道との交差点のところで陸橋をくぐることになる。交差点手前の小公園に、安政3年(1856)建立の五貫目道祖神が置かれている。元々はもう少し西の境川に架かる鶴瀬橋手前に祀られていたが国道246号厚木バイパス開通にともないこの地に移転された。


国道246号の陸橋下を渡ったら、目の前の鶴間橋ではなく、少し右に行った旧道に戻って境川に架かる鶴瀬橋を渡る。境川は武蔵国と相模国の国境を流れていた事から境川と呼ばれ、今も東京都と神奈川県の県境となっている。

下鶴間宿
鶴瀬橋を渡るとすぐ右手に武相観音第1番札所の観音寺がある。


観音寺前の八王子街道を横断し西に向かうと下鶴間宿に入っていく。
下鶴間宿は、江戸からおよそ11里のところで、松屋、みつや、ちとせやなどの旅籠や、染物問屋、酒屋、餅屋などがあって賑わった。今も、旧家が点在し、往時の雰囲気がなんとなく感じられる。
宿に入ってすぐ右手に大山阿夫利神社御分霊社が建っている。


ここは個人宅の敷地内の様で、南朝忠臣新田氏縁の家の碑なども立っている。
街道際に「相州鶴間村宿」と刻まれた宿場碑が建てられており、「是より東江戸十里  是より西大山七里」と刻まれている。

少し先の交差点のところに高札場が復元されており、高札場の後ろは旧小倉家の母屋と袖倉が修復・復元された下鶴間ふるさと館として開放されている。旧小倉家住宅は安政3年(1856)建築の商家造りで当初は萱葺きであったという。


ふるさと館向かい側の黒板塀の家は、旧長谷川彦八家の屋敷である。長谷川家には伊能忠敬測量隊が宿泊したといわれ、お銀さんを尋ねる途中の渡辺崋山も訪れたという。

その先は緩い上り坂となり、途中右手に下鶴間不動尊への参道がある。階段の上り口に上半分が欠けた不動尊の石像が立つ。
そのすぐ先の街道際に建てられた下鶴間宿説明板には往時の下鶴間宿の様子が記されている。
説明板のすぐ先は永禄12年(1569)創建の鶴林寺である。階段を上がると本堂は鉄筋コンクリート造りの近代的な建物になっている。

街道を進むと、三叉路の右側に子育て地蔵尊が祀られている。


その向かい側の土屋家は、初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていたので俗称まんじゅう屋と呼ばれていた。渡辺崋山の遊相日記に『角屋伊兵衛、俗にまんちうやという家に宿す』とある。植え込みに道標が立つが、かなり風化してしまっている。

さらに数分歩いた三叉路のところには厄除け地蔵尊が祀られている。先ほどの子育て地蔵尊と同様、地域住民に大事にされていて、地域の生活に溶け込んでいる様子が窺える。

先に行って滝山街道が交わるところには山王(日枝)神社が鎮座しており、境内入口に矢倉沢往還の説明碑、庚申塔や青面金剛立像が配置されている。矢倉沢往還碑には「東西矢倉沢往還」「南北滝山街道」とある。


南北に走る滝山街道は、八王子の滝山城と鎌倉の玉縄城を最短距離で結ぶ道路として戦国時代にできたもので、江戸時代には相州の南北方向の主要街道であった。
真新しい街道碑の横にはかなり風化が進んだ庚申塔が2基立っている。

山王(日枝)神社からしばらく淡々と歩いていくと徐々に人通りも多くなり、旧厚木街道との合流点に矢倉沢往還説明碑が歩道際に据えられていた。その先で小田急江ノ島線鶴間駅付近の踏切を越える。
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今回は、ここまでとし、帰途に就く。ここから我が家は近い。
今回歩いた地域は、我が家から非常に近い範囲にあり、何度も車などで通ったことがある処である。特に、旧下鶴間宿あたりは身近に感じるところなのだが、旧街道を通しで歩いたのは初めてであり、新たな発見も多かった。