出羽三山~鶴岡

2014年7月23日 仙台~多賀城~塩釜~松島~山寺~羽黒山手向
2014年7月24日 羽黒山手向~羽黒山頂上~月山九合目
2014年7月25日 月山九合目~月山頂上~湯殿山~鶴岡

今回の私の旅は、芭蕉の旅の順路とは異なるが、今朝、仙台を出てから松島を巡り、山寺に立ち寄ったあと羽黒山・手向に向かった。このページでは芭蕉の旅の流れに合わせるため、出羽三山~鶴岡に絞って記している。
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山寺から羽黒山・手向の宿坊までは電車、バスを延々と乗り継いで行かなければならない。まず山寺から仙山線で山形まで行き、山形駅前から高速バスで日本海側の鶴岡に行く。山寺を出たのが15時頃で、鶴岡着が17時半頃。そこからさらに、路線バスで手向に向かうのだが、到着時刻が遅くなるため、残念ながら宿坊での食事が摂れないということなので、バスが出るまでの待ち時間に、エスモール内で簡単な夕食を摂る。バスは18時半頃に出発し、終点の羽黒バスセンターに着いたのは19時過ぎとなった。

羽黒山・手向(とうげ)
鶴岡を出たときには3人ほど乗客がいたが、終点で降りたのは私ただ一人。すでに暗くなった雨上がりの街中に人気はなく、予約している宿坊がどこにあるのか、尋ねることもできない。ふとみると、随身門近くに宿坊らしい建物があったので、そちらに行って尋ねると、その宿坊ならこの少し先ですよ、と丁寧に案内していただけた。
そもそも苦労してこの時間にここまで来たのには理由がある。たまたまこの時期、羽黒山の国宝五重塔がライトアップ公開されているのである。車の旅か団体バスツアーでなければ、これを見るためには、近くに宿を取るしかない。というわけで、随身門に最も近い宿坊に宿を取った次第である。私の到着を待ち構えていた女将さんの話では、直前までひどく降っていた雨がちょうど上がったところだという。なにはともあれ、宿にザックをおいて、石段が滑りやすいから気を付けるように、との女将の言葉を背に受けながら随身門に向かった。随身門を入ると、まず下りの長い石段がある。滑らないように用心しながら下りて、右に行くと赤い神橋がある。五重塔は、神橋の少し先、左手の木立の奥の方に建っていた。真っ暗闇の杉木立の中にライトアップされた姿は、なんとも幻想的な感じで、思っていた以上に趣があり、苦労して来てみるだけの価値があった。

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羽黒山
翌朝、宿坊・神林勝金の朝食は、神前の大きな広間で摂る。同宿は一組の夫婦だけだったが、なんと我が家からほど近い藤沢から来たということだった。宿を辞す際、あらためて見ると、この宿坊は、立派な茅葺屋根、冠木門を備え、敷地内には八坂神社まで備えていた。


これまでの街道歩き旅で、こういうところに宿を取る機会はなかったので、貴重な経験となった。
あらためて随神門(写真左)に向かうと、昨晩、真っ暗で分からなかったが、宿坊と間違えて入った建物は、なんと羽黒三山神社の社務所(写真右)だった。そうとは知らず、失礼しました。


随神門から継子坂を下りると祓川に掛かる朱塗りの神橋に出る。右手には須賀の滝がある。三山詣での行者は祓川で身を清めた後、霊域の山上と俗世の山麓を分ける神橋を渡った。


神橋の少し先、一の坂の石段がはじまる手前左手に五重塔が建っている。ちょうど真後ろから朝日を浴びているため、正面からはまぶしくてまともに見られないほどだ。前夜のライトアップされた姿とはまた趣が異なる。鬱蒼とした杉木立の中に聳えたつ五重塔は、近づくと圧倒されるほど大きく、複雑に組まれた造形美が素晴らしい。素木造りで素朴だが優美な、杮葺(こけらぶき)、三間五層の塔は、国宝に指定されている。承平年間(935-938)に平将門が創建したといわれ、東北地方では最古の五重塔として知られている。

