新潟~出雲崎

2017年10月31日 新潟~弥彦~出雲崎

今回の旅は、新潟から出雲崎まで一泊二日で予定していたが、直前の台風接近で予定変更。
深夜急行バスで新潟まで行き、市内の芭蕉ゆかりの地を散策し、白山から弥彦までは電車で行って、弥彦神社参拝後、弥彦山を越えたところの西生寺に寄り、寺泊を経て出雲崎に向かうこととした。

元禄2年7月3日(陽暦8月17日)、芭蕉は新潟を発って内野、赤塚、稲島、岩室を経て約9里を歩き、弥彦の旅籠で一休みした後、弥彦神社に参拝した。
翌7月4日、猿ヶ馬場峠を越えて西生寺に向い、境内の弘智堂の即身仏を訪ねたあと、寺泊を経て出雲崎に宿をとっている。
越後路については、奥の細道に全く記述がないが、曽良随行日記を手掛かりに芭蕉の旅路を辿る。
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新潟
新潟には予定より早めの4時半に到着。軽く朝食を摂ってから万代橋を渡って最初の目的地宗現寺に向かうが、まだ夜明け前であたりは暗闇である。

<宗現寺>
ここには芭蕉が脱ぎ捨てていった古い蓑を埋めたと言われる蓑塚がある。
夜明け前の暗闇の中で目を凝らしてみると、本堂右側の植え込みの中に「芭蕉翁蓑塚」と刻まれた石碑があった。


宗現寺入口には新潟の老舗イタリア軒の大きなビルが建っていた。漸く夜が白みはじめた西堀通を進むと道路沿いには多くの寺が並んでいる。このあと、古町通の船江大神宮に向かう。

<船江大神宮>
古町通りの路地の奥にあるということだが、ちょっと分かりにくいため、散歩中の方に尋ねたら、親切な人で神社まで案内してくださった。たまたま奥の細道に詳しい人で、船江大神宮についてもよく知っている人だったため、話が早かった。


この神社は、延喜式にも記載がある古社だそうで、本殿の手前左に芭蕉句碑がある。
  - 海に降る 雨や恋しき うき身宿 -
新潟の街に到着した折、祭礼の最中のため宿を取るのに苦労し、途方に暮れる中、大工の源七の家でやっと落ち着くことが出来て、この句を詠んだ。
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この後、すぐ近くの白山神社を参拝し、白山駅から越後線で弥彦に向かった。途中、佐潟に近い越後赤塚では、たくさんの渡り鳥が空に舞っていた。ラムサール条約登録湿地の佐潟は、白鳥の飛来地として有名である。
吉田で弥彦線に乗換え、次の矢作駅に近づくと弥彦神社の大鳥居が目に入ってくる。

弥彦
この日は、台風一過の晴れの予報で、新潟では青空だったのだが、弥彦につくと俄かに厚い雲が広がり、冷たい雨が降り出した。歩き旅に出るときは、天気予報がどうであれ、常に山旅用のレインウエアとサバイバルグッズを荷物の中に入れているので、この日はこれが役立つことになる。
弥彦には、かつて何度か来たことがあったが、越後の一宮弥彦神社の門前町らしく、街全体に落ち着いた雰囲気が感じられる。
曽良の日記には、弥彦に泊って明神に参拝したと記されている。

<宝光院>
弥彦神社参拝の前に、源頼朝の命により開かれたとされているお寺である宝光院に寄ってみる。裏山の樹齢1000年の婆々杉が有名だが、すでに紅葉が始まっている境内には芭蕉の句碑がある。
  -  荒海や 佐渡に横たふ 天の河 -


<弥彦神社>
翌日からはじまるという菊祭りの準備が進められている弥彦神社を参拝し、ロープウエイで山頂を目指すと、山の上の方は紅葉で色づき始めている。


雨模様で残念だが、山頂からは辛うじて佐渡島がかすんで見えた。
この時、佐渡の浮かぶ日本海にたまたま大きな虹が架かった。スケールの大きな自然のなせる技にしばし見とれる。


曽良随行日記に『四日 快晴。風、三日同風也。 辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為拝。峠ヨリ右ヘ半道計行。』とあるように、芭蕉と曽良は翌日、西生寺を訪れている。
私は、山頂の奥の院を参拝し、そこから山道を下って西生寺に向かった。ところが、半分ほど進んで西生寺まであと30分という標識を見てから、すでに1時間ほどたったところで、途中で道を間違えてしまったことに気がつく。下り道のはずがアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を上げている始末。前日の台風の影響で、分岐点がわからなくなっていたのかもしれない。スマホの電波が弱く、位置確認が出来なかったことも敗因となった。予想外の悪天候も相俟って、下手をすれば遭難するところだった。
ようやく山道を抜け出し、少し広い道に出て暫く歩くと西生寺までの案内看板が出ている猿ケ馬場のところに出た。位置的には、すでに寺泊に近いところまで来てしまっているが、折角なので一時間くらいかけてあらためて西生寺のほうに戻ることにする。
途中、雨足が一層強くなり、散々な目にあったが、何とか西生寺にたどり着く。
後で調べたら、西生寺まであと30分の標識の先の分岐で、西に向かうところを南の国上山(くがみやま)の方の雨乞山に上っていた。ちなみに、国上山の国上寺(こくじょうじ)にある五合庵は、良寛が40歳ころから定住したところである。

