千住~日光

元禄2年(1689)3月27日(陽暦5月16日)早朝、芭蕉は深川を発ち、多くの見送りの人たちとともに隅田川を舟で遡って千住に着いた。そして、ここで見送りの人たちと別れ、曽良と二人、みちのくに向けた旅の一歩を踏み出した。
芭蕉はこの時のことを、奥の細道の旅立ちの章段で次のように記している。『千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
  - 行春や 鳥啼魚の 目は泪 -
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。』

千住宿は奥州街道・日光街道の初宿として賑わっていたところで、今も往時の賑わいを彷彿とさせる雰囲気が残っている。
千住大橋北詰の公園には矢立初めの碑などがあり、川岸のテラスには芭蕉と曽良の旅立ちの様子が壁面に描かれている。


また、少し先の中央卸市場前の奥の細道プチテラスには、矢立初の句をしたためている芭蕉像が立っている。この辺り一帯には、斯様に芭蕉所縁のものがあちこちに見られ、旧街道の風情の中であたかも芭蕉と奥の細道の街といった雰囲気に満ちている。

千住を発った芭蕉は、まずは日光に向かっている。
芭蕉が実際に歩いたルートと一部異なる部分があるが、日光までの私の旅は日光街道歩き旅のページで記しているので、ここでは省略する。以下では、その旅で行ってなかった裏見の滝と憾満ヶ淵に絞って後日日光を訪れた時のことを記している。
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2014年9月15日早朝、家を発ち、10時過ぎ東武日光駅到着。まず、裏見の滝に行くため、中禅寺湖方面行のバスに乗る。

駅前から、かつての鉢石宿の通りを行くと、T字路の交差点にぶつかり、左に行くと中禅寺湖方面になる。交差点の左手に見える朱塗りの橋が世界遺産登録の神橋である。

裏見の滝
東照宮入り口、田母沢公園を過ぎ、さらに行くと日光明峰高校の先で裏見の滝への標識がある。それに従い、郵便局のところを右に入って40分程歩くと滝の入り口に着く。ここからは滝に向かう山道となり、500mほど行くと緑の木々の間から幾筋かの滝が見え始める。真中に一本太い滝があり、左右に幾つかの小さな滝が見られる。


かつては、滝を裏側から見ることができたため「裏見の滝」と名づけられたが、現在は危険なため裏側へ容易に行ける道はない。
芭蕉はここで、
  - 暫時は 滝に籠るや 夏の初 -
という句を詠んでいる。

憾満ヶ淵
裏見の滝から同じ道を戻って元来た国道に出る。国道を日光方面に戻るとすぐに右に曲がって大日橋への近道があるはずだが、どうも見当たらない。通りがかりの人に尋ねると、地元の人にしか分からないような道を教えてくれた。人ひとりがやっと通れるかどうかという道だが、教えられたとおりに行くと、ちゃんと大日堂跡に出た。
かつて、ここには美しい庭園の中に堂があり、その風光の良さは定評があったというのだが、明治時代の洪水で流されて今はいくつもの石仏が並ぶのみである。


大日堂跡の少し先には大日橋が見える。大日橋を渡り、小さな公園を抜けると、遊歩道のような道に突き当たる。道なりにしばらく行くと、左側が憾満ヶ淵に出る。大きな岩と岩の間を川の水が、水しぶきを上げ、ごうごうと音を立てながら流れている。芭蕉は、裏見の滝に行った後、ここに立ち寄った。


道の山側に、並び地蔵(お化け地蔵)と呼ばれる数えきれないくらいのお地蔵様が並んでいる。


いつのまにか慈雲寺の中を歩いていたようで、しばらくすると慈雲寺と記された門を出る。
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慈雲寺を出て大谷川沿いをしばらく行くと、総合会館のところで国道に出る。そこから、バスで東武日光駅に向かい、家路についた。
今回、日光滞在は短い時間だったが、日光でも一般の観光客をほとんど見かけることのない所を静かに巡ることができ、なんとなく新鮮な気持ちになれた。特に、並び地蔵は他では見られないもので、強く印象に残った。 近年は、海外からの観光客が多く訪れる人気スポットになっているらしい。