五重塔のある辺りから上りの石段が続く。一の坂、二の坂、三の坂まであり、山頂の出羽三山神社まで2446段という長い石段の参道が続く。


参道両側の杉の並木は、樹齢300年以上の巨木が並び、国の特別天然記念物となっている。中でも五重塔手前の爺杉と呼ばれる古木は、推定樹齢1000年以上といわれており、羽黒山で最大にして最古のものである。これらの杉並木の植林や参道の整備は、江戸時代初期の羽黒山別当・天宥が行った。一の坂が終わり、二の坂が終わったところに茶屋がある。茶屋前の広場で、眼下に広がる庄内平野を眺めながら一息入れ、先を急ぐ。三の坂に入る手前に、右に分かれる細い道があり、500mほど行くと南谷がある。ここには、かつて別院があり、芭蕉はここで六夜を過ごした。当時の別当代会覚に歓待された芭蕉は、次のように記している。『六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿舎利に謁す。南谷の別院に舎して、憐憫の情こまやかにあるじせらる。』
  - 有難や 雪をかおらす 南谷 -

今回は、南谷には立ち寄らず、そのまま三の坂に進むと、やがて前方に羽黒山頂上入口の赤い鳥居が見えてきた。頂上手前で、有名な羽黒山斎館の前を通る。建物はずっと奥のほうにあるのでよく見えないが、元は華厳院という羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住んだ寺であった。斎館とは参籠所のことで、今は予約すれば一般の人も宿泊できる。今回は、手向の宿坊に泊まったが、次の機会にはぜひこの斎館に泊まってみたい。

羽黒山頂上・三神合祭殿
随身門からここまでの長い参道で出会ったのは、米国人一人と日本人二人の、わずか三人しかいなかった。しかし、山頂入口の赤い鳥居をくぐって山頂に着いてみると、結構多くの人たちがいる。突然ブオーッという法螺の音とともに、山伏に引き連れられた一行が現れたりする。ここには、バスやマイカーですぐそこまで来ることができるので、観光客など一般の人の多くは、わざわざ苦労することなくここまできている。
羽黒山は、標高414mの山である。月山、湯殿山が雪に閉ざされて登れないときにも、ここまでは登れるので、ここには羽黒、月山、湯殿の神を一堂に祀る三神合祭殿がある。平安時代初期の大同2年(807)に創建され、たびたび焼失などによる再建が行われてきたが、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した大社殿は、厚さ2.1mの萱葺の屋根、総漆塗の内部など、その全てに迫力があって見応えがある。


本殿左側の少し離れた隣には、蜂子神社がある。これは、出羽三山の開祖・第32代崇峻天皇の御子の蜂子皇子を祀る神社である。今年は午歳、羽黒山の御縁年で、蜂子神社を開扉し、数百年ぶりのご本尊御開帳が行われているというので、折角の機会なので、参拝する。なんと、そこには一般に知られているすごい形相の蜂子皇子とは全く別人のような柔和な皇子の姿があった。

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羽黒山頂上~月山八合目・弥陀ヶ原
芭蕉は、6月6日(陽暦7月22日)、月山登拝のため白装束にあらため、強力を伴って南谷を朝早くに出発。羽黒山奥の院である荒沢寺を経て登山道に出た。別名馬返しと言われる七合目の合清水までは馬に乗り、そこからは馬を降りて歩いたようだ。
今は、羽黒山頂上から月山八合目までのバスが出ていて、一時間ほどで八合目まで運んでくれる。11:50発のバスを待つ間に、羽黒山頂上駐車場のところにあるレストハウスで腹ごしらえをする。羽黒山頂上を出るころは、真っ青な夏空が広がっていたのだが、バスが上るにつれてガスがかかり始めた。天気さえよければ、八合目からの眺めはすばらしいはずだが、今日の眺望は、残念ながらいまひとつとなった。

八合目バス停から少し上ったところに広がる弥陀ヶ原湿原は、高山植物の宝庫と言われ、木道が整備された遊歩道になっている。左右二手に分かれるが、左に進路をとり御田ヶ原参籠所経由で弥陀ヶ原を散策する。ガスがかかって見晴しはいまいちだが、時折ガスが流れるたびに広大な斜面に池塘や高山植物の群生する様子がうっすらと見え隠れし、爽快な散策ができた。


