奥の細道

元禄2年3月、芭蕉は曾良を伴って江戸・深川を発ち、東北から北陸を経て大垣に至るおよそ150日間、600里(約2400km)に及ぶ旅をした。日本橋から京都三条大橋まで、東海道が約126里、中山道が約135里であるのに比べても、いかに壮大な旅だったかが想像できる。


「奥の細道」は、この旅を綴ったものだが、所謂旅日記的な紀行文ではなく、芭蕉の創作を含む文学作品だとされる。みちのくの歌枕を訪ね歩きながら、古人を追慕する目的で、この旅に出たときの芭蕉は46歳で、旅を終えて5年後51歳で亡くなるまで推敲が重ねられ、出版されたのは亡くなった後のことであった。

「奥の細道」と言っても、五街道のような定まった道筋があるわけでなく、それを辿る旅というのは、あくまで芭蕉が「奥の細道」に記した旅路を辿るものである。芭蕉は、時には旅先の句友宅に長逗留して歌仙を巻いたり、馬や舟で移動することもあったが、私の旅では、こうした芭蕉と同じような旅は能わず、この長旅を通して遷ろう芭蕉の心の内に思いを馳せつつ、できるだけ忠実にその足跡を歩いて辿る旅を目指した。

行ったり来たりを繰り返しながら少しずつ進むという旅を積み重ね、ただでさえ多くの時間を要するうえに、結びの地大垣まであと少しというところでコロナ禍のため滞留を余儀なくされるということもあって、最終的には歩き始めてから何年も要したが、どうにかこうにか大垣にたどり着くことができた。