<西生寺>
奈良時代に行基により創建されたと伝えられる越後屈指の古刹で、日本最古の即身仏が安置されている弘智堂があることでも有名で、芭蕉も立ち寄った。


西生寺にある芭蕉参詣の碑には、曽良の句が刻まれている。
  - 文月や 加羅さけおがむ 乃寿三山 -

西生寺を後にしてふたたび山を下ると、日本海が見えてきて、野積と言う地区になる。
曽良随行日記には『弘智法印像為拝。峠ヨリ右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。』とある。

海岸沿いの国道に出たら、雨足がますます強くなり、傘もさせないほどの横風を伴う。たまたまあったバスの待合室に緊急避難し、時刻表を見たら、幸運にも1日に数本しかない寺泊行のバスが、30分ほどすると来ることが分かった。助かった!
バスの客は私一人。ここまでの顛末や、寺泊のお薦め食事どころなどを運転手さんと話しながら、信濃川の方水路である大河津分水路にかかる野積大橋を渡り、寺泊町に入る。
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寺泊
北前船寄港地であり佐渡航路の古い港町である寺泊には、多くの史跡がある。まずは、観光協会に顔を出し、しっかりアドバイスをいただいて、聚感園とその周辺の散策路をめぐる。

<聚感園(しゅうかんえん)>
寺泊の旧豪族五十嵐邸跡に作られた公園で、 宮廷歌人藤原為兼と初君の相聞歌碑や義経と弁慶に纏わる史跡などがある。


五十嵐氏は、文冶3年(1187)の頃は寺泊近在67町村を知行し、元和元年(1615)には近郷126町村を支配していたという権力者であった。
そのころ、佐渡へ配流となった都人をはじめ、文人墨客との交流を代々続けてきたことから、義経と弁慶、遊女初君と藤原為兼、順徳上皇など多くの人物がこの地に逸話を残している。
だが、江戸末期に家運が傾き、戊辰戦争による家財没収や明治初期の火災のために没落し、広大な屋敷も一部人手に渡る窮情に立ち至った。その後地元で保存運動が起こり、現在は史跡公園として管理されている。

聚感園から高台に向かうと、寺泊の総鎮守白山媛神社が鎮座している。

神域には社殿をはじめ、住吉神社、二面神社等の末社が並び、船絵馬収蔵庫、忠魂碑が建っている。

高台の散策路を進むと、やがて照明寺・密蔵院に至る。
照明寺は真言宗の寺で、寺泊では屈指の大寺である。密蔵院はその境内の高台にある。諸国放浪を終えて寺泊に帰ってきた良寛は、ここに仮住いした。

群生する石蕗(つわぶき)の中、坂を降りていくと、法福寺の飛地境内に祖師堂があり、道路を挟んだ向かいに日蓮聖人獅子吼説法像がある。しかし、老朽化のせいか地震のせいか危険なためロープが張られていて敷地内には入れなくなっている。


ここは、文永8年(1271)日蓮上人が佐渡へ配流になったとき、寺泊で船を待ちつつ説法した北国最初の霊地とされるところで、その一隅に芭蕉句碑がある。


道路から塀越しに見られるだけだが、朽ち果てかけた句碑に刻まれた文字はほとんど読み取れなくなっている。
  - うたがふな 潮の花も 浦の春 -
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今回の旅はいろいろ予期せぬことがあったため、結局、出雲崎まで行くのはあきらめて、ここからバスで寺泊駅まで行き、電車で柏崎に向かうことにした。バスも電車も一日に何本もないのだが、数少ない電車にちょうど連絡のいいバスがあると観光協会の方から教えてもらっていた。

バス停で待っていると、後乗りのドアのはずが、前のドアがあいて、前から乗るように促された。よく見ると、なんと西生寺のあと乗ったあのバスの運転手さんだった。バス停に立つ私の風体を見てすぐ分かったらしい。相変わらず、乗客はずっと私一人だけで、寺泊駅まで街道歩きの話などを親しくできた。
旧街道の歩き旅では、日本人も訪れることがないようなところで、海外からの旅行者と出会うことがあってしばしば驚かされるが、この辺りでも最近良寛さん所縁のところを訪れる海外からの観光客が増えている、という。
駅は、海岸沿いから思った以上の距離だった。歩いたらかなりの時間がかかっただろうが、話が弾んだためあっという間であった。
今回の旅では、山中で迷ったり、天候急変で散々な目にあったが、たまたまバスに助けられ、これほど有り難く感じたことはない旅となった。