善光寺~牟礼

2015年4月21日
善光寺宿~新町宿~牟礼宿

いつも通り、朝早く家を発ち、大宮からの新幹線で長野に向かう。今回、半年ぶりに、善光寺から北国街道歩き旅の再開である。
おりしも、善光寺は4月5日から5月末まで7年に一度のご本尊御開帳とあって、3月14日の北陸新幹線金沢までの開業も相俟って、このところテレビでも盛んに報じられている。昨年、一度訪ねているが、折角の機会なので、再度善光寺を訪れて、そこから街道歩きを再開するつもりである。

昨年、善光寺を訪れたのは10月で、今回の旅は半年ぶりの再開になる。実は昨年11月に続きの旅に出かけようとしていた時、わけあって急遽予定を変更して柏崎に向かうことになった。ちょうどその日の夜、善光寺近くを震源とする大きな地震があり、柏崎にいてもかなりの揺れを感じたが、震源地に近い善光寺はかなりの被害を受け、テレビで大きく報じられていた。もし、当初予定通りに街道歩きに出かけていたら、その真っただ中で地震に遭遇するところであった。善光寺といえば、弘化4年(1847)の大地震が有名だが、その時もご本尊御開帳中で全国から多くの参拝者が訪れていたこともあって、大変な被害になったという。

たまたま、善光寺と柏崎を結ぶ話として、世阿弥改作の能「柏崎」というものを最近知った。
「越後国の豪族柏崎殿は訴訟のため鎌倉に滞在中に病死した。その子花若はこれを悲しみ何処とも知れず遁世してしまった。随行していた家臣小太郎は主君の形見の品々と花若の玉章を持って柏崎に帰り、奥方に事の次第を告げる。二重の悲しみに奥方は、涙にくれ狂乱の体となり、何処ともなく迷い出てしまう。信濃善光寺に辿り着いた狂女は、仏説を述べて僧を驚かせ、夫の在りし昔を偲びて舞をまい、果ては我が子の行方を案じつつ、御堂に手を合わせて夜念仏を唱えると、折よくこの寺の住僧の弟子となっていた幼い花若と再会を果たす」という物語である。その花若地蔵尊が善光寺のすぐ近くにあり、柏崎の香積寺境内には主君柏崎勝長親子三人の墓と供養塔がある。
私が子どもの頃、父が趣味で謡曲を詠っていたことをふと思い出し、最近、実家の書棚をあらためて見てみたら、沢山の謡曲本の中に案の定「柏崎」があった。

そんなこんなで、このところ、善光寺が俄かに身近に感じられるようになってきている。
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<善光寺>
北国街道は、仁王門手前の善光寺交差点を右折していくのだが、まずは本尊御開帳中の善光寺に参詣する。
昨年9月訪れたときは生憎の雨模様で訪れている人もまばらだったが、今回は青空が広がっており、新幹線開業と御開帳も相俟って、大変な賑わいとなっている。

石畳の参道を進むと、仁王門手前左に大本願がある。大本願は、善光寺を管理する浄土宗の本坊である。


仁王門をくぐると賑やかな仲見世になり、すぐ左手に旧如来堂跡地蔵尊がある。善光寺本堂は、皇極天皇元年(642)から元禄13年(1700)まではこの場所にあったという。

山門手前右に享保7年(1722)完成の大きな濡れ仏(延命寺地蔵菩薩座像)がある。江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれている。


並んでいる六地蔵は宝暦9年(1759)に造立されたが、昭和19年に金物供出に出されてしまい、現在の六地蔵は昭和29年に再興されたもの。

山門(三門)楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられているが、通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されている。


山門をくぐると、いよいよ本堂が眼前に現れる。
善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ。白雉5年(654)以来の秘仏であり、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られた。普段は御宝庫に安置されているが、7年に一度の御開帳の時だけ、その姿を拝むことが叶う。また、中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸にかわり、白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれる。その回向柱に触れるのは前立本尊に触れるのと同じこととされ、ありがたいご縁が生まれると言われる。

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北国街道・横町
仁王門前の長野市道路元標前に戻り、北国街道はここを東の横町に入って行く。
すぐに西宮神社に突き当たり、そこを左折してその先、十字路を右折するが、十字路の左手に笠原十兵衛薬局がある。この店の歴史は、武田信玄の軍師山本勘助に遡るという。
十字路を右折して県道339号に入って間もなく、淀ヶ橋跡の十字路を左折すると左に「柏崎地蔵尊」の案内板がある。謡曲「柏崎」に登場する柏崎殿の子花若の供養のために作られたものと伝えられる。道から見える祠は天神社と書かれている。


三輪七・八丁目交差点で長野大通りを渡った右手角に大きな旧家がある。この先、三輪八丁目付近には、情緒ある旧家が並ぶところだが、ここでうっかり道を間違えて、北に向かってしまった。緩やかだが長い坂道を上り、三輪交番交差点のところで東に向かって、吉田三丁目でなんとか本来の街道に戻ることができたが、かなり遠回りしてしまった。
旧道は、天周院前を通り、浅川を他力橋(たちからはし)で渡って新町宿に入って行く。
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◆新町宿
新町宿は、稲積村(現在の稲田)、徳間村、東条村の三村で一宿を構成していた。しかし、宿の面影を残すものはあまり見当たらない。