弥陀ヶ原~九合目・仏生池小屋
遊歩道をゆっくり一周して、再び御田ヶ原参籠所に来たところで、頂上への登山道に入る。
弥陀ヶ原のゆるい斜面を高山植物に目をやりながら進んでゆくと、しだいに岩の道となり北側斜面には残雪が見られるようになる。登山道を上り始めてから小一時間経ったあたりで、小さな雪渓を横切る。雪渓の左側はかなり急斜面になっているので、一歩一歩慎重に進む。三百数十年前のほぼ同じ月日に、ここを登った芭蕉は、『雲霧山気の中に氷雪をふみしめてのぼること八里』と記している。かつては、今より残雪の量は多かったように思われる。
雪渓を無事渡ると、しばらくお花畑が広がる道が続く。そうこうするうちに、霧のかかった登山道の先の方にぼんやりと小屋が見えてくる。ここは九合目の仏生池小屋である。小屋の前には仏生池という小さな池があり、池の周りにはさまざまな高山植物が咲いている。


本日は、ここに宿を取る。この時期、登山シーズンのはずだが、平日で天候もいまいちのせいか、同宿は一人だけだ。夕食には名物の月山筍を始めとする山菜中心の精進料理をいただける。思っていた以上に、いろいろな種類の山菜があって、まことに美味しく、大満足であった。
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仏生池小屋~月山頂上
翌朝、目を覚ますと結構風が強く、ガスがかかっていて時折小雨が降りつける。残念ながら、ご来光は拝めそうにない。5時に朝食を摂り、雨具を付けて5:30に出発。

天気がよければ、月山山頂からの眺望は素晴らしく、周辺は磐梯朝日国立公園の特別区域に指定されていて希少な高山植物があちこちに咲く景色が見られる。残念ながら、今日はガスっていて視界不良。それでも、歩いていると時折ガスが流れて、高山植物の群生の様子がぼんやりとうかがえる。他の登山者など、もちろん見かけないが、行者返しのあたりで、後方から人の気配を感じ、振り返ってみると、修験者装束を身に着けた一行がすごい勢いで上っていく。ガスの中でのあっという間の出来事であった。
ほぼ予定通り6:40に無事頂上に着く。


頂上の標高は1984m、頂上手前には雪渓が残っており、夏の日中とはいえ小雨混じりで風も強く、少し寒いほどである。本宮参拝の前に、まず和紙の人型をいただいてお祓いを受ける。石垣に囲まれ、御室と呼ばれる月山神社本宮では、先ほどのグループか、祈祷をしている修験者集団がいる。


芭蕉が頂上に達したのは日没寸前のようだ。『息絶え身こごえて頂上に至れば、日没して月顕る』という状況だった。芭蕉は本宮に参詣したあと、そこから少し下った角兵衛小屋に1泊した。現在は立派な山小屋が建っている。
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月山頂上~湯殿山
芭蕉は、角兵衛小屋で、『笹を敷き、篠を枕として、臥て明るを待つ』という一夜を過ごし、『日出でて雲消れば、湯殿に下る』とあるように、日の出とともに出発した。そして、この日のうちに、湯殿山参拝をすませてから同じ道を引き返し、南谷に戻るのである。
私は、風雨の中、7時ころ月山頂上を出発し、湯殿山に向かう。少し下ったところの鍛冶小屋跡を過ぎ、さらに進んだところの急なガレ場を下りきると、姥沢小屋への分岐となる牛首という所に着く。
牛首から緩やかな道を下ってゆくと、途中には雪渓も残っている。ガスっていて先が見えにくいので、道を誤らないよう気をつけながら進む。


姥ヶ岳への分岐となる金姥を過ぎ、ところどころで雪渓を渡ったりしてしばらく行くと、やがて装束場といわれる所に出る。かつては、ここで草鞋を履き替え、衣服を改め、清浄な湯殿山の神域に入る準備をするところであった。今は施薬小屋と呼ばれる避難小屋がある。ここからは月光坂の急な下り坂になり、途中には鉄はしごがいくつも設けられている。急坂というより、崖といったほうが当たっていて、流石に修験の地と言うだけのことはある。


