2013/07/15~18 武佐~守山~草津(~大津~京都)
いよいよ、中山道歩き旅も終盤となった。
昨年、東海道歩き旅のゴールインは桜満開の時期に合わせたが、今回は祇園祭に合わせて3泊4日の日程を組んでいる。
草津から先は、東海道で歩いているので今回の歩き旅は草津でゴールインとするが、武佐から草津は5里ほどしかなく、3泊4日のほとんどは祇園祭さなかの京都をじっくり堪能する計画である。
なお、草津からは電車で京都に向かうが、東海道歩き旅で立ち寄った大津の義仲寺には、もう一度ゆっくり訪れたいので、途中の膳所で降りて立ち寄るつもりである。
今回は夜行バスで横浜から八日市まで行き、電車で武佐まで行って、早めに歩き出すことにしている。順調にいけば、京都の宿に到着後、宵々山に出かける時間もありそうだ。
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ということで張り切って乘ったバスだが、冷房が効きすぎているうえ、近くの席からの冷風が微妙にあたったりして一晩中熟睡が出来なかった。おまけに、高速バスの降車地は電車の駅のすぐ近くが普通なのだが、八日市で降り立ったところが駅まで歩いて20分近くもかかるところであった。早朝のため人気はなく、駅までの道をたずねるのにも一苦労した。
ともあれ、近江鉄道八日市線に乗って15分ほどで、ひと月ぶりの武佐駅に降り立った。大きく深呼吸して、気持ちを新たに歩き旅を再開する。
武佐~守山
駅を出て少し先の踏切を渡って進むと、まず右側に大きな楠が一本立つ公園がある。別子銅山の支配人として銅山の煙害問題に対し公害対策と環境保全に努め、後に住友2代総理事として住友財閥の基礎を築いた伊庭貞剛(いばさだたけ)の屋敷跡である。
このあたり、まっすぐな街道沿いには往時が偲ばれる旧家が並んでいる。
国道と合流し、しばらく先の六枚橋信号を左折して行くと、右手奥に千僧供古墳群住連坊古墳がある。墳丘径53mの滋賀県下最大級の古墳で、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と考えられている。
このあと、六枚橋の方へ少し戻り、角に石碑のある所を左に入っていくと中山道なのだが、間違えて古墳から戻らず先のほうに向かってしまった。しばらく行ったところで、様子がおかしいことに気づき、たまたまあったコンビニで道を尋ねて間違えを確認。珍しい単純ミスで、もと来た道を戻る羽目になった。
ふたたび、古墳の前を通って六枚橋の方へ戻ると、地図らしきものをチェックしているランニング・スタイルの二人連れに出会う。この暑い中、ランニングなんて何が楽しいのか理解しがたいが、なんと中山道をひたすら走っていると言う。同じ中山道を行く者同士ということで、エールを交わすと、あっという間に立ち去ったが、この二人が行った方向が間違いなく中山道ということになる。
そこから少し先に住蓮坊の首洗池と呼ばれる小さな池がある。鎌倉時代の建永2年(1207)、法然の弟子の住蓮坊は、当時の浄土宗と既成仏教教団との争いの中で、出身地のこのあたりで処刑され、この池で首を洗ったとのことである。
すぐ先で国道に合流し、左折して白鳥川にかかる千僧供橋を渡ると、左手に立派な茅葺き屋根の奥野家が見える。
その先、馬淵町信号の右手に八幡神社がある。深谷宿はずれの八幡神社にもあったが、笠木に瓦が乗った鳥居はなかなか珍しい。本殿は、信長の兵火を受けた後の文禄5年(1596)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
神社の角から右手の旧道へ入って行く。旧道は茅葺き屋根の家なども見られる人通りのない静かな道で、周囲ははるか遠くまで田圃が広がっている。