稲田集落に入ると、まず六地蔵に迎えられる。


稲田一・二丁目交差点の先、徳間集落に入って徳間簡易郵便局を過ぎたところに、飯山街道との追分の道標がある。「右 いい山 なかの 志ふゆ くさつ 道」「左 北國往還」と書いてあるようだ。善光寺参りの後、飯山、中野、渋湯、草津方面へ湯治などで行く人々に対する道しるべだったようだ。由緒書は道標から少し離れたところに立てられていた。


徳間川を渡ると、その先下り坂になり、駒沢川を渡ってすぐの薬師堂の先はすぐ上り坂になる。若槻東条集落となり、立派な屋敷がいくつか見られる。


やがて、街道左に蚊里田八幡宮の一の鳥居があり、「幸清水 是ヨリ西北一丁余」と書かれた道標や粟野神社、國胎寺の前を通りすぎると、田中交差点で幹線道路を横切る。

田子集落
田子バス停のすぐ先、明治天皇田子御小休所碑が立つ立派な門構えの旧池田家がある。この立派な鯱の乗る門は、飯山城の裏門を千曲川で運んで移設したものだそうだ。


田子池の手前の道を左に入って行くと、田子神社があり、街道に面した一の鳥居の前に明治天皇田子御膳水碑がある。


吉集落
田子池の先、吉(よし)の集落に入ると、枝ぶりのいい桜の木が何本か並んでおり、見頃はとうに過ぎているものの、桜の花はまだ残っている。左手高台のサクラの木の根元の三界萬霊塔の石塔など、落ち着きのある集落に溶け込んでいて風景は風情がある。


折れ釘のついている真新しい土蔵などが見られる吉の集落を抜けると、しばらくは上り坂が続く。

平出集落
新道の下をガードでくぐると、宇佐美沢バス停の先、右手高台にポツンと地蔵尊があった。なんとなく心休まる感じであった。


この後、平出集落になるが、もともとこのあたりは地図を見ても旧道と新道が幾度か合流したり別れたりを繰り返す分かりにくい道となる。たまたま通りすがりの人が、迷っている様子の私に声をかけてくださり、分かりやすい所まで車で案内してくれるという。道を教えてくれれば歩いて行きます、と言ったものの、説明を聞いたらますます分からなくなったため、ご親切に甘えさせていただくことにした。
折角だから、街道を外れるけれど、丹霞郷(たんかきょう)の方まで回り道して行きましょう、という。丹霞郷というのは、かつてこの地を訪れた洋画家岡田三郎助が春霞の中に桃の花がたなびく景色を、「まるで丹(あか)い霞がたなびいているようだ」と言ったことから命名されたという。北信五岳の残雪を背景に薄紅色の桃の花が咲く景勝地なのだが、今は開花に少し早い。自慢の景色を旅人に見せられないことを、しきりに残念がりながらも、丹霞郷経由で旧道と新道が合流する三本松の峠のところまで案内してくださった。ご親切に感謝。

三本松の峠
三本松の峠では、眼前にまだ雪の残る北信五岳(飯綱・黒姫・戸隠・妙高・斑尾)のパノラマが広がる。前田利家夫人が、江戸への道中で一番景色のよい所と絶賛したというのも頷ける。


ここには、行人塚や「一茶父子別れの地」碑、一茶の句碑がある。一茶が15歳で江戸に旅立つとき見送りに来た父とこの辺りで別れたと言われている。
 - 父ありて あけぼのみたし 青田原 -

牟礼に向かって、少し先の二股を右の旧道に入ると、間もなく、民家の敷地内に史跡四ツ屋一里塚がある。街道左手にもこんもりした塚がある。その先からも遠くに北信五岳がきれいに見える。

坂を下りていくと、今来た坂上への案内板の立つところに庚申塔・馬頭観音・地蔵・筆塚がまとめておかれている。さらに線路の手前右手に庚申搭など石塔が3基ひっそりとまとめて置かれている。


この線路のガードの手前に牟礼宿碑があり、この先が牟礼宿になる。

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◆牟礼宿
まだ時間が早いが、この先に進むとすると、次の古間までは険しい峠越えがあり、最寄り駅が遠くて電車の便もよくないので、今回はここで一旦切り上げることにする。
牟礼駅は、ここから右の方だが、次の電車がでるまでにはかなり時間があるので、この先の牟礼宿に少し足を延ばし、十王坂の證念寺あたりまで行ってみた。

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善光寺は、7年に一度の御開帳と北陸新幹線開業が相俟って、さらには好天に恵まれたこともあって、大変な賑わいであった。個人的には、前回、訪れた後、柏崎との因縁など色々なことも関係して、今回は特別な思いをもって訪れることになった。

善光寺から牟礼までは、歩いた距離は短い区間で、さしたる見どころなどもあまりない所だったが、ところどころ桜が残る静かな山里をのんびりと歩くことができた。全体を振り返ってみると、往時ののどかな山里の雰囲気が、心地よい印象として残り、不思議と充実した旅となった。
電車を待つ牟礼駅のホームや背景の山には、まだ桜が結構残っていた。