険しい下りに難渋しながらも10時少し前に湯殿神社にたどり着く。このあたりの標高は1040mほどなので、月山頂上から一気に900mほどを下ったことになる。登山道はそのまま本宮入口に向かっており、参拝申し込みをしようとすると、まず靴を脱いで裸足になってから来なさい、と言われる。裸足になってあらためて参拝申し込みに行くと、ここでも参拝の前に、和紙の人型に願いごとを込めてお祓いをしていただく。
「語るなかれ」「聞くなかれ」と言われる修験道の霊地・湯殿山は、伊勢・熊野と並ぶ三大霊場のひとつである。山の北側、梵字川の侵食によってできた峡谷の中に湯殿山神社本宮がある。出羽三山の奥の院とも呼ばれ、月山・羽黒山で修行をした行者がここで仏の境地に至るとされている。湯殿山神社には社殿がなく、ご神体は鉄分を含む温泉が湧き出ている茶褐色の巨大な岩だ。参拝を済ますと、ここならではの大変珍しいことを体感することになるが、「語るなかれ」の戒めがあるので、これ以上記すわけにいかない。本宮内はもとより周辺の写真撮影は一切禁止されており、実際に行った者のみの胸にとどめるのである。
芭蕉は、『惣(そうじ)て、この山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめて記さず』としている。
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湯殿山~鶴岡
湯殿山神社の登拝を終えた芭蕉は、ふたたび月山に向かい、昼ごろには頂上に着いた。そこで昼食を摂って、すぐに羽黒山の方に下山し、日が暮れてから南谷に帰り着いた。曾良は、この日の日記の最後に、『甚、労ル』と記している。翌日は南谷で休養し、求めに応じて三山巡礼の句を短冊にしたためた。
  - 涼しさや ほの三か月の 羽黒山 -
  - 雲の峰 幾つ崩て 月の山 -
  - 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな -

それにしても、湯殿山神社と月山頂上の間は、相当な急坂が続くところがあり、上るにしても下るにしても、修験場と呼ぶに相応しくかなり厳しいルートである。芭蕉は、湯殿山から再び羽黒山に戻ったが、とても常人とは思えない。今は、月山から湯殿山に来たら、バスで鶴岡に出るのが一般的である。
まず、湯殿山本宮から少し離れたところにある駐車場から、参拝者用シャトルバスで仙人沢参籠所まで行く。山籠所は、湯殿山本宮麓大鳥居のすぐ側にある。鶴岡行きバスは、11時に山籠所前から出て、1時間ちょっとで鶴岡に着く。バスが出るまであまり時間はないが、なにはともあれ、今回の旅のメインイベントである出羽三山登拝を無事に終えたので、生ビールで一人乾杯し、山菜蕎麦で腹ごしらえをして、漸く一息ついた。


バスで鶴岡に向かう途中、車窓からぼんやりと移り行く景色を眺めていると、田麦俣というところで一風変わった民家が遠くに見えた。ちょっと珍しいので、写真に撮ろうかなと思ったら、なんとバスの運転手さんが気を利かせて、写真撮るなら待っていますよ、と言ってバスを止めてくれた。あとで分かったことだが、この建物は田麦俣に見られる兜造り多層民家というもので、山形県有形文化財の指定をうけた貴重なものであった。

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鶴岡市街散策
12時過ぎに鶴岡に到着。いつのまにか強烈な真夏の日差しが照り付けている。
ここから東京に行くには、新潟で乗り換えるが、私の郷里の柏崎がちょうど祇園祭の最中で、翌日には花火大会があるので、柏崎に寄っていくことにしている。そもそも、芭蕉も奥の細道の道中で柏崎を通っており、今回の旅の趣旨にあながち無縁ではない。
まずは、みどりの窓口で切符を確保するが、柏崎行の列車が出るまで2時間ほど時間がある。折角なので、鶴岡市内の芭蕉所縁の地を訪ねてみようと、駅前の観光協会でいろいろ訊いてみると、観光客用に無料レンタサイクルがあるというので、これを借りて、芭蕉所縁の地を始めとして、鶴岡の観光名所を一通り見て廻ることにする。