途中で道が不安になり、たまたま通りがかったヤクルトおばさんに道を尋ねると、自分は詳しくないので、と言ってわざわざ地元の人の家に行って尋ねてくれる。その結果、今歩いているところが中山道に間違いなく、やがて日野川に突き当るので、土手沿いに行けばよい、と教えられる。
しばらく行くと、言われたとおり日野川の土手に突き当たった。広重の武佐の絵には、ここの渡し船の様子が描かれており、突き当った所に案内板が立っている。かつての渡し場跡で、普段は船で渡り、水量が減った時は川岸に杭を打って二艘の船を繋げて、船橋にして渡っていたという。
ここで、土手沿いに左に進むべきところ、左に行く道が見当たらなかったため、つい右に進んでしまった。これが大きな誤りで、このあと延々と日野川の土手沿いの道を琵琶湖に向かってひたすら歩く羽目になってしまった。
かなり歩いたところで漸く日野川に架かる橋(桐原新橋)にたどり着き、たまたま通りがかった人に道を尋ねると、まったく方向違いであることが分かる。結局、相当の遠回りをし、やっとのことで善光寺川のところで中山道に戻ることが出来た。上流を迂回して横関橋を渡ればすぐだったのに、下流の方にも遠からず橋はあるだろうと甘く考えてしまった。その結果、この日野川を渡るのに小一時間もかかった勘定になる。やれやれ・・・。
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鏡の宿
善光寺川のところで国道を渡り、左手に入って行くと、そこは鏡の里と呼ばれる間の宿で、旅籠の亀屋跡や京屋跡など古い佇まいの建物が残っている。
鏡の宿は平安末期から鎌倉、室町時代まで東山道の宿場としての賑わいを見せていた。江戸時代に入り、中山道が整備されると間の宿となってしまったが、本陣・脇本陣が置かれ、多くの旅人にとっての宿場の役割を果たしていた。
歴史あるこの宿には義経所縁のものがいろいろ残っていて、あちこちに幟がたなびいている。
承安4年(1174)鞍馬寺から奥州に下向する牛若丸は、鏡宿の旅籠白木屋に泊まり、その夜元服して源九郎義経と名乗っている。幟がいくつも立つ街道奥に源義経宿泊の館跡の石柱が建てられている。
少し先に鏡神社がある。新羅から帰化した人たちが自国の王子天日槍命(あめのひぼこのみこと)を祖神として祀ったことに始まる神社である。元服した牛若丸は参道の松枝に烏帽子を掛け、鏡神社へ参拝し、源九郎義経と名乗りを上げて源氏再興を祈願したという。
鏡神社本殿は室町時代に建てられたもので、国指定の重要文化財となっている。
神社の隣、国道脇には、義経が池の水を使って前髪を落して元服した時の元服の池という小さな池も残されている。
この先、少し行くと平家の終焉の地などあるが、すでにいろいろ時間を費やしているので先を急ぐ。
野洲に向かう途中には、雄略天皇の御代(413年頃)に掘らせた用水池の一つと云われる西池など、大きな溜池がいくつもある。
新幹線をくぐり、野洲小学校の方に進むと正門右に「中山道・外和木の標(しるべ)」が掲示されている。かつて外和木と呼ばれたこの地は大化の改新以前からの重要な街道であったそうだ。直ぐ近くには、中山道・野洲の碑が建っている
小学校沿いに進んだ先の三差路に朝鮮人街道と記された道標がある。京都の方からくると中山道から分かれるこの道は朝鮮通信使が通った道で、近江八幡を経由して鳥居本で再び中山道に合流する。
三差路の先の交差点際に背くらべ地蔵が鎮座している。この地蔵さんは鎌倉時代のものだが、子を持つ親たちが「我が子もこの地蔵さんくらいになれば一人前」と背くらべさせたのだとか。
背くらべ地蔵の近くの行事神社の鳥居の奥の注連縄は、これまで見たことのないなんとも珍しいものだ。「勧請縄」とか「勧請吊り」というものらしい。
神社前の道路を渡った行畑の街並みは、きれいな水が流れ、とても静かで落ち着きのある風情が感じられた。
その先の桝形跡の変則四叉路のところに茅葺き屋根の唯心寺がある。茅葺き屋根の寺というのは意外に珍しい。
