2019年03月19日 村上~築地~新潟
元禄2年6月28日(陽暦8月13日)、村上と鶴岡を結ぶ出羽街道の中村宿(北中宿)を出た芭蕉たちは、葡萄峠を越えて村上に着いた。村上では城下の喜兵らの歓待を受け、二泊している。
7月1日朝、浄念寺(当時は泰叟寺)を参拝し、村上を出発した芭蕉たちは、乙(きのと)を経て築地(ついじ)に至り、ここに宿泊。
翌日、築地から船で新潟湊に向かった。今の地形からは想像もできないが、当時、築地から新潟までは水路が通じていた。
私の今回の旅は、深夜急行バスでまず新潟まで行き、JR白新線の電車に乗換えて村上に朝6時ころ到着。まずは村上市街を散策し、乙を経て築地に向かう。今は、かつてのような舟運はないため、築地から中条まで歩き、電車で新潟に向かう。
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村上
村上に入った芭蕉たちは、旅籠の久佐衛門宅(現・井筒屋)に荷物を置いて、まずは村上城に筆頭家老・榊原帯刀を訪ねた。当時の村上は榊原家十五万石の城下町で、帯刀の父に曾良が伊勢長島藩時代お世話になった縁があった。
翌日は、光栄寺に帯刀の父榊原一燈(松平良兼)の墓参をし、久左衛門と瀬波へ足を延ばしたりしている。
<村上散策>
村上駅から東の方に行った城址周辺には村上藩の武家屋敷がいくつか残っている。そのうちのひとつ、村上小学校裏手にある若林住宅は、村上の武家住宅のなかで唯一国の重要文化財指定を受けている典型的な中級武家住宅である。
近くの小町にはかつて旅籠が多くあり、井筒屋に芭蕉たちが2泊している。現在の建物は国の有形文化財に指定されており、寛永3年(1626)創業の老舗きっかわが建物を受け継いでいる。
小町から寺町へ抜ける小路は、そこにある安善寺に由来して安善小路と呼ばれ、黒塀が続いて城下町の風情が漂っている。安善小路は黒塀通りともいわれ、往時の趣を残す町屋とともに風情ある景観となっている。
近年、住民中心に景観整備が積極的に行われているという。
安善小路を抜けると寺町で、そこに藩主本多家、榊原家、間部家の菩提寺浄念寺がある。寺の本堂は白壁土蔵造りという珍しいもので、国指定重要文化財となっている。
寺町には浄念寺と並んで、経王寺、長法寺、西真寺といった寺が並んでいる。
寺町を抜けて駅の方に向かう道は、住民の町屋再生活動により風情ある街並みとなっている。
肴町を過ぎると国道345号に出て、JR羽越本線を越えて西に向かい、途中から県道3号線を行くと、温泉街のある瀬波海岸となるが、国道345号をそのまま進んでお幕場公園に向かった。
村上~乙(きのと)
国道をしばらく歩くと、やがて右手にお幕場大池が見えてくる。お幕場森林公園は、岩船から塩谷にいたる国道345号と日本海に挟まれた地域で、大池のあたりから赤松の林が延々と3kmほど続く。かつてはお幕場といわれ、村上藩の殿様や奥方らの行楽の場として使われていたという。
公園を過ぎるとやがて大きな荒川に出る。長い旭橋で川を渡ったところで国道から分かれ、県道3号線を進んで行くと、金屋を経て乙(きのと)に至る。
乙(きのと)
乙の庄屋・次作を訪ね、歓待された芭蕉は、次作の案内で乙宝寺(おっぽうじ)に参詣した。
乙宝寺は、天平8年(736)聖武天皇の勅願により、行基と婆羅門僧正が開山したと伝えられる新潟県内屈指の古刹である。
仁王門を入り、本堂に向かって右手前に立つ三重塔は、元和6年(1620)、村上城主周防守忠勝の寄進により建立されたもので、国の重要文化財としての風格を示している。
本堂に向かって右手の観音堂の入り口のところには酒田の不玉、安田似哉坊の句碑とともに芭蕉句碑が建っている。
- うらやまし 浮世の北の 山桜 -
乙~築地
乙宝寺門前の道を道なりに進むと、再び県道3号線に合流し、田園地帯の中を淡々と進む。
途中に水芭蕉群生地の案内が出ていた。水芭蕉の時期はまだ早いが、たまたまそこにいた地元の人に様子を聞いたら、ちょうど咲き始めたとのことだったので寄り道してみた。
胎内市地本地区の水芭蕉は、高山植物でありながら海岸から2km、標高8mの広大な湿地帯に群生しているという珍しいもの。ここは、胎内川扇状地の扇端に位置するため湧水が豊富で、それが水芭蕉の生育を可能にしているとの。歩いていてところどころで見かけた“どっこん水”の水源でもある。
やがて胎内川を渡り、しだいに道沿いの民家も増えてくる。
築地(ついじ)
淡々と歩き続けると、県道はやがて築地の交差点にさしかかる。少し手前に地蔵さんが立ち並んでいた。
芭蕉はこの築地村の次市郎宅に1泊している。次市良は乙で歓待された次作の子。
当時の築地には塩津潟があり、その先に鳥見前潟、福島潟などがあって、それらを結んで水路が開かれていた。さらに、新潟付近では阿賀野川と信濃川が合流し、大きな河口を形成しており、これらの水路をたどってゆけば築地から新潟まで舟運で到達することができた。
築地から新潟まで水路が通じていたことなど、現在の地形からは全く想像できないのだが、正保越後国絵図にその様子が描かれている。
翌7月2日、昼頃から晴れてアイの風が吹き始め、芭蕉たちはこの水路を使って新潟へ出た。
築地~中条
今はこの舟運など期待すべくもなく、私は築地から4kmほどの羽越線中条駅まで歩き、そこから電車で新潟に向かった。
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これまで、村上というと鮭の街のイメージしかなかったが、今回訪れて、町屋と武家屋敷が残る城下町村上は、小ぶりながらも歴史を感じる魅力がしっかり残されている。近年、住民の手による町屋再生活動が行われ、古い町並みが残る魅力ある街作りが行われているという。
ちょうど3月は町屋の人形様巡りというイベントが開催されていたが、今回は時間の都合もあり見られなかったのは残念であった。