まず、鶴岡駅前の広い通りをまっすぐに進んでゆくと、日枝神社があり、そこに立ち寄った。境内の弁天堂脇に芭蕉句碑がある。
  - めずらしや 山をいで羽の 初なすび -
日枝神社を出ると、芭蕉所縁の長山重行宅跡を示す看板が出ている。芭蕉は、羽黒を出発した後、鶴ケ岡の城下に住む庄内藩士長山五郎右衛門重行の住まいに迎えられ、俳諧一巻を巻いた。このすぐ近くに、あるはずなのだが、なかなかその長山宅跡が見つからず、同じところを何度か通った挙句、近所の人に尋ねて漸く発見できた。ここにも、さきほどの初なすびの句の碑が置かれている。芭蕉は、この長山宅で出された鶴岡名産・民田茄子の漬物が、ことのほか嬉しかったらしい。


芭蕉は、山行で無理したせいか体調を崩したらしく、この長山宅に3日間滞在した。その後、大泉橋のたもとから川船に乗って、内川・赤川・最上川と下り酒田へ向かった。町の中を流れている内川は鶴ヶ岡城を囲むように流れており、城の外堀の役目も持っていたようだ。内川は、少し先で赤川に合流するので、赤川を下って酒田まで約七里の船旅だった。芭蕉の時代、赤川は酒田で最上川に合流していたが、現在は途中で進行方向を変え、直接日本海に注いでいる。

鶴岡は、かつては鶴ヶ岡と呼ばれ、洒井家14万石の城下町であった。庄内藩には別に商都酒田があり、鶴岡は主として武士中心の政治の町であった。鶴ヶ岡城址は現在、鶴岡公園として整備され、濠や石垣の一部が残されている以外特に目立った城の遺構はない。
公園のはずれに致道館という建物があったので立ち寄ってみた。これは文化2年(1805)に建てられた庄内藩の学校である。明治6年に廃校されてからは鶴岡県庁、鶴岡警察署などに使われたこともあったという。現在は国指定の史跡となっている。


致道館の庭から、南の方に金峰山がよく見える。金峰山の麓の黄金地区は藤沢周平が少年時代に過ごしたところである。鶴岡市内には、記念館をはじめ、あちこちに藤沢周平所縁の碑などがおかれている。
また、綺麗に保存されている明治・大正時代の白亜の洋館が数多くあり、それぞれが個性的で、この街全体の景色を彩っている。


短い時間であったが、自転車を借りたおかげで、鶴岡市内の主だった名所をあらかた巡ることができた。全体に瀟洒で落ち着いた雰囲気が感じられる街であり、また藤沢周平の描く往時の武士社会の空気がどことなく今も漂っているようで、不思議に後になってじわっと脳裏に残るものがあった。
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番外編・・・柏崎
14時過ぎに鶴岡を出た列車は、三瀬を過ぎたあたりから日本海の海岸線に出ると、新潟の村上あたりまでずっと海岸線に沿って走る。夏の日本海は穏やかで、海を眺めながらの旅は、ぼんやりと眺めているだけで心地よい気分になる。
今回は電車での移動だが、芭蕉の歩いた奥の細道を辿る旅として後日このルートを歩く予定である。

18時半頃柏崎に着くと、中心街は祇園柏崎祭の真っ最中で賑わっている。
柏崎に着いた翌7月26日は、一日のんびり過ごして、夜には数十年ぶりの花火大会を楽しんだ。この花火大会は、全国区でも有名になっており、近年は、関東方面からバスツアーで訪れる観光客も多く、大変な賑わいである。幸い天候にも恵まれ、非常に素晴らしい花火大会であった。

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柏崎から東京へ
7月27日、今回の旅の締めくくりに、2時から池袋の東京芸術劇場で友人の出演するコンサートがあるので、朝、柏崎を発つ。
ブルックナー「交響曲第8番」のエンディングは、大きなホール狭しと云わんばかりの迫力で、酷暑を吹き飛ばすほどのすごい演奏であった。そういえば、前夜の柏崎の花火大会のフィナーレを飾る尺玉300連発も、ものすごい迫力であった。
月山から湯殿山への下りで結構くたばって、脚の痛みなどがまだ残っていたが、柏崎の花火とブルックナーの曲のおかげで、ふたたび元気をもらったような気になった。

今回の旅は、非常に盛りだくさんな内容で、久しぶりの旅をとことん満喫することができた。