そのすぐ近くには蓮照寺があり、境内の片隅に道標などが3本置かれている。そのうちの一番大きな道標は、先ほどの朝鮮人街道分岐点にあったもので、「右中山道 左八まん道」と刻まれている。
この先、野津川に向かうが、JRのガードをくぐってすぐ先の十輪院には芭蕉句碑がある。
- 野洲川や 身ハ安からぬ さらしうす -
十輪院の先の野洲川は、琵琶湖に流れ込んでいる近江最大の川で、野洲川橋からは近江富士と呼ばれる三上山がよく見える。
野洲川橋を渡ってしばらく行くと「馬路石邊(うまじいそべ)神社」の石塔が立っており、長い参道が真っ直ぐ奥に向っている。天武天皇の御代である白鳳3年(675)創祀というから相当な古社である。-----------------------------------------------------------------------------
67 守山宿
「京発ち守山泊り」と言われた守山宿は、中山道東下りの旅人が最初に泊まった宿場で、当時は旅籠が軒をつらねて大いに賑わった。広重の「守山宿」にはその賑わいが描かれている。
吉身3丁目交差点を過ぎると守山宿になり、ところどころにベンガラ塗りの家が見られるなど風情ある街並みになる。吉身小学校交差点の少し先に行った辺りを古くは吉水郷と称し、ゆたかな森林と水に恵まれた近江国景勝地とされていた。
このあたりの建物の並び方は、中山道本山宿で見られたような、家が道と斜めにのこぎり状に並ぶ斜交屋敷の名残が残っている。
しばらく進んで吉身西を過ぎると守山宿の中心地で、一番賑わった所である。すぐ先にある建物は宇野宗佑元総理大臣の実家だった宇野本家酒造跡で、現在は守山市が管理している。
少し先右に天徳3年(959)創建の天満宮があり、そのすぐ左交差点角に甲屋之跡碑がある。甲屋(かぶとや)は、謡曲望月に出てくる守山宿の宿屋ということなっているが、実際は本陣跡と推定されているらしい。
そこにある古井戸は、昔の防火用井戸であるその石組みは天保4年(1833)以前のものだそうだ。
文化交流館の先、旧道が左に曲がって行く変則三叉路の右に道標があり、「右中山道 並 美濃路」「左錦織寺四十五丁こ乃者満ミち」とある。
そのすぐ先の東門院は、延暦7年(788)最澄が比叡山延暦寺を建立した際、東方の鬼門を守るために建立されたと伝えられる寺で、後に桓武天皇が比叡山東門院守山寺と名号され、地名が守山とされたのだそうだ。
守山銀座西交差点を渡ってすぐのところに「どばし」と記された橋がある。ここには、かつて瀬田の唐橋の古材を使った公儀御普請橋が架けられていたそうだ。
橋を渡ったところから振り返ってみると、なかなか風情のある景色となっている。守山宿は、蛇行する街道筋に古い道標や建物などが随所にあって、つい何気なくきょろきょろしながら通り過ぎてしまったが、どこか近江独特の空気のようなものが感じられるところであった。
この橋を渡ると今宿になる。この先も家並みが途切れることなくところどころに旧家が残る風情ある街道が続いている。
今宿町信号を越えた宿はずれの左手には今宿の一里塚跡が残っている。滋賀県には中山道、東海道、北国街道、朝鮮人街道など多くの街道が通っており、それぞれに一里塚が築かれていたが、現存するのはここだけなのだそうだ。
焔魔堂町信号を過ぎると右手に十王寺・閻魔堂がある。字は異なるが、焔魔堂町の名前の由来になっている。昔は立場で賑わっていたそうだ。
暫くは坦々と旧中山道を歩き、栗東市に入ると大宝神社境内の一角の大宝公園が見えてくる。大宝神社は、大宝元年(701)疫病流行のとき素盞鳴尊が当地に鎮座したことに由来すると云われる古社で、将軍足利義尚や徳川時代の領主渡辺山城守の崇敬を受け隆盛を極めた神社である。
鳥居の手前の公園に芭蕉句碑がある。
