山寺

2014年7月23日 仙台~多賀城~塩釜~松島~山寺~羽黒山手向
2014年7月24日 羽黒山手向~羽黒山頂上~月山九合目
2014年7月25日 月山九合目~月山頂上~湯殿山~鶴岡

芭蕉は、5月27日(陽暦7月13日)朝、11日間逗留した尾花沢から山寺に向かった。もともとは予定になかったが、人々の強い勧めによる旅だった。尾花沢から山寺までは7里半ほどだが、楯岡までは鈴木清風が出してくれた馬で行き、途中の六田で知人に会って、午後2時半ごろには山寺に到着した。

私の今回の旅は、芭蕉の順路とは異なるが、山寺を早く訪れたい一念で、仙台から多賀城、塩釜、松島を巡ったその足で、先行して山寺に向かった。
かなり変則的な旅程だが、このページでは芭蕉の旅の流れに合わせるため、山寺に絞って記している。
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松島から仙石線、仙山線を乗り継いで山寺までのおよそ2時間弱、列車に揺られながらしばしの休憩を取る。山寺には12時過ぎに到着、山寺を巡った後、次の目的地羽黒山手向に向かうため、15時頃の山形行きに乗る予定にしている。今朝、仙台に着いてから、色々なところを駆け巡ってきたが、ここ山寺では、すこし余裕をもって過ごすつもりである。
宝珠橋の先を右に行く寺の入口までの道の両側には、観光客相手の店などが立ち並び、結構な賑わいである。まずは蕎麦でも食べようと、何気なく入った美登屋という蕎麦屋で、山形名物“だしそば”なるものを注文。色々な夏野菜を細かく刻んだものが、蕎麦の上にたっぷりのっているもので、これが実に美味であった。


朝早くから、暑い中を駆けずり回ってきたところにきて、しっかり冷えた“だしそば”でお腹を満たし、元気を取り戻して登山口に向かう。

立石寺
山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)慈覚大師円仁が開いた。鎌倉時代には東北仏教界の中枢をなして、300余の寺坊に1000余名の修行者が居住し、盛況を極めた。戦国時代、兵火をあびて一時衰退したが、江戸時代に再び隆盛を見た。現在の立石寺は、境内35万坪の自然の岩山に、40余の堂塔を配し、平安初期以来の山岳仏教の歴史を物語る霊場である。
登山口を入ると正面は国指定重要文化財の根本中堂で、堂内には開山以来千数百年を経た不滅の法灯が灯されているという。


根本中堂のすぐ近くに芭蕉句碑があり、その脇に芭蕉と曾良の像が建てられている。


一見の価値ありと薦められ、尾花沢から遠く離れた山寺にわざわざ足を延ばした芭蕉は、奥の細道に次のように記している。『・・・山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。 - 閑さや 岩にしみ入 蝉の声 -』

根本中堂の先に立石寺の山門があり、ここから先は奥の院への参道となる。山道を登ってゆくと、途中に芭蕉句碑があり、せみ塚と説明板が立っている。芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋めて石の塚をたてたもので、せみ塚といわれている。


その先を登ってゆくと、頭上に古色蒼然とした仁王門が現れる


仁王門を過ぎ、さらに山道を上って行くと観明院、性相院、金乗院、中性院と続き、その先正面の一段と高いところに奥の院(如法堂)がある。
奥の院で参拝し、戻ってくると、右に行く山沿いの道があり、その先に開山堂がある。ここには立石寺を開いた慈覚大師の木像が安置されている。


左手の岩の上にポツンとある赤い小さなお堂は納経堂で、山内では最も古い建物である。その真下に慈覚大師が眠る入定窟がある。

開山堂から右奥に上がったところに五大堂がある。五大明王を祀って天下泰平を祈る道場だが、ここからは山寺の町や遠くの山々が一望できる。


五大堂からもと来た道に戻る途中、足を止めてみると、巨大な岩と山、木々に囲まれた立体的で神秘的な空間が眼前に広がる。岩壁の所々にある岩穴は、修行僧が寝泊りをしたところと言う。深山幽谷そのもの、よくもこのようなところにこのようなものを作ったものだと、ただただ恐れいってしまう。大自然に対して人の力は微力だが、ここでは、なにか人の力の凄さを感じさせられる。
山門まで戻ったら、帰りは根本中堂とは逆方向の抜苦門を通り、立石寺本坊の方を回って、駅に向かう。

山形行きの電車が出るまで少し時間があるので、近くの土産物屋でところてんをいただきながら、店の女将さんと世間話などして時間をつぶす。
駅前で振り返ると、山の上の方に五大堂が崖から飛び出すように見えた。