芭蕉は、奥の細道「越後路」の段で越後路での出来事をほとんど記していない。私の出雲崎~直江津の紀行は、 北国街道歩き旅で詳しく記しているが、このページでは芭蕉にゆかりのある所だけに絞って記すことにする。
出雲崎
出雲崎は江戸幕府の天領で、佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港もあっておおいに栄えた宿場であった。また、ここは、禅僧であり歌人として有名な良寛生誕の地として所縁の史跡などが多数ある。
芭蕉は、元禄2年(1689)7月4日(陽暦8月18日)、出雲崎に立ち寄り、かの有名な「荒海や・・・」の句を残している。奥の細道では、越後路での出来事をほとんど記していない芭蕉だが、「銀河ノ序」では、出雲崎の眼の前の日本海に横たわる佐渡に対して抱いた感慨を「荒海や・・・」の句に込めたということが記されている。今日、出雲崎の芭蕉園には、芭蕉像と「銀河ノ序」を刻んだ碑などが建てられている。
<天河句碑(銀河序)>
ゑちごの驛 出雲崎といふ處より佐渡がしまは海上十八里とかや谷嶺のけんそくまなく東西三十余里によこをれふしてまた初秋の薄霧立もあへすなみの音さすかにたかゝらすたゝ手のとゝく計になむ見わたさるけにや此しまはこかねあまたわき出て世にめてたき嶋になむ侍るをむかし今に到りて大罪朝敵の人々遠流の境にして物うきしまの名に立侍れはいと冷しき心地せらるゝに宵の月入かゝる此うみのおもてほのくらくやまのかたち雲透にみへて波のおといとゝかなしく聞こえ侍るに
- 荒海や 佐渡によこたふ 天河 -
佐渡は、黄金を産出するめでたい島だが、その一方で大罪朝敵流人の島という一面がある。日本海に隔てられた佐渡の地で、満天の星と天の川を見上げて郷里を想う流人の気持ちに思いを馳せて、涙する芭蕉だった。
柏崎
翌7月5日(陽暦8月19日)、出雲崎を出た芭蕉は柏崎に向かった。柏崎には天屋弥惣兵衛という豪商でもある俳人がおり、芭蕉は象潟で知り合った俳人低耳こと宮部弥三郎から紹介状をもらっていた。しかし、曽良の旅日記によれば、『宿ナド云付ルトイヘドモ、快不シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、止不シテ出。』ということで、天屋の応対に気分を害した芭蕉は、後で追いかけてきて二度も引き留めようとしたが聞き入れることなく、結局この日は小雨降る中、次の宿場鉢崎まで都合10里余りも歩いてしまうことになった。殊に、青海川から先は米山三里と言われる険しい道になるので、鉢崎にたどり着くまでは相当難儀なことだったであろう。
どうしてそのようなことになったのか真相はわからないが、今は、柏崎の石井神社横にひっそりと天屋跡の標識が置かれるのみである。柏崎出身の一人としては、なんとも残念なことである。市の観光課で芭蕉ゆかりの地の話などを聞いた際、担当者は嘆くことしきりであった。
鉢崎
米山三里は、鯨波の先、青海川、笠島、上輪を経て鉢崎に至る八つの岬を廻る道で、米山山塊が日本海に落ち込む断崖に沿い、起伏が多い難所であった。この難所を越え、眼下に鉢崎宿を見下ろす聖ケ鼻の岬を下って鉢崎関所を通ると、鉢崎宿に入る。
芭蕉たちは、鉢崎では俵屋六兵衛方に宿泊した。
翌7月6日(陽暦8月20日)は、『雨晴。鉢崎ヲ昼時、黒井ヨリスグニ浜ヲ通テ、今町ヘ渡ス。』ということで、鉢崎を出たのは昼時だった。
黒井
柿崎、潟町を経て黒井宿の旅籠屋伝兵衛で休息し、船で関川を渡って今町(直江津)に向かった。黒井宿の本敬寺には、地元の俳人達が建てた芭蕉句碑がある。
直江津・高田
今町(直江津)に着いた芭蕉と曽良は、低耳の紹介状を持って聴信寺に行ったが、葬儀の最中だったため出てきてしまった。芭蕉を知る石井善次良が、使いのものを走らせて引止めようとしたが、気分を害した芭蕉は再三断った。またまた柏崎での二の舞となるところだったが、使いのものと押し問答をしているうちに雨が降り出し、結局、その日は古川市左衛門方に宿泊することになった。その晩、聴信寺において句会が開かれ、芭蕉が次の発句を詠んでいる。
- 文月や 六日も常の 夜には似ず -
結局、直江津で二晩を過ごした後、城下町高田の医者で俳人の細川春庵に招かれて三晩を過ごし、いずれも句会を開いたりして過ごしている。
降り続く雨がようやく上がった7月11日(陽暦8月25)、高田を出発し、五智国分寺と近くの居多神社に参拝し、名立に向かった。
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奥の細道「越後路」の段で、越後路での出来事をほとんど記していないことについて、『鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。』、ということらしいが、体調だけでなく、柏崎や直江津での宿泊にまつわることで気分を害してしまったことがあったためという説もあり、真相は定かではない。