- へそむらの まだ麦青し 春のくれ -
句碑由来によると、滋賀県内には93本の芭蕉句碑があるが、この句は芭蕉の句の存疑の部に入れられているものらしい。
それはさておき、句にもあるように、この辺りの地名は栗東市綣(へそ)といい、信号に綣Hesoと記されていてちょっと不思議な感じがする。身体のへそ(臍)ではなく糸巻きの心棒の意味らしい。
中山道は、この先小一時間ほどの草津追分で東海道と合流する。
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68 草津宿
草津宿は、平安時代から東海道と東山道(後に中山道)の追分宿として賑わっていた。江戸時代に、本陣2、脇本陣2、旅籠70軒余という大規模な宿場に発展。現在も当時の本陣が現存しており、宿場時代の名残を今に伝えている。
栗東駅西口交差点を過ぎ、少し先で葉山川を渡った旧道は、左手のJR琵琶湖線・草津線線路下の小さなトンネルをくぐり、すぐ右へ曲がって線路沿いの細い道を行く。
県道の高架下をくぐるとその先が伊砂砂(いささ)神社である。祭神の石長比売命、寒川比古命、寒川比売命の頭文字を取って付けられたというもので、本殿は、一間社流造檜皮葺きで、国の重要文化財に指定されている。
ほどなくJR草津駅に通じる道を横切ると、その先は賑やかなアーケード商店街になっている。旧街道がアーケードとなっているのは珍しい。
アーケードを抜けた先のトンネルが旧草津川隧道で、上は天井川である旧草津川である。この川は天井川であるが故に浸水被害を繰り返したため、昭和46年に新草津川に付け替えが行われ、旧草津川は廃川となった。下の写真は、トンネルを出た所が草津側からトンネルを振り返り見ているもの。一年前に東海道を歩いて来た時にも見た景色だ。
現在はトンネルを通って追分まで歩けるが、江戸時代は旧草津川の土手を上り、川を渡って再び土手をおりて草津宿に入っていった。トンネルに向かって左側にミニチュア高札場があり、その脇の階段を上っていくと天井川の草津川のところに出る。
トンネルに向かって右側には文化13年(1816)に建てられた追分道標があり、「左 中仙道美のぢ 右 東海道いせみち」と刻まれている。
ここからは中山道と東海道は同じ道となるため、今回の中山道歩き旅はここまでとする。
追分から駅のほうに少し戻り、一年前に東海道を歩いて来た時に昼食を摂ったのと同じ食堂で、前回と同じく牛丼を注文する。今回は、中山道完歩のお祝いに生ビール一杯もつけた。
一年ほどの期間をかけた長い旅であり、実にいろいろなことがあったので、本来なら感慨をもって振り返るところだが、それよりもなによりも冷えたビールを喉に流し込むことにしか頭がまわず、つかの間のことだが、この上ない充実感を感じながら、一人格別な気分に浸った。
まだまだ、この先の予定もあるので、あまりのんびりもしていられず、ビールを追加したい気持ちをぐっとこらえて昼食を済ませ、膳所の義仲寺に向かった。
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<番外編>
ここからは、街道歩き番外編である。
草津駅改札で、京都方面行電車の先発が急行、後発が普通の表示になっているので、駅の人に「急行は膳所(ゼンショ)に止りますか?」と聞くと、「はっ?!」と怪訝な顔をされる。「大津の手前の膳所(ゼンショ)に行きたいのですが・・・」というと、若くてきれいな駅員さんが「ああ、膳所(ゼゼ)でしたら、後発の普通列車で行ってください。」「えっ?!ゼゼ?!」「ゼゼって言うんです。私も、以前は読み方を間違えていたんです。」と、優しく教えてくれた。いい歳してこんなことも知らないなんて、という場面だったが、聞いたのが優しい駅員さんだったのが幸いであった。ちなみに、”所”をゼやセと読む地名は、奈良の御所市(ごせし)と膳所だけらしい。
義仲寺
義仲寺のある膳所駅を降りると、思っていたよりにぎやかで若者が多く、東海道で石山の方から歩いて来た時とはちょっと雰囲気が違った印象。ほどなく義仲寺に到着。東海道歩き旅で立ち寄ってから1年ぶりである。
もともと小さな寺で、前回、訪れた際はザット見ただけだったが、今回は、ゆっくり時間をとって見て回った。義仲寺は文字通り木曽義仲を葬った寺だが、芭蕉は遺言で義仲の墓の隣に自らの墓を立てるよう言い残していた。
境内には芭蕉句碑など所縁のものが多数ある。
義仲と芭蕉の墓にお参りし、境内をじっくり見て回った後、寺の人といろいろな話もでき、大変いい時間を過ごすことができた。
京都
膳所から電車で京都に行き、駅前からバスで東大路通りを北に向かって熊野神社前で降りた。ここは八つ橋発祥の地とのことで、交差点のところには聖護院八ツ橋総本店がある。そこから少し歩いて、5時前に和楽庵に到着し、やっと一息つく。かねてから祇園祭のときには町屋旅館に泊まりたいと思っており、4か月前の予約受付開始日にネット予約していた宿である。ゲストハウススタイルの宿だが、皆さん出かけているのであろう、他の客の姿は見えない。早朝から歩いてきたため、少々疲れているが、まだ時間があるので、早速、宵々山の街に繰り出してみることにする。
鉾町では、コンチキチンコンチキチンと祇園囃子が奏でられ、山鉾には提灯の明かりがともされ、屏風祭や会所飾りも披露されていたりで、何ともいえない風情である。とくに、新町通り、室町通りは、先に進むのが難しいほどの大変な人出で賑わっている。
初日からすっかり祇園祭の雰囲気に浸ったところで、宿に帰ろうとするが、交通規制の影響もあって帰りは一苦労。ようやく、なんとか宿にたどり着き、シャワーを浴びて床に就く。
長かった一日を振り返る間もなく、あっという間に爆睡。
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翌日、早朝から自転車で散策に出てみる。
宿の前の丸太町通りを西に行って鴨川に出たところで、川添いの散歩道を北に向かい、下賀茂神社へ。参道の入り口あたりの駐輪場に自転車を止め、そこから長い参道を歩いて早朝の下賀茂神社を参拝する。
下賀茂神社から今出川通りを東に向かい、白川疎水に出会ったところから車の喧騒を離れて哲学の道をたどる。哲学の道は、疎水に沿って少し東に行ってからは南に向かう。
丸太町通りを西に向かい、しばらく行くと宿に戻る。ちょうど朝食時になったので、宿の近くの喫茶店でゆったりと朝食にする。
朝食後、かねてから一度は行ってみたいと思っていた錦市場に自転車で向かう。市役所前の駐輪場に自転車を置いて、そこからは歩いていく。本能寺前を通って寺町通りを南に下り、錦天満宮のところで右に入ったところが市場の入り口になっている。
市場はまだ開店したばかりのようで、どの店も慌ただしげだ。錦市場に行ったらぜひこれを、と薦められていた焼鱧などをつまみ食いしながらぶらぶらと一通り端まで歩いてみる。一番端のほうに焼ガキをテーブルで食べさせてくれる錦大安を発見。我が家のお向かいのおじさんに勧められていたところだが、開店は12時とのことなので、少し先の鉾町を散策して時間調整する。
日中の鉾町は、夜のような賑やかさはないが、幼稚園児の団体や小さな子を連れた家族連れなどが結構たくさんいたりして、夜とはちょっと違って、地元に溶け込んだ祭りの雰囲気が感じられる。
鉾町を巡った後、再び錦市場に行き、漸く焼ガキにありつくことができた。
再び自転車に乘り、祇園の町中を通り、八坂神社前から東大路通を北に行って宿に戻り、自転車をおいて、あらためてI氏との待ち合わせの四条通りに向かう。I氏は、東海道完歩の時にも春の京都を案内してくれたが、今回は3日間の滞在中付き合ってくれることになっている。
再会後、まずはにしんそばの老舗松葉で軽く腹ごしらえし、八坂神社境内で行われる鷺舞奉納を見物。
そこからバスで北野天満宮近くまで足を延ばし、上七軒歌舞練場の日本庭園のビアガーデンに行ってみる。浴衣姿の芸妓さん、舞妓さんがもてなしてくれるという、京都ならではの珍しい所だ。話のタネに一度は行ってみる価値がある。
ほろ酔い気分になったところで、再び宵山見物に向かう。朝から色々なところに行き、前日、宵々山を見て回っていたので、少々疲れも出ため、早々に翌日の山鉾巡行見物の待ち合わせを決めて宿に帰る。
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翌7/17はいよいよ祇園祭のハイライトの山鉾巡行の見物である。約束の時間より早めの8:30ころ、待ち合わせの場所に行くと、すでにIさんも来ている。見物のベストポジションを確保しようという気遣いが有難い。京都市役所前の交差点での辻回しが目の前で見られる位置だ。二時間ほど待って漸く山鉾がやってきた。すぐ目の前を鉾の車がギシギシと音を立てながら通り、ちょっと先で辻回しが行われる様は流石に圧巻である。先頭の長刀鉾をはじめ一つ一つが特徴のある芸術品でもある32基の鉾を目の前でたっぷり楽しむことができた。
巡航のしんがり、2014年復興を目指す大船鉾の行列を見届けたら、なんと1時を過ぎていた。近くで、簡単に昼食をとり、夕方の神幸祭(神輿渡御)まで少し時間があるので、清水三年坂美術館に行ってみる。電車、バスを乗り継いで、東大路通から清水寺に向かう清水通を上る。途中の産寧坂(三年坂)を下って少し行ったところにある清水三年坂美術館は、幕末、明治の金工、七宝、蒔絵、薩摩焼を常設展示する日本で初めての美術館である。じつに見事な工芸品にしばし目を奪われる。
美術館から高台寺横を通って八坂神社に向かう。南楼門にたどり着くと神輿渡御に向けた段取りが賑やかな中にも粛々と進められている様子がすぐ目の前で繰り広げられる。神輿渡御に先立って本殿で祭典が行われ、3基の神輿は、順に南楼門を出て神輿渡御のメインイベント会場の八坂神社の西楼門前に参集する。3基目の神輿の後ろについていくと、西楼門前はすでに人だかりが一杯で身動きできないほどになっている。
西楼門石段下で三社神輿の差し上げが行われ、この後、3基の神輿はそれぞれの氏子の地域を練り歩き、四条御旅所に向かう。
今日も朝早くから一日たっぷり祇園祭を堪能した。宿の近くで食事を摂り、宿に戻ってシャワーを浴びて部屋に戻った途端に爆睡。
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7/18、いよいよ今回の旅の最終日となった。
今日は、 京の北の奥座敷、鞍馬から貴船の古道を歩く。鞍馬天狗や義経の伝説など神秘的なパワースポットやたっぷりの自然が楽しめる2時間程のハイキングコースだ。貴船では、一度は行ってみたいと思っていた川床での食事を予約している。その後、上賀茂神社に立ち寄り、帰途に就く予定だ。
叡山電車の出町柳駅でIさんと待ち合わせ、およそ30分で叡山鞍馬駅に到着。
鞍馬駅から少し歩くと、湛慶作の仁王尊像をまつる鞍馬寺仁王門がある。仁王門前には、左右に狛犬ならぬ阿吽(あうん)の寅が配置されている。
少し先の由岐神社は、鞍馬の火祭りが行われる神社。かがり火で山一面が赤く染まる勇壮な祭で、京都三大奇祭のひとつとして有名。
仁王門からは、ほとんど未舗装の山道で、源義経供養塔あたりからは結構傾斜もきつくなる。仁王門から15分ほどで鞍馬寺本殿金堂につく。源義経(牛若丸)が幼少の頃を過ごした寺として一般的には知られているが、鞍馬寺正殿前の「六芒星」の中心に立つとエネルギーを感じることができるというパワースポットとしても有名だそうだ。
真夏でもひんやりとする山深い道を登っていくと、奥の院・貴船に向かう不動堂付近の参道にある道は木の根道と呼ばれる道になっている。この辺りは岩盤が地表近くまで迫っているので木の根が地中深く入り込むことが出来ず、杉の根が地表に露出した状態になっている。ここで牛若丸が跳躍の練習をしたという言い伝えがある。
鞍馬奥の院・魔王殿は、650万年前に人類救済の使命を帯びて金星から降臨した魔王尊が祀られている。
川音が聞こえ鞍馬寺西門を出て貴船につくと、すぐのところが貴船神社本宮への参道となりその先に中宮、さらに先に行くと奥宮とへと続く。多くの参拝者が訪れている境内は、この時期は七夕笹飾りが美しい。
貴船神社を参拝し、いよいよ川床での食事だ。貴船川床は、手を伸ばせば届きそうなくらい川面に近く、真夏でも暑さを忘れさせられるような清々しい空気が漂う。京都盆地特有の蒸し暑さも忘れ、都会の喧騒からも離れ、青々とした木々の中をそよぐ風、鴨川の源流貴船川のせせらぎを聞きながらいただく京料理は格別、という触れ込みに違わず、本当に満足のいく趣向であり、その中でいただく京懐石は格別であった。
このあと、上賀茂神社と社家町を巡り、上賀茂神社の広く明るい参道、社家町の静かな佇まい、平安時代の趣を残す西村家庭園を脳裏に焼き付けたところで、いよいよ京都駅に向かう。
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今回の旅は、出足こそ少々ツキがなかったが、その後は実に充実した旅となった。家に帰ってから数日たっても、その余韻が残っているほどである。
一年ぶりに再び訪れた義仲寺では、たっぷり時間を取って寺の人と芭蕉のことなどいろいろな話が出来た。
メインテーマの祇園祭は、宵々山、日中の鉾町散策、奉納鷺舞、宵山、山鉾巡行、神幸祭(神輿渡御)など、とことん楽しめた。
鞍馬寺は京都とは思えないくらい涼しく、貴船川床は、桃山時代から長い時を経て洗練された趣向で、そこでの京料理は他では決して味わえない格別なものであった。
そのほか、下賀茂神社、上賀茂神社と社家、上七軒歌舞練場ビアガーデンや美術館、錦市場など、盛りだくさん初めての所を訪ねることができた。
今回こだわりの町屋旅館も、普通の旅館やホテルにはない雰囲気で、大満足であった。
町屋旅館にもいろいろなタイプがあり、今回泊まった和楽庵はゲストハウスタイプのもの。ゲストハウスというと、通常外国人向けの格安旅館のイメージだが、今回泊まったのは中庭に面した1階の縁側つきという、町屋の雰囲気を独り占めできる部屋に一人で泊まったため、普通の安ホテルや旅館と比べたら少し割高かもしれない。
同宿者はほとんどが外国人で、フランス人などヨーロッパ系が多く、若い女の子の一人旅、家族連れ、年配のご夫婦、若いカップル、など様々である。スタッフもだいたいが外国人(留学生のアルバイト)だった。
バス(シャワーのみ)、トイレは共用、部屋の鍵は小さな南京錠のみ、など設備面では何ともお粗末で、普通の旅館やホテルに泊まりなれた日本人にとっては、ちょっと違和感あるかも知れないけれど、なにか気のおけないアットホームな感じで、とてもリラックスできた。また、ロケーションもよく、どこへ行くにも便利であった。
小回りが利いて非常に便利なレンタサイクルもさることながら、京都はバスが便利であることを実感した。路線も本数も多く、慣れると大変便利だ。京都はいろいろ立ち寄りたいところがあって、結構移動するのに疲れるが、たとえひと区間でもバスに乗れば楽に移動できる。一日乗り放題のパスは大変便利でお得だ。意外なことに、今回は祇園祭最中でたいへんにぎわっている時期だったが、乗ったバスではほとんど座れた。
とにもかくにも、これまで何度か訪れた京都だが、今回は京都のことをいろいろと肌で感じることができ、実にいい旅となった。
暑い中、3日間もお付き合いいただいたI氏のお陰で、とことん夏の京都を楽しむことができ、本当に感謝感謝。